第九章 昼下がりのプリズナー
ブレイク・タイム
(ごめん…エクスレイガ…!もうちょっと…もうちょっとだけ…)
まるで宙浮く酩酊者のようなふらふらとした動きで、エクスレイガは猪苗代の大地へと着地する。
その様は、”崩れ落ちた”と表現した方が適している風体だった。
「ふんっ!!」
ひしゃげて開かなくなったコクピットハッチを、以前に芽依子から教えて貰った拳法で吹き飛ばすと、時緒は地面へと飛び降りる。
操縦桿からルリアリウムを外すのも忘れずに。
草の香り漂うそよ風が、汗ばんだ肌を冷ましていく。
「エクス……! 」
外へと降り、エクスレイガの姿を見た時緒は絶句した。
戦いを終えた自身の戦闘代行者は、左半身の装甲を失い、片眼を潰され、痛々しい姿のまま、静かに膝をついていた……。
(エクス…ありがとう…。そして…ごめんよ。帰ったら、チバさん達に
そして、エクスレイガに深々と頭を下げると、時緒はその場を足早に去る。
シーヴァンを探す為に。
「 ………… 」
自身の背後から、人影が追跡していることなど知る由も無く……。
****
「シーヴァンさん!!何処ですか!?返事してください!!」
瓦礫と爆散したガルィースの残骸が岩石のように散らばる道の駅駐車場を、時緒はシーヴァンの名を叫びながら歩き捜す。
其処はもう駐車場とは呼べなかった。
「シーヴァンさん…」
ーーかれこれ三十分は経過しただろうか?
瓦礫の影も、茂みの中も、近くの公衆便所の個室も、その便器の中も捜したのだが、シーヴァンの姿影一つ見つからない。
「………」
心の中で喪失感と焦燥感がマーブル模様を形成し、時緒を重く沈めていく。
確かルーリアには空間転送技術がある。
もしかしたらシーヴァンはそれを利用して宇宙へ帰ったのかもしれない。時緒はそう考察してみた。
「…いや…まさか…まさか…」
一瞬、嫌な予感、最悪の事態が頭をよぎった。
それはまるで真理子の作るパンケーキのようにむくむく膨れ、時緒の心中をいっぱいにしていく。
無機物のみを破壊し、パイロットを無傷で帰すエネルギー結晶体【ルリアリウム】。
しかし、ルリアリウムのそのエネルギー効果が嘘だったら?
テレビで観た、撃墜された戦闘機からパイロットが光球に包まれて現れる映像。それが作り物だったら?
一度考えだしたら止まらない。時緒の悪い癖である。
罪悪な展開が脳内を巡る。
” エクスレイガのブレードがガルィースのコクピットへと突き刺さる ”
” シーヴァンの身体が焼かれ、裂かれ、溶けていく ”
” 『ギャァァァァ!ティセリア様ァァァ!!』シーヴァンの悲痛な断末魔 !”
「ああ〜〜〜〜!!」
残酷な妄想に時緒は号泣し、その場へと崩れ落ちた。
シーヴァン・ワゥン・ドーグス。
何処までも自身と向き合ってくれた、勇ましく優しい異星の騎士を…。
「僕が殺した!殺してしまったんだ…!!」
シーヴァンの笑顔が脳裏に蘇る。
取り返しのつかない事をしてしまった。
涙が溢れる。幾ら涙を流そうとシーヴァンもう戻って来ないというのに。
時緒は泣いた。思い切り泣いた。
しかし、その涙は現実逃避ではない。シーヴァンを殺した罪を一生背負っていく覚悟をするため、悲しみの感情の一切合切を流すための涙であった。
時緒は決意する。
先ずは真理子と芽依子に全てを伝えよう。
”ルーリア人を殺した ”と。
きっと二人とも悲しむだろう。
その後は、何とかしてルーリアの人々と会おう。そして告白するのだ。
” 自分がシーヴァンを殺した ”と。
ルーリア人たちも悲しむだろう。怒るだろう。
特にシーヴァンの口から度々聞こえてきた”ティセリア様”や”弟たち”は、きっと自分を許してはくれないだろう。
それでも償わらければならない。
一生をかけて、贖罪を果たさなければならない!
涙を乱暴に拭って、時緒は天を睨んだ。
…………。
「…ふっ…くっくっくっくっくっ…!」
風のざわめきに掠れるように、何処からか笑い声が聞こえてきた。
涙で潤む視界を懸命に凝らしながら、時緒は周囲を見渡す。
時緒の右斜め後方。
昼寝をするのに最適な木陰を作る欅の木。
その木の幹、地面からおよそ一メートル程の高さに…。
「…しっぽ?」
幹から薄茶色の尻尾が生えて、激しく揺れていた。
芝犬めいた尻尾。木の幹から尻尾が生えるか?世界中の木々を見て来た訳ではないが、恐らく生えないだろう。
尻尾は木から生えているのではない。木の後ろに尻尾の持ち主が隠れているのだ。
時緒は涙を拭うのを忘れ、木を凝視し続けた。
「…トキオは行ってしまったかな…?」
木の後ろから一人の青年がひょっこり顔を出した。
翡翠色の光球に包まれた青年。
「…!」
薄茶色の頭髪に犬のような耳。
間違いない。シーヴァンだった。
「シーヴァンさん!!?」
「っ!しまった…!見つかってしまった…!」
欅の木からつまらなそうに姿を現したシーヴァンに、時緒は涙をぼろぼろ流しながら走り寄る。
「シーヴァンさん!?今まで何処にいたんですか!?」
「む…。ずっとお前の後ろにいた…」
「僕の後ろ!?ずっと!?」
「うむ。お前がエクスレイガとやらから出てきた時からだ。俺はエクスレイガの影に隠れていた…」
「……!」
「この膜…ルリアリウム・フィールドに包まれると何も出来ないからな。ニアル・ヴィールにも帰れなくなってしまったし、退屈だからお前の後をついて回っていたのだ。中々面白かった…」
「えぇ〜〜…!?」
真顔で言うシーヴァンに、時緒は開いた口が塞がらなかった。
「ぼ…僕は…てっきり…シーヴァンさんを…殺してしまったかと…」
「お前は本当に面白いヤツだな。ルリアリウムが働いているんだ。死ぬ訳がないだろう」
「あ、ああ〜!」
自身を包む光球をつつきながらの、シーヴァンの呑気な物言いに、時緒はへたり込んだ
呆れと安心に緊張の堰を完全粉砕され、時緒はシーヴァンの目の前でわんわん泣いた。
「…トキオ?」
「本当に心配したんですよ!でも元気で良かった!!シーヴァンさん元気で良かったぁぁぁ!!」
「……」
まるで幼児のように、時緒は泣いた。
そんな好敵手の姿に、からかうつもりだったシーヴァンは酷く申し訳ない気持ちになってしまった。
「…すまん…からかった俺が悪かった。だから泣くな… 」
時緒の首にかけられたルリアリウムが輝き、シーヴァンを包んでいた光球を消滅させる。
自由の身となったシーヴァンは、時緒が泣き止むまで、苦笑しながらその背中を撫り続けた。
「 トキオ……、お前は勝者だ。勝者が……泣くな…… 」
****
『時緒くん!?時緒くんですか!?』
「おっと…!は、はい!時緒です」
携帯端末に登録しておいた芽依子のアドレス番号へ連絡してみると、呼び出し電子音が一秒鳴るか鳴らないかという速攻さで芽依子が出たので、時緒は思わず背筋を伸ばしてしまった。
『時緒くん!?御無事ですか!?先程からエクスレイガがモニター出来なくなってしまって…!あ、あの!お具合は!?』
「あ…大丈夫です。ありがとうございます」
「ぅ……っ!…った…!よかった…ぁ!本当に…!」
端末の向こうの芽依子の声が潤みを帯びていく。
不謹慎だが、時緒は嬉しくなってしまった。
時緒の声が聞こえたのか、『よっっしゃああ!』『でかしたぞ!時緒!!』と、真理子と麻生の歓喜の雄叫びが時緒の鼓膜を痛くする。
「…という訳で芽依子さん?」
『はい!はい!何ですか!?私とご飯ですか!?それとも私とお風呂ですか!?それとも私と一緒のお布団ですか!?』
「…………」
何故かは分からないが、どうやら芽依子は酷く混乱しているらしい。そう結論づけて、時緒は顔を紅潮させながら、こほんと咳払いを一つ。
「…それらも…あの…ありがたいのですが…。エクスレイガの損傷が激しくて…、帰れないので…あの…迎えをお願いしたいのですが…?」
『はい!はい!行きます!直ぐ行きます!お迎えに行きます!!』
「道の駅の駐車場にいますので、僕のスマホのGPS…、」
時緒が言い終えない内に、通話は物寂しい電子音を残して途絶えた。
「芽依子さん…どんだけ慌ててんのさ…」
「お前の仲間が来るのか?」
苦笑する時緒の顔をシーヴァンが覗き込む。
今、時緒とシーヴァンは、ガルィースの残骸に並んで腰掛けながら猪苗代の風に吹かれていた。
「はい!直ぐに迎えに来てくれるそうです!」
「そうか…良かったな」シーヴァンが微笑んだ。
心から安心した顔だ。
「シーヴァンさんは?宇宙からのお迎えは?」
「ふむ…連絡手段はあるが…」
腕に嵌められたリング型の機械を二、三回指先でつついて、シーヴァンは空を仰ぐ。
「手間をかけて申し訳ないが、一旦お前の仲間に俺の身柄を預けたいと思う…」
「え?」
「…俺はお前に敗北した…。つまり俺はお前たちの捕虜だ…」
「捕虜だなんてそんな!それに敗北って…」
「……」
時緒は言い淀んで、その表情を曇らせた。
「シーヴァンさん…最後…
「…翻訳機が壊れたか?何の話か分からない」
「惚けないで下さいよ!」眉を吊り上げて、時緒はシーヴァンを睨む。
「最後の一太刀、シーヴァンさんなら受け止められた筈です!いや!逆に斬り返す事だって…」
「はは…、買い被り過ぎだ…」
「いいえ!シーヴァンさんは僕よりも強いです!剣を交えて分かりました!」
「……」シーヴァンは澄ました顔で、残骸の上にごろりと寝転がる。
何処からともなく紋白蝶が飛んで来て、シーヴァンの右耳の先端に止まった。
「…
「…シーヴァンさん…」
「………今のお前には勝利が必要だと思っただけだ」
悪戯小僧の笑みで、シーヴァンは寝転がったまま時緒を見上げる。
「この勝利を経て、更にお前は強くなる。強くなったお前と、俺たちルーリアは更に充実した戦いが出来る。そう思ったら楽しくなってしまってな?何、俺の悪い癖だ…」
「…シーヴァンさんには…敵いませんよ…」
「言っておくがトキオ?お前は本当に強かったぞ?俺も本気だった…」
「はいはい…。そう言う事にしておきますよ…」
「むぅ…地球人は疑り深いな…」
時緒は溜め息を吐きながら、シーヴァンと同じように空を見上げた。
やがて…。
ばたばたばたと、騒々しい回転音を響かせながら二基のローターを搭載した黒一色の輸送ヘリが一機、雑木林を突風に揺らしながら現れたのだ。
輸送ヘリの胴体には白文字で【イナワシロ特防隊(民)口の固いスタッフ募集中】と描かれているのを、視力両目共に二・〇の時緒は見逃さなかった。
「皆だ!」
「トキオ?あれがお前の仲間達か…?」
「はい!皆とっても良い人たちです!!」
輸送ヘリはホバリングをしながらゆっくりと降下していく。
薄暗い風防越しの操縦席で誰かが手を振っていた。
地面に着陸するまでおよそ三メートルの所で胴体のハッチを開けて一人の人影が飛び降りた。
その身を地球防衛軍の歩兵部隊で正式採用されている耐弾装甲で包んだその人影は、時緒の姿を確認すると一目散に駆け寄って来る。物凄い脚力だ。
人影の髪がなびく。
長い亜麻色の髪。
「時緒くん!!」
芽依子だった。
「芽依子さん!!」
嬉しさが爆発した時緒は残骸から飛び降り、感慨深げに頷くシーヴァンに背を向けて、芽依子へと走る。
「時緒くん!よく…よく頑張りました!!」
陽光に潤んだ瞳を輝かせて、芽依子は時緒へ向けて両手を伸ばす。
抱き締めたかった。
頑張って戦った時緒を抱き締めて、その豊満な胸で癒してあげたかった。
ただそれだけだった。
だが……。
嬉しさの余り芽依子は忘れていた。
安全の為にと麻生から言われ、耐弾装甲をその身に装着していた事を……。
「ふぎゃんっ!!」
芽依子によって強く抱き寄せられた時緒は、芽依子の胸を覆っていた装甲に頭をぶつけ、間抜けた悲鳴をあげて昏倒した。
強化セラミック製の装甲が脳を揺らすその衝撃は、戦闘で著しく精神力を擦り減らしていた時緒から意識を全て奪い取ってしまったのだ。
「い、嫌ぁぁぁぁっ!!時緒くん!時緒くん!?時緒くぅぅぅん!!?」
芽依子は涙目で時緒を起こそうと揺するが、完全に気絶した時緒は白目を剥いて泡を噴いていた……。
「………」
感動的なシーンを期待していたシーヴァンの渋い表情が、舞う紋白蝶と一緒に、猪苗代の風にそよいでいた。
続く
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