弟、参上!!


『次は中ノ沢上〜。中ノ沢上でございます』




 日もとっぷりと暮れ、周囲を夜の淡い闇が包み込む中ノ沢温泉街。


 数々の宿から漏れる柔らかい灯に彩られた温泉街の緩やかな上り坂を、一台のバスが丁寧な運転で上っていく。


 運行は定刻通り。


 昼間にはルーリアと何ちゃらレイガとか言うロボットの戦闘があったらしいが、バスを求めている客あらば、嵐だろうが異星人との戦闘だろうが、出来得る限り時間を守り安全に送り届けて見せよう。初老の男性運転手は胸を張った。


 古めかしい電子ブザーが鳴る。降りる客が居る証拠だ。


 運転手は、バックミラーを見遣ってにこりと笑った。


 薄暗い座席に、乗客はたった二人。


 心地良い疲労感に、欠伸をし合う二人の子供だ。齢は八つか九つ。蜂蜜色の髪の子と黒髪の子。


 ぱっと見た所は二人の幼い少女。


 運転手にとっては顔見知りの二人だった。


 いつも登校にバスを使用しているからだ。


 だから運転手は知っている。


 蜂蜜色の髪の子は、見た目は美少女だが、性別はれっきとした男の子である。


 次のバス停には人影はない。和菓子屋の照明でくっきりと見える。運転手は視力に自信がある。先週の検査では両目とも一・五だった。


 なので運転手はバス停ではなく、少し進んだ場所に停めた。


 男の子の生家である旅館【平沢庵】の前へ。



「御勤め御苦労様でした。目的地でございます」



 サラリーマンを相手にするような運転手の声色に、大人になったようで気分を良くした二人の子どもは意気揚々と通路を歩いていく。



「ありがとうございました!」



 料金を投入した男の子が朗らかな笑顔で運転手に会釈をするとーー



「……!」



 女の子もまた、無口ながら勢いよく頭を下げる。



「今日は何かのイベントかい?"修二"君?」



 運転手が尋ねると男の子は、 《平沢 修二ひらさわ しゅうじ》 は嬉しそうに頷いた。



「はい!ミニ四駆のレース大会だったんです!」

「結果はどうだった?」

「3位!帝都から来た双子が凄くて!」

「凄いじゃないか!」



 照れ笑いする修二の背後でーー



「……!」



 黒髪の女の子が仏頂面で拳を上げた。



「何?"ゆきえ"ちゃん?『あのソニックでマグナムな双子め!今度こそ最強のマシンセッティングをして見返してやる!』だって?」



 そう言って首を傾げる修二に、女の子…… 《ゆきえ》 は修二を睨んで素早く三度頷いた。



「じゃあ今日はゆっくり休んで、明日からまた精進の日々だな!」

「はい……!」

「……!」



 運転手に元気の良い返事をして、修二とゆきえは足下を注意しながらバスを降りる。


 二人の子供が安全に降車したのを見届けると、運転手はーー



「出発…進行〜」



 ゆっくりとアクセルを踏んだ。


 やがて、バスは夜道をカーライトで煌々と照らし、走り出す。


 バックミラーを見ると、路肩で修二とゆきえが手を振っているのが見えたので、運転手は右手でピースサインをして見せた。


 幼い彼等の未来が明るいものであるようにと祈りを込めてーー。




「う〜〜ん、お腹ぺこぺこだ〜!」

「………!」

「ゆきえちゃんもか〜!今日の晩御飯何かな〜?」

「……!……?」



 リュックサックを大事に抱えた修二の提案に頷きかけたゆきえは、ふと、何となく、空を見上げた。



「俺様あ〜〜〜れ〜〜〜……」



 人影めいた物体が、間抜けた声色で、星が瞬き始めた夜空を飛んでいった。



「…………」



 ゆきえは渋い顔をした……。




「あれ?今兄ちゃんの声した?」

「…………」



 自分を見て首を傾げる修二に、ゆきえは渋面のまま首を横に振る。


 先刻の飛行物体、あれはまさしく修二の兄、正文であったが……。



「…………」



 ゆきえは終始知らぬふりをした。


 正文云々よりも厄介なことが平沢庵で起きている。


 ゆきえの人知を超えた察知能力がそう告げていた。




 ****




「くらえ文子!【真空真理子パンチ】!!」

「緩いっ!!【紡ぎ糸・螺旋】!!」

「【真理子スクリュウキック】!!」

「【紡ぎ糸・熊手抉り】!!」

「【真理子握りっ屁(すかし)】!!」

「【今日一日履き続けた足袋】!!」

「「くっっせえ!!!!」」



 その女、椎名 真理子。三十六歳。


 その女、平沢 文子。三十七歳。


 どちらも良い年齡の大人。


 真理子の拳の乱撃が文子を吹き飛ばし、文子の両手から繰り出される糸が真理子を薙ぐ。


 二人の女の気迫が不可視のエネルギーとなってぶつかり合う。


 その度に空気は震え、地は戦慄いた。



「ちっ!互角かっ!?」

「まだまだ戦るわよ?野ザル!!」



 埒が開かない状況を打開しようと、真理子と文子は互いに飛び退き、距離を置いた。



「……っ!あ……!文子!後ろ後ろ!」



 突如、真理子は文子の背後を指差して驚いた表情をする。


 成る程、隙を作らせる魂胆か。文子は真理子を鼻で嗤って小馬鹿にする。



「騙されないわよバァーカッ!」



 しかし、真理子は指を指したまま固まっている。



「後ろに…後ろにライブを終えたばかりの矢沢 永吉がっ!!」



 真理子の叫びに文子は驚愕する。血が瞬時に沸騰するような感覚!



「えぇっ!?どこどこ!?永ちゃんどこっっ!?」



 文子は咄嗟に真理子が指差す方向に顔を向けた。


 文子は伝説のシンガー矢沢 永吉のファンだ。



「…………」



 誰も、いない。


 野次馬の宿泊客十数名。勿論、矢沢 永吉など、影も形も存在していない。



「…………」

「…………」

「…騙したわね真理子ぉぉっ!寄りにも寄って…永ちゃんをっ!!」

「バカはおめぇだったなぁぁーーっ!!」



 再び真理子と、激昂した文子がぶつかり合う。


 再び始まる、超高速の乱撃の応酬。



「……どうしよ」



 すっかり蚊帳の外の存在となった時緒は困り果ててしまった。



「し、ししし椎名くん!?」

「神宮寺さんは僕の後ろに」

「は、はひっ!」



 母達が周囲に撒き散らす衝撃波を、真琴や空腹でしゃがみ込んだ芽依子に当たらないよう、時緒は木刀で打ち払う。



「う〜む、やっぱ温泉まんじゅうだよなぁ……」

「私はしょっぱい物が良いな……」



 いつの間にか伊織と律は売店で土産物を物色していた。



「………………行きたくない」



 佳奈美に至っては補習授業のスケジュールが書かれたプリント用紙を哀しげな表情で読んでいた。


 あくまでもマイペースを崩さない親友たちが、時緒には羨ましく思う。



「いや申し訳ない」



 衝撃波を片手で易々と受け流しながら、正直まさなおは時緒、芽依子、真琴へ苦笑を向けた。



「文ちゃんたちがまさかここまでヒートアップするとは思わなかった」

「師匠……」



 師匠じゃないよ、と正直まさなおが時緒に釘を刺そうとした、丁度その時ーー



「文子オオオオ!!」

「真ァ理子オオオオ!!」



 真理子と文子は組み合った状態で力を込め、互いに気を練り始めた。



「「いぃ…っ!?」」



 時緒と芽依子は戦慄する。


 ただでさえ足が竦むような気迫が更に高められ、凄まじいオーラとなって燃え上がっている。


 時緒達は見た。見えた気がした。



「次でぇぇ……!!」

「決着を付けるわ…!!」



 真理子と文子の背後に、二人の闘気が具現化された、禍々しい鬼神の姿を……!


 何という圧迫感!


 時緒はもう動くことが出来ない!



「やれやれ…」正直が可笑しそうな、呆れたような目で時緒を見た。



「あんなに興奮する文ちゃんたちも悪いけど、この位の威圧感で固まるなんて……時緒キミまだまだ修行が足りないね……」

「…………」

「ま、もう師匠でも何でもない僕にはもう関係ないことだけど……」



 正直のやんわりとした苦言に、時緒は硬直したまま、がくりと項垂れる。



「さて、そろそろ止めさせないと。夕食の時間だからね……」



 落胆する時緒の肩を軽く叩いて、正直は強烈な気迫の嵐の中を悠々と歩いていく。



「【椎名神拳】!!」

「【平沢聖拳】!!」



 鬼神のオーラを纏った真理子と文子は跳躍!


 我が子を育んで来たその拳を怒気に燃え上がらせ、敵を屠らねばと振り上げーー



「さぁ二人とも!お戯れはそ……」

「ただいまー!父ちゃん母ちゃんお腹空いた〜〜!!」



 正直まさなおが真理子と文子を制止させようとした……同時に。


 修二が満面の笑みで飛び込んで来た。



「へ…?あ!おかえり!!」



 可愛い次男坊の帰宅に、文子の動きがぴたりと止まる。



 ーーそれがいけなかった。



 文子の攻撃を予測していた真理子は見事な肩透かしを喰らいーー



「あぁぁーーーーっ!?」



 自身の動きを止め切れず、顔面から床に落下。そのまま大浴場へ向かう廊下の彼方へと滑っていった。



「ああ……野ザル……ゴメン」



 バツの悪い顔で真理子を見送った文子に、修二は人懐こい笑顔を向けた。



「母ちゃんお腹空いた!こないだナルミ姉ちゃんが仕留めた熊の焼き肉食べたいな!」



 文子は帳場に掛けられた壁掛け時計を見て、顔面を真っ青にする。



「え!?嘘!?やばい!?もう六時じゃない!時緒ちゃんたち!客室案内するから!靴そこで脱いで!下駄箱あっち!!」



 すっかり女将の顔に戻った文子は着物を整え、未だぽっかりと口を開けたままの時緒たちに手招きをした。まるで、先刻までの修羅場が夢であったかのようだ。



「あ〜!時緒兄ちゃんだ!」

「久しぶり修二くん!」



 すると、時緒の姿を確認した修二が瞳を輝かせ、時緒の腹へと抱きついた。



「時緒兄ちゃん!伊織兄ちゃんに律姉ちゃん!佳奈美姉ちゃんもいるー!みんなどうしたの!?泊まりに来てくれたの!?」



「うん…まあ…ね」時緒は苦笑しながら頷いた。



 途端に修二は飛び跳ねて踊り出した。



「やった〜!時緒兄ちゃんたちお泊りだ〜!おいら時緒兄ちゃんと一緒のお布団で寝る〜!」

「こらこら修二……、時緒たちはお客様なんだからね?」



 嗜める正直に申し訳なさそうな顔をしながらも、修二は時緒の周りを踊り続けた。



「時緒くん、時緒くん…」

「椎名くん、椎名くん」



 背後から肩を突いてくる芽依子と真琴に、時緒は「はい?」と振り返った。



「あの……時緒くん?そちらの可愛いらしい子は?」

「もしかして……平沢くんの……妹さん?」

「あ、芽依姉さんはともかく……神宮寺さんも初めてか……」



 首を傾げる芽依子と真琴に妹呼ばわりされた修二は、「しつれーな!」と頬を膨らませる。



「おいら平沢 修二!平沢家の次男!立派な会津男士だい!」



 芽依子と真琴は驚き、絶句した。


 男?


 さらりとした蜂蜜色の髪、白い肌、円らな瞳、ふっくらとした可愛らしい唇。


 フランス人形のようなこの美貌で……男!



「えへへ〜!時緒兄ちゃん!時緒兄ちゃん!!」

「修二くん、あとで仮面サムライダーごっこやる?」

「ほんと?やった〜!」



 時緒と修二の仲睦まじい姿にーー



((良かった…。幼いとはいえ…恋敵ライバルにならなくて本当に良かった))



 恋敵だったら……絶対に負ける……。


 芽依子と真琴は、本気でそう思ってしまった……。




 続く

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