第二十五章 掴み取れ!愛情!!

なぜ、正直は時緒を破門にしたのか?



「……君が何をしたか……分かっているね?」




 正直まさなおの問いに、時緒は今にも泣きそうな顔を俯かせ、頷く……。



「はい……僕は……正文と律の喧嘩を止めようとして……でも止まらなくて……かっとなって……剣を振るいました……」



 段々とか細くなっていく、時緒の声に……。


 


「……剣を無闇に振るい、あろう事か被害を拡大させた。言語道断だ……」



 それでも言わなければならない。


 正直まさなおは決意した。


 緊張に、肺が上手く酸素を取り入れてくれない。


 この子の為。この子の為。


 自分に言い聞かせるよう、何度も何度も、呪文のように心中で唱えながらーー。


 断腸の思いで、正直は宣う。



「時緒、君は破門だ」



 正直を見上げる時緒の顔、その頬を、涙が一筋こぼれ落ちた。




「君はもう僕の弟子じゃない。剣を教えることは……もう無いよ……」





 ****




「…………」



 早朝の引き締まった空気と、真理子と佳奈美のイビキに、芽依子は睡眠の温もりから覚醒する。


 何やら妙に寒い。


 芽依子が寝ぼけ眼で見下ろせば、はだけた浴衣から、己が豊乳がだらし無くこぼれ落ちていた。



「…………」



 戦闘時には訳もなく揺れる厄介な代物を浴衣にしまい込むと、芽依子は自分の携帯端末が表示する【AM05:43】のデジタル文字を確認。次に隣の布団の中にいる真琴を覗き込んだ。



「……椎名くんには……ふんどし似合うと思うの……」



 真琴は幸せそうな顔で寝言を呟く……。どうやら時緒の夢を見ているらしい。


 朝風呂に誘おうと思ったが、夢心地の真琴を起こすのは忍びない。



「私もそう思いますよ……」



 真琴の耳元でそう囁くと、芽依子は足音一つ立てず客室を出た。


 背後から、真理子の豪快な放屁音とーー



「く、くっせぇぇ…ぇぇ……!」



 律のうめき声が聞こえて来た……。





 ****




 すれ違った早起きの宿泊客二、三人と軽く朝の挨拶をして、芽依子は浴衣を脱ぎ、浴場の戸を開ける。


 目当ての露天風呂は誰もおらず、芽依子の貸し切り状態であった。



「は…あ…ぁ〜〜……!」



 沢のせせらぎを聞きながら、芽依子は山の峰から昇り出した朝日を、生まれたままの瑞々しい裸体いっぱいに浴び、そして硫黄香る湯船へと沈める。


 温泉成分が細胞総てに浸透していく、この至福の瞬間。


 この気持ち良さを独り占めして良いものか。芽依子は真琴を起こさなかったことをほんの少しだけ後悔をした。



 ………………。


 …………。


 ……。



 およそ四十分。朝湯を堪能した芽依子の足取りは軽やかだった。


 ロビーから客室へと向かう通路をスリッパでぺたぺた鳴らし、芽依子は囁くような歌を口ずさむ。



「小原庄助さ〜んな〜んでみのうえ〜つ〜ぶした」



 見事に外れた音程で奏でられるのは会津の民謡。


 今は亡き母がよく歌っていた歌。


 幼い芽依子に、よく歌ってくれた歌だった。



「朝寝朝酒朝湯が大好きで〜〜」



 芽依子はぺたんとスリッパでリズムを刻んで。




「「そ〜れでみのうえつ〜ぶした」」




 芽依子は驚いた。


 何処からか、自分の歌と同調する男の声がした。


 聞いているだけで安らぐ、優しい男の声が。


 芽依子が周囲を見渡すと、ロビーの隅にあるラウンジで、新聞を読んでいる男がいる。



【尾野中総理、函館右翼集会の前でカニ食らう!!】のトップ記事が踊る新聞をばさりと畳んで。


 男は微笑んだ。


 この旅館、平沢庵の主人、正直であった。


 芽依子は先程までの浮かれていた己を恥じ、慌てて頭を下げる。



「お、おはようございます…!」



 正直の顔が一層和かになる。



「おはよう芽依子ちゃん。早起きなんだね」

「朝早いのには慣れているんです。時緒くんの鍛錬で…」

「そうか、今は君が……」



 笑顔に若干の憂いを含ませながら、正直は芽依子に手招きをした。



「おいで、牛乳は好きかい?」

「嫌いな物は御座いません」

「それは結構、朝一番の搾りたてを御馳走しよう」



 正直に導かれるまま、芽依子はラウンジの椅子に腰を掛け、正直が差し出したグラスを、グラスに注がれた牛乳を受け取る。



「いただきます」



 グラスを傾けて、芽依子は自身の喉へと牛乳を流し込んだ。


 牛乳は驚くほど美味だった。とろりとコクがある濃厚な旨味、それでありながらさっぱりと爽やかな後味が、芽依子の火照った身体を、胃袋を歓喜させる。



「君のお父さんとは、昔、よく早飲み対決をやったものだよ」



 芽依子の良い飲みっぷりに微笑む正直に、大切な事を思い出した芽依子は改めて礼をした。


 そうだ、忘れる所だった。


 この人は自分の両親を知っている。


 即ちーー。



「申し訳ありません。昨日、ちゃんと挨拶をせずに……」



「気にすることは無いさ」正直は笑って首を横に振った。



「芽依子ちゃんがお父さんやお兄さんと一緒に猪苗代に来たのは、まだ君が小さい頃だったからね…」

「…………」



 芽依子の顔が朱色に染まる。



「……時緒のこと、ありがとう」

「え……?」



 急に頭を下げる正直に、芽依子は困惑して首を傾げた。



「マリちゃんから聞いたよ。時緒にエクスレイガを預けてくれて」

「あ……!」

「あの子のとして、本当に有り難く思う……!」

「いえ、私は……!」



 時緒が昨日、正直を"師匠"と呼んでいた事を、芽依子は思い出し、好奇心が、鎌首を持ち上げた。



「あの……正直おじさま?」

「何かな?」

「あの……不躾で恐縮なのですが…」



 "おじさま"呼ばわりを若干くすぐったく思いながら、正直は「何でもどうぞ?」と頷いて見せた。



「何故……時緒くんのお師匠様ではなくなったのですか?」



 おずおずとした芽依子の声色に、正直は十数秒間黙り込む。


ラウンジを静寂が包んだ。


 窓から差し込む朝日が、芽依子と正直を真珠色に染める。



「……そうだね」



 空になった芽依子のグラスに牛乳を注ぎながら、正直はカウンターの椅子にゆっくりと身を預けた。



「時緒には何て聞いてたかな?」

「えと……正文さんと律さんの喧嘩に介入した罰だと……」



 芽依子の返答に、正直は自嘲を混ぜた、咳にも似た笑い声を漏らし、ゆっくりと首を振った。



「それは……只の建前だよ」

「建前?」

「時緒には言わないでおくれよ?」



 芽依子に釘を刺して、正直は自らの記憶を過去へと遡らせた。



時緒あの子は……物覚えが良過ぎたんだ」



 正直は思い出す。


 "面白そうだから稽古してやってくれ"と、真理子に抱かれて来た幼い時緒に、正直は先ず竹刀の持ち方から教えた……。



「僕の言ったこと。やったこと。時緒は見て直ぐに覚えた。元々好奇心が強い子だからね。猫みたいに目をくりくり大きくして…僕が教える型を直ぐに覚えた」



 そう言って正直は、口を真一文字に結んだ芽依子を見つめる。



「芽依子ちゃんにも……覚えはないかい?」



 ある。図星に芽依子は、無言で頷くことしか出来かった……。



 以前、自身の格拳術を時緒に冗談半分で教えた所ーー



『出来た〜〜〜〜!!』



 時緒は、ものの三十分余りで会得して見せた。



 芽依子の表情を見て確信した正直は、ゆっくりと口を開く。



「何でも直ぐに覚えたさ。足の運び方も、袈裟斬りも、唐竹割りも突きも。円月殺法もギャバンダイナミックも九頭龍閃も……。調子に乗って縮地覚えさせようとしたら時緒の足、肉離れしてしまってね?あの時は卦院に滅茶苦茶怒られた……」



 そう言って正直は後頭部を恥ずかしそうに掻いた。


 幼な子にどれだけの技を教え込もうとしたのか。芽依子は思わず苦笑した。


 いつの間に淹れたのか。正直は芳醇な香りを立てるコーヒーを啜り……。



「確かに時緒は何でも覚えた。……。だから危惧したんだ」

「どうして……ですか?」

「僕のやったことを確実に覚えて、僕の言ったことを確実に実行する。ただそうやって出来た時緒の行き着く先は……」

「…………」

「単なる僕の写し身レプリカだよ。時緒らしさオリジナリティの微塵も無い"つまらない物"が出来上がる……」



 朝日に、眼鏡の奥の目を細めて、正直は使い終えたティーカップをカウンター裏の流し場に置いた。



「時緒は良い子だ。素晴らしい天性を持っている。だからこそ、あの子は自由でなければならない。一つの教えに縛られず、様々な人と出会い、色々な技術を学んで欲しかった」

「それで…敢えて時緒くんを破門にした…と?」



 芽依子の問いに、正直は自嘲の表情を浮かべ……。



「ちょっと強引だったかな……?」

「少し……」

「あ、でも正文と律ちゃんの喧嘩に首を突っ込んだのは本当に怒ったからね?本当だよ?」





 ****





 空になったグラスをカウンターに置いて、芽依子は窓から見える、朝日に照らされた中庭を見遣る。


 この中庭で幼い、可愛らしい時緒が、一心不乱に竹刀を振るっていたのだろうか。


 そう思うと、芽依子は身体の芯が熱くなるのを感じた。



「……良かったです」

「何がかな?」



 首を傾げる正直に、芽依子は微笑んでーー



「正直おじさまは時緒くんが嫌いになった訳ではないのですね?」



 「まさか!」正文は愉快げに笑った。



「あんな気持ち良い子、嫌いになる訳ないだろう?」



 芽依子は嬉しくて、正直に同意した。


 自分が好きな時緒を愛してくれる人がこんなにもいる。皆が時緒を応援してくれている。


そのことが、まるで自分のことのように嬉しかった。



「さてお嬢さん、朝食までまだ少々時間がある。部屋に戻って、寝坊助な時緒元弟子を起こしてジョギングでもしてくると良いよ」



 正直の提案に、芽依子は「はい!御馳走様でした!」と元気良く立ち上がり、先程よりも軽快な足取りで客室へと向かっていく。



「あ!芽依子ちゃん!最後に」

「はい?」

「時緒を破門にしたもう一つの理由さ」



 客室へ続く木製階段の端で立ち止まり、振り返る芽依子に、正直はウインクを一つ。






「僕の知らない……オリジナリティ溢れる時緒と、戦ってみたくなったんだ……!」





 続く

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