ゆきえちゃんの実力



『データを入手しました。早く妻を返して下さい』




 薫の携帯端末へと、嘉男はメッセージを送った。


 誘拐犯は見ているだろう。恐らく。


 ついいつもの癖で、犯人相手に敬語のメッセージを送ってしまった己を嘉男は恥じたが、今となっては後の祭だった。


 嘉男の脳内で、怒り狂う真理子や麻生達の顔がぐるぐると回転する。


 自分は裏切り者だ。


 もう、イナワシロ特防隊には戻れない。


 しかし、背に腹は変えられない。


 薫を救う為ならば。


 五年前の夏、帝都の臨海副都心で行われた大規模な同人誌即売会で、壁際で自作の同人誌を売っていた薫を見初めた時から、嘉男は決心したのだ。


 君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる。


 中島 みゆきの歌詞の引用だが。


 嘉男はそう決心したのだ。



「…っ!!」



 唐突な着信メロディが、悲観に涙ぐむ嘉男の心臓を蹴り飛ばした。



『思っていたより早くて助かりました。では三時間後、午後十四時、猪苗代湖畔の【幽霊ペンション】前で奥方と交換です。勿論、一人でいらっしゃい』



 あと少しで、薫を取り戻せる。



「…………」




 嘉男は薫以外のことを、考えるのをやめた。





 ****





 伊織と真琴は、その様に息を飲んだ。


 二人の瞳に映るのは、視界の右端から左端へ向かって、青空を背景に空中宙返りをする幼女。


 ゆきえだ。



「出た〜!ゆきえちゃんの必殺技!【カットバックドロップターン】!!」

「流石スーパー座敷童子!カッコいいー!!」



 修二と時緒の歓声を浴びながら、ゆきえは足に履いたスキー板をしゃっと鳴らして地面に着地する。



「…………」



 しかし、ゆきえの顔は仏頂面のまま、ふんすと鼻を鳴らした。どうやら自身の技の出来にいささか不満があるようだ。



「さっき修二に自己紹介してもらったけどよ……」



 狐にでもつままれたかのような顔で、伊織は正文を見る。


「あのゆきえちゃんって子…座敷童子って本気?」


真実」正文は頷いた。



「母成峠の山奥に、枯れ大木の榁を利用した祠があってな?その中でミイラ状態で休眠していたのが……ゆきえちゃんだった」

「祠にミイラって…横溝 正史の世界みたい…」



 小説好きの真琴は瞳を輝かせる。




「偶然発見した俺様と修二……それとハルナさんとナルミさんの生命エネルギー、ついでにたまたま落ちた雷を吸い取って、ゆきえちゃんは現代に復活した……という訳だ」



 すると、正文はゆきえに向かって、「だろ?ゆきえちゃん…!」と叫ぶ。



「カウナモ!追いて来れるかな!?」

「おぉリツ!何と美しい!どれだけ其方は我を魅了すれば気が済むのだ!」



 カウナと律の織り成す華麗な芝スキーレースを仏頂面のままで眺めていたゆきえは、くるりと正文達の方を振り返り、



「……!」



 両手でピースサインを掲げて頷いた。どうやら正文と伊織の会話が聞こえていたらしい。



「……本当かよ?」

「木村くんは信じない?」



 真琴は伊織に尋ねる。狐につままれたような気分の伊織は唇をむにゅむにゅ動かして頷いた。



「座敷童子って妖怪だぜ?このご時世に……妖怪なんざ信じられるかよ?」

「ロマンチックじゃない」

「まこっちゃんは信じるのかよ?」

「信じるよ。遠野物語好きだもの」



 すると、ゆきえが真琴に向かって親指を立てた。



「『メガネちゃん、あーた良い子だね!仲良くしようぜ!』ってゆきえちゃん言ってるよ!」



 修二が、喋れないゆきえの代弁をする。


 御伽噺の名ヒーロー、座敷童子に会えた真琴は嬉しくなって、柄にも無いハイタッチをゆきえと交わした。



「私も信じますよ〜!神秘的ですもの〜〜!!」



 時緒と共にムーンサルトを決めた芽依子が、弾む声を置き去りにして斜面を滑って行った。



「伊の字は、矢張り信じられないか?」



 含み笑いを浮かべる正文に、伊織は頷いて見せる。



「俺の中の現実主義リアルが座敷童子を否定しちまう!」

「ならば仕方ない……!ゆきえちゃん……!」



 正文が指をぱちりと慣らすと、急にゆきえは立ち上がってストレッチ運動を始めた。


 そして。



「……っ!」

「いっ!?」



 ゆきえは、伊織の目と鼻の先に、びしりと人差し指を立てた。


 一瞬、微かな痺れが伊織の全身を駆け抜ける。


 だが、それだけだった。


 何も起きない。



「…………」



 何ともねえわ、伊織がそう言おうとした、その時ーー。


 伊織の携帯端末が、着信を報せるヒップホップソングを奏でる。サッカーワールドカップの公式テーマソングだ。



「もしもし?」

『伊織ぃぃ!!』



 連絡主は伊織の父親だった。


 何故か慌てた様子の、重低音の効いた叫びが、端末のスピーカーと伊織の鼓膜を震わす。



「親父!?鼓膜が痛えよ!何だよ!?」

『たった今!たった今!きむらやが!うちの店が!ミシュランガイドに載ることが決まった!』

「あぁぁぁぁぁ!?」



 父の衝撃発言に、伊織は素っ頓狂な声をあげる。


 ミシュランガイドとは世界中の名店を掲載する案内本。


 そんな大御所が、何故実家うちのみせなんかに……!


 伊織は興奮に脳内が真白になった。



『たまたま!本当にたまたま!ミシュランの調査員が店に来て!ソースカツ丼を気に入ってくれてな!!……おい聞いてるか伊織!?』

『ヘーイマスター?ソースカツ丼チョベリグ美味シカッタデース!オ代此処置キマース!アトミシュラン載セテ良カバテーン?』

『イ、イエス!イエェェェェス!!』

『オゥカタジケナ〜イ。三ツ星証明書ハ後日送ッチャルカラ宜シク哀愁郷ヒロミ』

『ヒェ〜〜〜〜〜〜ッ!?!?』



 伊織父の裏声の叫びが響いてそれを最後に、通話は途切れた。


 何が、何が起きた……?伊織は混乱してしまい、左足で右足を踏ん付け、ひっくり返った。



「……まさか」



 伊織は恐る恐るゆきえを見遣る。



「…………」



 ゆきえは胸を張りつつ、伊織をにやにやといやらしい笑みで見ていた。


 座敷童子は幸福を招く異能を持つ妖怪。


 子供の頃、小学校の図書室にあった妖怪図鑑の内容を伊織は思い出して、顔面蒼白になった。


 まさか……本当に……!?



「『言っとくけど、さっきの幸運ソレ……まだ序章な?』ってゆきえちゃんは言ってるよ!伊織兄ちゃん!!」



 無邪気な口調の、修二によるゆきえの代弁は、今の伊織には若干恐ろしく感じた。


 堪らず伊織は、ゆきえに頭を垂れる。



「う、疑って悪かった!し、信じるよ!ゆきえちゃん!!」



 伊織はゆきえに頭を下げる。綺麗な礼だ。


 昨日の時緒や真琴達といい、今の猪苗代には気持ちの良い輩が揃っている。


 気分が良くなったゆきえは、はてさて、次はどんな幸運を伊織にぶつけてやろうかと模索した。


 何、因果律を少し操作するだけの簡単な作業だ。如何様にもなる、とゆきえはほくそ笑む。


 伊織は引きつった苦笑を浮かべながら、



「ゆきえちゃんよ、幸運運んでくれるのはありがてえが…もう少し小さな幸運にしてくれ……。心臓に悪い……」



 するとまた、伊織の端末が鳴った。



「…………」



 戦慄の表情で、伊織は恐る恐る、震える手で端末を取る。


 今度の連絡主は、伊織の母親だ。



「……今度は何よ!?」

『宝くじ当たったぁぁぁ!!はっ…はっせ…おえっ!はっせ……八千万!!』

「んぎゃああああ!?!?」

『あと店にV6来たよ!!』

「……ほげっ!?」



 もう、伊織には限界だった。


 絵に描いたような幸運到来の連続に、感情の許容量を超過した伊織の精神はホワイトアウト。身体を痙攣させて、そのまま失神してしまった……。



「……やり過ぎだよ、ゆきえちゃん」



 倒れ伏した伊織を憐憫の目で見遣りながら、修二はゆきえに眉をひそめて見せた。


 ゆきえは自分の頭を叩きながら、ぺろりと舌を出す。



「…………☆」

「『やりすぎちった☆』じゃないよ……」


 


 お茶目な態度のゆきえに、修二は呆れの溜め息を吐く。


 するとその時、修二の直ぐ背後、可愛い修二を背後から抱き締めてやろうと手をいやらしく動かしていた正文の端末が着信メロディを奏でた。


 文子からの連絡が来た時のみに設定されている、【ダース・ベイダーのテーマ】だ。



「もしもし暗黒卿……じゃなくてお袋……。……あん?ゆきえちゃん?……あぁ、俺様了解……」



 通話を切ると、正文はゆきえを見遣る。



「ゆきえちゃんよ……?」

「……?」

「お袋が力を貸して欲しいとさ……?」

「……!」



 この時、猪苗代の森羅万象に満ちる超常的な概念がゆきえに告げた。


 猪苗代に住まう者が、助けを求めているーー!



「ん?なになに?」



 何事かと集まって来た時緒やカウナ達に、ゆきえは詫びの敬礼をする。


 そしてーー。



「あぁっ!?ゆきえちゃん!?」




 途端、ゆきえの身体は、ずぶずぶと音を立てながら、修二の影の中へと沈み込んでいく。



 そしてゆきえは、驚愕する時緒達に手を振りながら、その姿を影の中へと消した。



「……素敵!」



 その、目の前で起きた超常的な現象に、真琴はその瞳を輝かせたのだった。




 続く

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