ライバル
「…………ふむぅ」
時刻は午前零時。カウナは、興奮して眠れなかった……。
エクスレイガに敗北し、捕虜となり、地球の料理と温泉を堪能した。
自分のこの現状が楽しくて楽しくて、寝ていられない。
カウナは布団から抜けると、自身の浴衣を正しながら立ち上がる。
「う〜〜ん…。だから芽依姉さん…その服ほとんど紐ですってば……」
「う〜〜ん……もう止めろ律、正文のライフはとっくにゼロだぜ……」
鼻提灯を膨らませ夢の中の時緒と伊織を起こさないように、カウナは手拭いを持ってそっと客室を出る。
『え!?私が天才美少女ゲーマー声優アイドルに!?やっと時代が私に追い付いたにゃ〜……!』
「……………………」
『……ハリウッド進出……ふが……』
「……………………」
襖の向こう、女子部屋から、佳奈美の騒がしい寝言が聞こえた……。
****
もう一回温泉に浸かろう。LED行燈が薄く照らす廊下を、タオルを持ったカウナはゆるりゆるりと歩く。勿論、装置で地球人に擬態した姿で。
『っしゃあ!ローンッ!!』
『ちょっ!?まっ…待ちっ!?あらっ!?さっきまで私がツイてたのに!?ナルミちゃん!?何でその牌捨てたのよ!?』
『ロン!ロン!ロンロンロン!ローンッ!!』
何処かの客室か、真理子と文子のはしゃぐ声が聞こえて来た。
『さぁさぁさぁ!文子にハルナちゃんにナルミちゃん!!出すもん出して貰おうかぁ!?』
『『『ちっっくしょーーーー!!』』』
何をしているかは判らないが、地球人もこんな夜中に大変だ。
カウナはそう思いながら階段を降り、渡り廊下を歩く。
沢のせせらぎの音が、カウナの鼓膜を優しく撫でた。
「…………む?」
途中の中庭にて、カウナは縁側に独り座って月夜を見上げる人影を見かけた。
正文だった。
悪戯心が湧き立ったカウナはーー
「今宵は月が綺麗だな」
と、正文の背後から尋ねてみた。
弾むような口調のカウナに、正文はゆっくり振り向き、その端正な顔をしかめる。
「……気持ち悪いな。俺様にそっちのケは無い」
と言い捨てたのち、にやりと笑う。
かの文豪、夏目 漱石は『今宵は月が綺麗だ』という英文を愛の告白と訳した。そのことを異星人であるカウナが識るのは、大分先のことである。
「……ふん」
正文は自らの座り位置をずらし、空いた箇所を無言で指差した。
カウナは正文と並んで縁側に座り、白銀の月夜を見上げる。
目が慣れてくるにつれ、幾万もの星々が自己主張を始め、その煌めきの美しさにカウナは感嘆の溜め息を洩らした。
星空など、カウナにとっては見慣れたものであった筈なのに……何故だろうか?この中ノ沢温泉で見上げる星々は特段美しい気がしてならなかった。
「そういや……」
首をこきりと鳴らしてカウナは正文を見つめる。
「リツには酷くやられたな?」
そう言って笑うカウナに、正文はふんすと鼻を鳴らした。
「あの
そう気取って言う正文の左頬はぱんぱんに腫れ上がっており、その様相はカウナの笑いのツボを大いに刺激した。
「あれは貴様が悪い」
「ぬかせ。早々に土下座するとはスケベの風上にも置けん」
「我はスケベではない」
カウナは笑った。
正文も笑った。
豪快に敗けて捕虜になったり。
女の裸体を覗こうとして殴り飛ばされたり。
そんな自分達が堪らなく滑稽で笑わずにはいられなかった。
「……いや、でも、羨ましい」
一頻り笑って、カウナは再び正文を見つめ、納得の首肯を二度、三度繰り返す……。
「……あん?」
「思い切り殴られるというのは、それほど…リツは貴様を受け入れているってことさ」
「滅多打ちにされる俺様は堪ったものじゃない」
「それでも…我は貴様が羨ましい。何の気兼ね無くリツと向き合える……リツが貴様を受け入れている。マサフミ、そんな貴様が羨ましいよ」
苦笑と欠伸が混ざり合って、カウナ奇妙な表情を作る。
今度は正文が溜め息を吐いた。
「……羨ましいのはお前の方だ」
「んん?」
月光が、カウナの素っ頓狂な顔を白く彩る。
「よくもああやって、律に好きだ惚れた愛してる……あそこまでド直球に言えるもんだな?」
「言えるだろう?」
さも当然と言いたげに、カウナは澄ました顔をする。正文は呆れた感情を大袈裟な溜め息に乗せて、思い切り中庭へとぶち撒けた。
「言えるのはお前だけだろうよ。少なくとも俺様には度し難い……」
「言えないのか?」
「……言う前に気恥ずかしくて窒息しそうだ」
「言ってみろ?骨は拾ってやるぞ?」
「…ぬかせ」
冷たい山風が正文とカウナの間を擦り抜け、夜闇の中へ消えていく。
「
不意に、正文は呟く。
その声色に、女湯を覗きたいと言った時の不純は、一切感じられない。
「……ああ」
顔から笑みを消して、カウナは静かに、深く頷いた。
「初めて会った時、リツの美しさに……あの力強い眼差しに稲妻が走った。そして思った……」
カウナは深呼吸、昂ぶる己の鼓動を懸命に抑えてーー
「この気丈な少女と添い遂げる為に、命を燃やすことが出来たら……どんなに幸せだろうなぁ」
がたり、縁側を鳴らして、正文は立ち上がる。
「…………」
「…………」
正文とカウナの眼光が混ざり合った。
二人の、淀みの無い気持ちが、歪みの無い気迫が眼光となって混ざり合い、そして、爆ぜた。
「……はっ!」
幾秒か経過したか……。正文は自分に向けたものか、カウナに向けたものか、どちらか分からない嘲笑を浮かべてーー
「
と、少し恥ずかしそうに、カウナに向かって言った。
カウナは眉をハの字にして困り顔をして見せた。
「マサフミ……貴様は……まだリツが……?」
「…………」
正文はカウナに拳を突き出し、切れ長の瞳を更に鋭く、優しく細めた。
「ああその通りだ。未練たらしく俺様は未だ律が好きだ。本人の前でなど……もう死んでも言わん」
「マサフミ……」
「ライバルはある程度対等でいたいだろう?
そこまで正文が言った所で、カウナにも笑みが戻った。
爽やかな笑顔のカウナは正文の拳に自身の拳をこつりとぶつけ、そしてーー
「マサフミ、手を広げろ」
「あ?」
正文の掌に、カウナは懐から親指大の桃色に輝く結晶を乗せる。
「これは…!」
正文の肌に触れた途端、結晶は桃色いろから鮮やかな紫色に変わり、淡い光を明滅させる。
「ルリアリウムの結晶だ。リツのことを教えてくれた礼だ……」
「…………」
「使い方はトキオからにでも学べ。マリコさんにエクスレイガみたいな騎体でも造って貰えば良い」
「…………」
「その時は存分に戦おう。貴様とはちゃんと戦って勝たねば、リツをときめかせられん気がしてきた」
そう強く宣うと、カウナはウインクをする。
正文は無言でルリアリウムを握り締め、カウナに深く礼をした。
言葉は無いが、カウナにとっては嬉しくて堪らなくなるほど、男らしい返礼であった。
………………。
…………。
……。
正文は知らない。
カウナも知らない。
自分達二人がこうして語り合っている間。
渡り廊下の柱の影で……。
「〜〜〜〜〜〜っ」
露天風呂から上がった律が。
温泉で火照った身体を更に赤くして。
会話の終始を聞いてしまっていたことなど。
知る由も無かった。
****
同時刻、コンビニエンスストア【セブン・エックス 猪苗代店】。
「むむっ!?何処かでイケメン同士が絡んでいる!?」
背筋を走る微かな痺れに、イナワシロ特防隊メンバー、水野 薫は天を睨んだ。
しかし、薫の視線の先には、蛍光灯が眩しく光るコンビニの天井が広がるばかり。
BL同人誌の作製にこんを詰め過ぎて神経過敏になってしまったか。薫は独り苦笑すると、漫画雑誌やチョコレート菓子、カップ焼きそばが入ったマイバックを持った。
「あいやとっざっした〜〜」
滑舌の悪い店員の礼を背に受けながら自動ドアを潜り、薫は深夜の猪苗代町へと踊り出る。
「ふんふふ〜ん!んなことナイナイアルナイヨ〜!」
深夜所以の高揚感に鼻歌を歌いながら、薫は駐車場に停めてあったワゴン車の隣を小走りで通過しようとした。
早く帰って、原稿の続きをーー
「ぎゃんっ!?」
突如、ワゴン車のドアが開かれ、中から伸びた大きな手が薫の華奢な身体を引き摺り込んた。
「は、離しっ!こ、これっ!?【名探偵ゴメン】で見たっ!?見たヤツッ!?」
予想だにしなかった事態に薫は恐怖した。
だが、されるがままにはなるまい。自身を雁字搦めにする束縛から逃れようと、薫は力の限り踠き抵抗した。
しかし、薫を束縛する武骨な手はびくともしない。
決して諦めない。会津の烈女直系である姑からそう教わった薫は死にものぐるいで暴れ続けた。あまり運動していない、漫画作製に特化された薫の筋肉が軋む。
「ええいっ田舎嫁めっ!このエリートの手を煩わせるものではありませんよっ!!」
車の中から、やけに神経質そうな男の声が聞こえた。
何処かで聞いたような、聞いてるだけで腹立たしくなる男の声。
声の主は誰だったか、薫は必死に抵抗しながら思考するが。
ぱすり、乾いた音がワゴン車内に響く。
「ぎゃっ!?……ぅ……」
首筋に微かな痛みが奔ったかと思った次の瞬間、強烈な睡魔が薫を襲ったーー。
時緒とシーヴァン。
正文とカウナ。
ここ最近、ボーイズ・ラブの
「よ…よし…おさん……!お義母さま……!無念……!」
大波に呑まれる小魚の如く。薫の意識は、あっという間に深い深い眠りの底へと落ちていった。
「何をしているのです鈍間めっ!早く車を出しなさいっ!!」
豪快ないびきを立て始めた薫を、男はまるでゴミを見るような目で見下ろしながら。
「これで……エックスレイガのデータが手に入るっ!早く!発進するのです!!」
地球防衛軍極東支部、青木 祐之進は青白い顔をヒステリックに歪め、運転席に座る黒服の大男に唾を飛ばす。
やがて、激しいエンジン音を残してワゴン車は急発進。接触した車底と路肩から火花を散らしながら、ワゴン車は国道一一五号線を猪苗代湖方面へ向けて走り去って行った。
薫の存在を、ほんの束の間、猪苗代から抹消して……。
続く
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