月夜の下で微笑んで


 不思議な気分だと、真琴は思う。


 嫌な気分ではない。


 むしろ逆だった。


 気を抜けば脱力してしまうほど身体は疲れているのに、気分はとても清々しかった。


 その切っ掛けを、真琴は分かっている。


 時緒が駆る【エクスレイガ】とかいうロボットに同乗してからだ。


 非日常を経験して気分が高揚しているのか?それは真琴本人にも分からない。


 時緒と同じ屋根の下に住む少女、芽依子。


 時緒の憧れであるルーリアの騎士、シーヴァン。


 ”彼女たちのようでありたい”と、かつての自分なら劣等感で終わりそうな気持ちも、今はわだかまりのない澄んだ士気となって真琴の中に染み渡っていく。


 嬉しかった。


 常に前を向いていた時緒に近づけた気がして嬉しかった。


 だから……。



「……芽依子さん?」

「ああ、真琴さん!丁度良かった!真琴さんは私たちと一緒に真理子おばさまの車に乗ってください!家まで御送りしますね!」



 芽依子は嬉しそうに笑っている。


 吊られて真琴も笑みを浮かべた。


 そしてーー



「芽依子さん…少し…二人でお話ししませんか?」



 しばらく真琴を見つめてから、芽依子は「はい」と頷いた。



「シーヴァンさんも!このロボの前でかっこいいポーズしましょうよ!ほら!シャキーン!」

「む?こうかイオリ…?シャキーン…!」

「あはははは!シーヴァンちゃんノリ良い〜!!」

「むう…イケメンで空気も読むとは…!俺様のキャラが霞む…!」

「霞め霞め正文。そしてそのまま消えて居なくなれ」

「やめろよみんな〜!シーヴァンさんは僕ん家のお客様だぞ!迷惑かけるなよ〜!!」



 シーヴァンを中心にやいのやいのと騒ぐ時緒たちを傍目に、真琴は芽依子を連れて倉庫の扉を開け、静かに外へと出た。






 ****




「凄い…綺麗な空ですね…」

「はい…!私も帝都から猪苗代に来た時はびっくりしました…!」



 天上高く、真丸の満月と幾千幾万の星々を、真琴と芽依子は並んでる見上げる。


 未だ冬の香りがする夜風が、真琴の火照った身体を冷ましていく。


 とても気持ちが良い。



「…………」



 山々から聞こえる木々のざわめき。


 近くの谷下を流れる川のせせらぎ。


 鼓膜を撫でるそれらに身体を預けるように、今にも弾け飛びそうな心拍を懸命に抑えて。


 真琴は、意を決して、言ってみた。




「…芽依子さん?」

「はい?」

「…芽依子さんは…、椎名くんのこと…好きですか?」



 真琴の問いに、芽依子は微笑のまま、硬直した。



「……え?」

「わた…しは…ですよ…。椎名くんのこと…なんです…」



 何故こんな事を口走ったのか、芽依子が時緒をどう思っているのか、真琴本人には未だ分からない。


 だが、言わずにはいられなかった。



「芽依子さん…凄く美人だから…こっそり言ってみました…」

「ま、こ、と…さん…?」

「凄く…恥ずかしいですね…!みんなには内緒ですよ…。もちろん椎名くんにも……言っちゃダメです!」

「…………」



 緊張が解け、溢れそうになる涙を懸命に堪えて、真琴は一生懸命笑って見せた。


 恥ずかしいから。


 でも、言いたかったから。


 全ての気持ちの勢いを、先ほどまでの非日常の所為にして。


 笑って、見せたかった。





 ****



その夜……。



「…………」



 闇の中に薄っすらと見える天井の木目を、芽依子は布団の中から、じいと眺めていた。



 『芽依子さんは、椎名くんのこと…好き…ですか?』


 『わた…しは…好きですよ…。椎名くんのこと…大好きなんです…』



 頭の中に、数時間前の真琴の言葉と微笑が何度も何度も蘇り、芽依子から折角の眠気を奪っていく。



(…真琴さんが…時緒くんを…)



 とくとくと、自身の心臓の鼓動が早まっていくのを、芽依子は感じた。



(私は…?私も…?時緒くんが…好き?)


(違う…。時緒くんは…私の大切な友達。弟みたいな子…。私の命の恩人…)


(でも…何故?何故こんなに…胸が熱い…?)



 身体の火照りに居ても立ってもいられなくなり、芽依子は布団を退けた。


 そして、寝間着である浴衣の上から半纏を着込むと、自室の襖を静かに開け、ひやりとした廊下に足を踏み出した。



『う〜ん…シーヴァンさん……こうなったらショッピングモールに逃げ込みましょう……ぐぅ……』

『……トキオ……踏み込みが足りん……むにゃ……』



 芽依子が時緒の自室の前を通ると、襖の向こうから時緒とシーヴァンの寝言が聞こえた。




 芽依子の予想通り、真理子は未だ起きていた。


 居間の電灯は、闇に慣れた芽依子の眼には眩しく感じる。


 真理子は胡座をかいてストロング缶を煽りながら、テレビの中で悲鳴をあげて熱湯風呂へと落下するコメディアンを観て、「ひゃっひゃっひゃっ!」と笑っていた。



「およ?芽依?眠れねえのか?」

「はい…」



 ぽかんとした真理子に頷いて見せると、芽依子は座布団の上へと正座した。


「先程、おばさまからの映像を拝見しました。私達が乗っていたエクスレイガが…思念虹を発現していたなんて…」

「おそらく時緒を媒介にして、お前や伊織たちの精神力を吸ったせいだ。シーヴァン君との決戦では時緒が一人で思念虹を発現していた」

「…時緒くんが…臨駆士リアゼイター…」

「まだ分からねえ…。思念虹は偶々かもしれねえ」


 そう呟いて、真理子は缶の底に残っていた酒をぐいと飲み干した。



「思念虹の力は強大だが諸刃の剣だ…。糧として吸われる精神力も尋常じゃねえ…。暫くは観察が必要だな……」

「はい……」



 暫く、芽依子と真理子の会話が途切れた。


 ぼーん、と壁掛け時計が午前零時の時報を告げる。



「あの……おばさま?」

「んん?」

「あの…時緒くんの観察も兼ねて…お願いが…あるのですが?」



 頬を朱に染めて、もじもじと俯く芽依子に、真理子は自身の腹を叩いて笑って見せた。



「何だ何だ?何でも言ってみな!お前には世話になりっぱなしなんだ!ど〜んと来やがれ!!」



「で、では…!」芽依子は、潤んだ瞳を鋭く尖らせて、真理子を睨んだ。



 その気迫に、真理子は「およよ?」とたじろいでしまう。



「私は…ルーリアと戦うために…そのために猪苗代に来ました。でも…時緒くんと再会して…今日…真琴さんたちと知り合って…私は…もっと…色々と…知りたいことが出来ました…」



 真理子は只頷いて芽依子の話を聞いた。その口元には笑みが浮かぶ。



「私…もっと時緒くんの事を知りたいです!時緒くんだけじゃなく…真琴さん、伊織さん、佳奈美さん、律さん、正文さん!私と友だちになってくれた皆と…もっと仲良くなりたいです!」



 結果的に、芽依子の願いとやらは、真理子の予測の通りであり、真理子の願いでもあった。



「おばさま…!以前承ったお話…!お受けさせていただきます…!」

「 うん? 」

「私……学校に…行きます!行きたいです…!行かせてください」



 芽依子の決意と気迫に満ちた顔を見て、真理子は満面の笑顔になった。


 真理子には、芽依子のその願いを無下にする理由など、何処にも無かった。





 続く

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