第78話 戦をせむとや生まれけむ:ホリホック果たさん
カホラの衝撃的な提案に、ソルはしばらく何も言えなかったが、ようやく口を開いた。
「…………しかし、あの敵数相手に出撃しても」
「まあ聞けよ。ドローン4機を囮にしたところで敵は来る。それを動けないエグザイムが艦をかばって戦うなんてどだい無理だ。多少は持ちこたえるかもしれねえが少し艦に攻撃がかすっただけでもう終わりだ。それ以上はどうしようもねえ。それは、お前も薄々わかってるだろ?」
「………………」
ソルは答えない。だが、その目は口ほどにものを言っていた。
「そこで囮に<リンセッカ>を加える。ただやかましい通信をバラまくドローンとは違うぜ? ヌルという現状では最大の戦力が乗ったエグザイムがひたすら攻撃を仕掛ける。となると、自分か相手がネジ1本になるまで標的を破壊しようとするデシアンのことだ、破壊するまで<リンセッカ>をしつこく狙うだろう。そうしてそっちに注目している間、アタシたちはずっとメインシステムを調整し続け、手の空いた奴は他のエグザイムを修理し続ける。そこからは賭けだ―――こちらの修理が終わるか、あちらの攻撃が来るかのな」
「確かにそれなら少しは生存確率が上がるでしょう。
しかし、ヌルは? ヌル、君はこの作戦を知っているのか?」
怒りを押し殺した声でソルは静かに佇むスノウに聞く。すると、やはり静かにスノウは口を開く。
「いや、初耳。何か考えがあることはなんとなくわかっていたけど、それが僕の技量頼りのものだとは思ってなかった」
「他に何か手はあるか?」
「ないよ。先輩の作戦が最も希望があると思う」
「…………孤軍奮闘になる。死ぬかもしれないが、やってくれるのか?」
「今の君は名目上とはいえ艦長だ。一兵卒の僕からしたら上官だ。だから、君は『やってくれ』じゃなくて『やれ』と言えばいい」
「………………」
「『やれ』と言われれば、僕は命令に従う。使い捨ての駒同然だったとしても、それは変わらない」
彼は一切の迷いなくそう言い切った。
ソルはそれを聞いて思う。自分が同じ立場だったら平常でいられるだろうかと。そう思ったからこそ、スノウの覚悟を無駄にしてはいけないとも思った。
「先輩、ドローンの改造と<リンセッカ>の修理にはどれくらいの時間がかかりますか?」
「6時間は欲しい」
「わかりました。
ヌル、君に6時間休憩を与える。その間自由にしてくれて構わない」
「………………」
「6時間後、準備ができ次第ドローンとともに出撃。デシアンを見つけたら交戦し時間を稼げ。命令は以上だ」
「了解。命令通り休憩に入る」
「先輩もすぐに作業に取り掛かってください」
「あいよ」
そう言って出ていったふたりが見えなくなってから、エミルがおずおずと言う。
「スフィアくん、いいの……?」
「…………何がだ」
「ギルド先輩の言うこともわかるけど、だからって……」
「………………」
ソルは何も言わずに拳を握り締めて、肩を震わせた。
スノウとカホラがブリッジから去ってから間もなく放送が流れ、艦内に現状が伝わった。しかし混乱を避けるため、メインシステムが動かないこと、スノウを出撃させること、この2点は説明せずドローンで時間を稼ぎつつエネルギーを溜め危険がないうちに離脱することになっていた。
その放送を聞きつつ、スノウは廊下で自分に頭を下げるカホラを見下ろしていた。
「…………先輩」
「すまねえ……」
ブリッジから出て並んで歩いていると、カホラが突然呼び止めて頭を下げてきたのだ。だが、頭を下げてきた理由はわかるので特に驚きもしない。
「ああ言うしか……ああ言うしかなかったんだ……。どんな酷い手段でも、人手も時間も足りねえ状況でなんとか戦力を確保しようと思ったら、お前に頼るしか……」
「それはそうでしょうね」
「…………好きなだけ罵ってくれ。殴ってくれ。アタシはそうされるだけのことを言っちまった」
カホラの肩が震えているのがスノウには見える。きっとその脳裏にはいろいろな感情が渦巻いているのだろうと察するのは簡単であり、それゆえに彼女が罰を求めていることもわかる。
だが、スノウは震える肩に優しく手を置く。
「何もしません。したところで意味がないから」
「…………わかってんのか? アタシはお前を犠牲に時間を稼ごうと、そういう提案をしたんだぞ」
「死なないかもしれませんし」
「馬鹿言え。わかってるはずだ、あの軍勢相手にそう長く持たないって……」
「ええ、まあ。ドローンで戦力をいくらか分散したところで数はそんなに減らないでしょうし、残りを僕が全部引き付けるとならば―――死体が残ればよい方でしょうね」
「ヌル……」
ゆっくりと顔をあげて潤んだ目で見るスノウは、いつもと変わらぬ仏頂面だった。
「死ねって言われて、そんな顔すんなよ……」
「今の先輩みたいな顔した方がいいですか?」
「…………ばっかやろう」
「僕は恨みも罵りも殴りもしません。ただ、葬式の時にその顔で送って、僕に死ねと提案したことを死ぬまで忘れなければそれでいいです」
「…………わかったよ」
「じゃあ、懺悔は終わりです。先輩は先輩のやることをしてください。こんなことしていて『<リンセッカ>の修理終わりませんでした』なんてなる方がバカバカしい」
「…………それもそうだな。アタシは行くとするよ。お前もしっかり休めよ」
「はい」
そこでカホラはスノウの元から去って行った。
スノウはまるで独り言のように言う。
「もう出てきていいよ」
「…………今の話はどういうことだ?」
「聞いたままの通りだよ、ナンナ」
物陰から姿を現したナンナ。わずかに、この春から付き合ってきたスノウだからわかるぐらいわずかに眉間にしわを寄せたナンナにスノウは言う。
「砲撃を担当するパイロットに声をかけに行くんじゃなかったっけ」
「そう思ったが、君も先輩もなかなかブリッジから出てこなかったから様子を見に戻ったんだ。そうしたら、先輩が君に頭を下げているのが見えた。
…………盗み聞きを咎めるなよ。私は今、君に怒っている」
「自分の作戦を蔑ろにされれば、誰だってそうなる」
「ああ、そうだ。私は現状では最も犠牲が少ないであろうプランを提案したつもりだ。そして、それは承認された。だと言うのに、勝手にそのプランを捻じ曲げ出撃しようとしている。そういう話だったろう、今のは」
「合ってるよ。<リンセッカ>だけは比較的早く修理が終わるから、出撃させることになった」
「それで死ぬつもりというわけか?」
「死ぬつもりはないけど、無理だろうね」
「なら、私の立てた作戦通りに動けばいい。なのになぜ……」
「君を友人だと思うからはっきり言うけど、君が立てたあの作戦では無理だと思う」
「………………」
ナンナの眉間のしわが誰にでもわかるぐらいに寄せられる。
「最も犠牲が少ない、そんな作戦はもうない。できることをできるだけ全力でやるしかない。例えひとりが死ぬことになろうとも、残り全員生かす方法を取らないと」
「…………それが、君が犠牲になることだと言うのか」
「少なくとも出せるエグザイムは<リンセッカ>しかない。その<リンセッカ>は僕にしか扱えない。ならば、僕が行くしかない。君は、君が考えたように防備を固めて対応すればいい」
「そんな簡単に割り切れるものか! 君が命を捨てるというのに、防備を固めて待っていろだなんて……」
声を荒げてスノウにつかみかかるナンナ。呼吸音すら聞こえるぐらい近くで怒りに震える。
「勝手に考えて、勝手に決めて、勝手に命を懸けて! 秋人でなくたって怒るぞ、そんなことは! なんで君はそう、自分の命を勘定に入れて物事を考えないんだ!」
「そもそも死ぬのが怖くないというのはあるけど……今回に関しては僕に責任があるからね。僕がしっかりとフィリップス君を殺していればみんながここまでの危険にさらされることはなかった。だから、状況を打開するなら僕がやるべきだし、その上で死ぬのはその責任の範疇だから」
「…………なんで、そんなに君は強いんだ。
私には……私にはそんなことはできない……」
スノウをつかむ手から力が抜けていく。そのうち膝が体を支えることに限界を迎え、ナンナはその場に崩れる。
スノウはゆっくりとその場を離れて、そして言う。
「だから、僕がやるんだ」
ナンナはスノウの背中が見えなくなっても立ち上がれなかった。
6時間の暇は、人生最後の時間と思えば一瞬だろう。
だから、スノウは読みかけの本のことを頭の中から消した。最後の時間をひとりで過ごすより、残される人たちのために何かできないかと思ったのだ。
少し考えた末、彼は医務室へと足を運んだ。
(看護科の人たち、人手が足りないって話だもんな)
先日、マロンと話していた時のことを思い出しながら扉を開けると、消毒液の匂いが鼻をかすめた。
作業中の看護科の学生がやってきたスノウに気が付いて声をかける。
「ヌルくんじゃない。どこか怪我でもした? でも、ちょっと忙しいから軽い怪我なら後回しになっちゃうけど……」
「いや、怪我はないよ。ただ、忙しそうだから何か手伝えないかなって」
肩をすくめてそう言うと、看護科の学生はにっこりと笑ってスノウに医薬品などを押し付ける。
「そういうことなら大歓迎。これを全部元の場所に戻しておいて!」
「…………了解」
それぞれの医薬品がどんな使い方をするのか、どこに普段置いてあるのか、名前すら知らないそれらを人に聞きながらなんとかかたし終える。すると次は別の仕事を与えられそれをこなし、それが終わればはたまた別命を与えられ……。
そんな繰り返しだったが、スノウは文句ひとつ言わず黙々と続けた。そして、ある時与えられた受付の仕事をしていると、見知った人物が医務室に訪れた。
「邪魔するぜー」
「邪魔するなら帰って」
「…………なんでお前がここにいるんだよ」
「看護科の人たちのお手伝い。秋人こそどうしたの。怪我でもした?」
怪我じゃねえ、と前置きしてから秋人は言う。
「アベールの様子を見に来たんだよ。ついでだ、お前も一緒に来い」
「いや、受付……」
「ちょっとくらい大丈夫だろ、いいから来い」
来いと言いつつ襟をグイグイと引っ張るため、スノウは抵抗をあきらめて素直に引きずられることにした。
いくつかのベッドが大部屋の中に並んでいる。野戦病院さながら状況のそのうちのひとつ、カーテンで仕切られている一角にアベールが横たわるベッドがある。
目を閉じて静かに寝ている様は、長い髪と中性的な顔と相まって童話に出てくるお姫様のようだが、備え付けの計器と人工呼吸器の存在が彼が安らぎの中にいないことを示している。
ベッドの脇の椅子に座りながら秋人は言う。
「状態は良くなっているらしいがな、ピクリとも動かないあたり心配になるよな……」
「こればかりは僕たちにどうしようもないからね……。治療はもちろんだけど、本人の気力が何よりだから」
「珍しいな、お前が精神論的なものを口にするの」
「僕が今のアベールにしてやれることは何もない。だから、本人の力に頼るってだけ。僕自身のことだったら、気持ちになんて頼んないよ」
「でも、やっぱ気持ちって大事なんじゃないか? 何もかもダメだった時、最後は気持ちが強い方がうまくいくと思うぜ。だから、せめて死ぬ瞬間までは諦めんなよ」
「………………」
その口ぶりはまるでスノウが近いうちに死ぬことがわかっているかのようだった。だから、スノウは問う。
「これから僕が何をするか、知ってるんだ」
「一応な。ナンナから聞いた。そして、その時ナンナから何を頼まれたと思う?」
「説得しろ、とか?」
「あたりだ」
フッと少しニヒルに笑う。
「まあ、やめろつってもやめないだろ」
「やめない」
「そうだよな。お前は……そういう奴だよな」
「また殴るつもりなら、今のうちにやっておいた方がいいよ」
「殴らねえよ。だけど、せめて出撃する前にアベールには報告しとけよ」
強引に連れてきたと思ったらそんな理由だったのか、とスノウは納得した。スノウとしても出撃前にアベールの顔を見ておこうと思ったのでちょうどよかった。
アベールの手を握って言う。
「僕はこれから出撃してくる。偵察用ドローンの映像を覆いつくすほどの敵の数を相手に時間を稼いでくる。きっと戻ってこられないだろうから、君が目を覚ました時は秋人や雪ちゃん、みんなを守ってあげてほしい」
そう言うと、アベールが強くその手を握り返してきた……ように感じた。今の容態で握り返せるわけがない。だから、スノウはその錯覚はアベールが自分にエールをくれたのだと解釈することにした。
(ありがとう、アベール)
スノウは立ち上がって、秋人に言う。
「秋人もありがとう」
「なんのこったよ」
「それでもだ。
…………君には才能がある。努力家でもある。今はまだまだでも、いずれ僕なんか追い抜かす時が来る。だから、その日まで生きてくれ」
「…………馬鹿野郎、お前も生きて帰ってくるんだよ」
「………………」
秋人の声がかすかに震えているのに気が付かないふりをして、スノウはその場を去った。
その後も看護科の学生たちの手伝いを続け、出撃まであと2時間といったところでスノウは自室へと戻って来た。その1時間で机に向かって紙に何かを書き続け、それを綺麗に折って封筒に入れた。
そして、出撃まで1時間を切り、彼はパイロットスーツへ着替えて待機室へ。
ここまで来てしまったら、もう何もしない。ただ椅子に座って目を閉じその時を待つだけ。
「………………」
目を閉じてどのくらい経っただろう、ウィーン、と扉が開く音がした。片目だけ開いて前を見る。
そこには、肩で息をする雪が立っていた。
「はあ……、はあ……、やっと見つけた……」
「お疲れだね」
「誰のせいだと思ってる?」
「ナンナから話を聞いて、それで探し回っていたわけ?」
「…………そうだよ」
呼吸を整えて、スノウの目をしっかり見て言う。
「今度といい、この前といい、どうしてスノウは自分を大事にしてくれないの?」
「………………」
「いつだって率先して動いて、いつだってそれで危ない目にあって。そんなんで自分を大事にしているって言えるの!?」
「自分を大事にする以上に、それらは必要なことだからさ」
「またそれじゃない。必要だから、合理的だからって……」
うつむいて肩を震わせる雪。今にも消えていってしまいそうなかすれた声がスノウの鼓膜を揺らす。
「怖くないから……? 嫌な事とか、苦しいこととか、そういうの感じられないから、そんなこと言えるの……?」
「あれ、雪ちゃんにその話したかな……」
「…………ごめん、マロン先輩と話しているのを聞いちゃってて」
「そっか。それなら話は早いね。
確かに僕は怖いとか、苦しいとか、そういう感覚を感じることはない。そういうのを感じる器官が麻痺しているのか、負の感情を感じてはいるけれどそれをストレスと処理できないのか、あるいは他に理由があるのか、それは知らないけどとにかく昔からそうだった」
「………………」
恐怖や苦痛を感じないから、非人道的なことをいくらでもできてしまう。必要ならばいくら自分の身が滅びようとも関係ない。
今まではぐらかされてきたことにようやく答えを得られた。以前の雪であればそれを聞けただけで納得して引き下がっていただろうが、今は違う。
「…………辛いことを辛いって感じないからって、スノウばかりが背負うのは間違ってるよ。スノウだって、ひとりの人間なんだから……」
「………………」
「あたしにはすごく優しいのに、どうして自分には優しくできないの?」
「………………」
(自分に優しくか……考えたことなかったな。僕に、それを考える資格はあったのだろうか)
ふとそう思って、一瞬だけ考える。しかし、すぐに答えは出た。
(そんなものはない。
僕は生まれたいと思って生まれたわけじゃないし、それは僕の両親もそうだろう。
所詮は権力者の欲望のために生まれたのだから、そんな命が自分に優しくできるわけがない。僕に課せられたものは…………)
「責任と、使命のためかな……」
「…………責任と使命?」
「そう」
「フィリップスくんのことだったら、それはスノウだけのせいじゃないよ……」
「僕が果たさなければならない責任というのはそれもなんだけど、それだけじゃないんだ。
雪ちゃんは、どうして僕たちがこんな状況になってしまったかわかる?」
「え……? それは……」
指折り数えて読み上げる。
「ワープして冥王星付近に来ちゃったから……? でも、もっと前かな……。フィリップスくんが暴れて格納庫が大破しちゃったからかな? いや、それも結局……」
「…………もっと根っこだよ」
「根っこ?」
「サキモリ・エイジがデシアンを殲滅しなかったからさ。彼は確かに地球圏に押し寄せてきた大群はすべて破壊したけど、突如失踪して地球圏の外に去っていた軍勢には何も手を付けなかった。だから、今地球圏にいる僕たちはデシアンによって苦しめられている」
「それは……そうかもしれないけど」
その言葉にサキモリ・エイジの子孫たる自分が責められている気がして、雪は少し眉を顰める。
しかし、スノウの言葉が自分を責めているわけではないとわかったのは、彼がこう言ったからだ。
「サキモリ・エイジのミスによってみんなが危険な目に遭うなら、それを解決するのは彼の子である僕の責任なんだ」
「…………え? 彼の子って……」
「言葉の通りだよ。僕は、サキモリ・エイジの実子なんだ。…………もっとも、血縁上そうというだけだけど」
「え? え? そんなわけないじゃない。だってサキモリ・エイジは100年以上前の人物だよ? もしスノウが実子ならとんでもないおじいちゃんじゃない」
突然の告白に戸惑いながらも、スノウの言葉を否定する雪。
「それに、他に親戚がいるなんてあたし聞いてないし、こんな時に冗談言うなんてスノウらしくないよ」
「君が僕の存在を聞いているわけないよ。僕は病院に保管されていたサキモリ・エイジの精子と他に保存されていた一般女性の卵子を使って人工的に生み出された試験管ベビーなんだから」
「………………」
「…………信じられないと言われたら、それまでの話さ。
でも、僕がこの世界で、きっかけが誰かのエゴだったとしても、サキモリ・エイジの子として産み落とされたからには、やるべき使命があってのことだと思うんだ」
「…………それが、この状況で出撃して死ぬことだって言うの?」
「エグザイムに乗って才能を持つみんなを守って死ぬことは、愛なき誕生をした僕には過ぎた末路だよ。
この状況は天が与えもうた使命なんだと、僕は思う」
スッとスノウは立ち上がる。
時計の針が約束の時間の10分前を告げているのは、スノウにしかわからない。
「…………駄目」
雪は腕を広げてスノウの前に立ちふさがる。雪には今の時間はわからない。だが、ここで行かしてしまったらもう2度と会えない気がしてならなかった。
「行っちゃ駄目」
「どうして?」
「スノウが、死んじゃうから」
「座して死ぬか、戦いで死ぬか、それだけの違いさ」
「違うよ。ぜんぜん違う。少なくとも、ここにいれば宇宙でひとり死ぬことはないから……」
「その代わり、みんなにも一緒に死んでもらおうって?」
「スノウがひとりで死ぬくらいだったら、そっちの方がマシだよ!」
大きな瞳から雫を床に落として雪は叫んだ。ぎゅっと目を瞑るけれど、涙は溢れて止まる様子がない。
「誰かの勝手で産まれて、誰かの勝手で生かされて、みんなのためにひとりで死ぬなんて悲しすぎるよ……!」
「…………雪ちゃん」
スノウは一歩踏み出す。
決して威圧的な動きではなかったが、雪は一瞬ビクッと震える。
そして、ゆっくりと雪へと近づき、彼女を抱きしめた。
「ありがとう。そうまで僕のことを憐れんでくれた人は君だけだ。だから、君は生きてほしい。優しい心を持った君は、きっと滅んでいい命じゃないから……」
「スノウ……」
「行かせてくれるかな」
「…………やだ。死んじゃいやだよ……」
負けじとスノウを抱きしめて雪は泣きじゃくる。
「行かないで……行かないでよ……」
「行かないと、君を守れない」
「やだ! だって、だって……あたし、スノウが―――」
「雪ちゃん、行かせてもらうよ」
頭をなでながらそう囁いて、スノウは雪を優しく引きはがして外へ出ていった。
残された雪はひとり、糸が切れた人形のようにその場にへたりこんでしまった。
<リンセッカ>の近くに立っていたカホラはやって来たスノウに気が付いて言う。
「…………準備はできてるみたいだな」
「ええ。<リンセッカ>は?」
「最高の仕上がりだよ。爆散するのが惜しいくらいだ」
「普段より太っていますね」
肩部どころか腕部や脚部がいつもよりマッシブなシルエットになっている白い巨体。その理由をカホラの代わりに今しがたコックピット周りの調整から帰って来たダイゴが答える。
「これから出撃するお前の為に、他のエグザイムの武器をいろいろ積んだんだ。内訳はな―――」
「そのあたりもしっかりコンソールに反映されてるんでしょ。なら、見て確認するからいいよ。
ありがとう、ロンド君。先輩にも、すごくお世話になりました。お世話になったついでに、ひとつ頼まれてくれませんか」
「なんだよ」
「これ、スフィア君に渡しておいてください」
スノウは封筒をカホラに手渡した。
カホラはそれが何なのかわからなかったため中身を聞こうと思って、やめた。自分宛のものでないものの中身を聞くのは無粋だと思ったし、こういう時に封筒に入っているものなんて相場がだいたい決まっている。
(北山でもオーシャンでも沼木でもなく、スフィアってのは引っかかるが……)
封筒をしっかり作業着のポケットに入れてカホラはうなずいた。
「わかった。お前が出たらすぐ渡していいのか?」
「先輩の都合のいい時でいいです。スフィア君が忙しい時を避けることを勧めますが」
「じゃあそうさせてもらう。
…………出撃準備をするか。ここはアタシひとりで大丈夫だから、ロンドは他のエグザイムの修理に取り掛かってくれるか?」
「わかりました」
「じゃ、行くかヌル」
「はい」
スノウは床を蹴って<リンセッカ>のコックピットへ。そして、コンソールを操作する。
「…………最高の仕上がりというのは、伊達じゃないみたいだ」
「どうだ、ヌル。武装も確認したか?」
「今からします」
促されるまま武装を調べると、確かにバラエティ豊かに搭載されていることがわかった。そんなバラエティのひとつ、リストの末尾に見慣れないものがあった。
「先輩、これは?」
「…………自爆コマンドだ」
「なるほど。最後の最期、もうどうにもならなくなったら使えということですね」
「ああ。全エネルギーを解放して大爆発を起こす。
おめーのことだから、どうせ撃墜されるなら1機でも道連れにしたいだろうと、そう考えて搭載した」
「できるならそうしますね」
「…………すまん」
頭を下げるカホラを見ないふりして他のチェックを続けていると、カホラ以外にもうひとりコックピットに入ってくる人物が。
「待~って~」
「グレーか。狭いから無理に入ってくんなよ……」
「どうしたの、グレーさん」
「こ~れ~」
カホラを押しのけながらエルがスノウに長方形の薄い物体を手渡す。
「…………押し花のしおり?」
「そ~。雪~の~」
「どうして?」
「ん~? なん~と~なく~? お守~りとして~持ってて~」
エルが持ってきたそのしおりは、雪が普段コックピットに持ち込んでいるものだ。雪には無断だが、スノウに渡したと言えば許してくれそうではあるし、仮に怒られてもこれから死路に立ち向かうスノウに比べればずっとマシだから構わないと思った。
スノウはなぜエルがこれを自分に渡してくれたのか理解できなかったからしばらく眺めて……パイロットスーツのポケットに入れておくことにした。
「…………返せないから、その時はグレーさんから謝っておいて」
「りょ~かい~」
「グレー! 用事が終わったんならどけ!」
「ごめんなさい~」
エルは微塵も申し訳なさそうにせず去って行った。
「…………いろんな奴が、お前を想って動いてくれてんだ。それはお前ならわかってるよな」
「もったいないぐらいですけどね。死ぬ人間には」
「じゃあ、アタシは行くぜ。メインシステムを直しに行かなきゃならねえ」
「直らなかったら僕が無駄死にですからね。時間だけはなんとか稼ぎますから、そっちは任せます」
「…………ああ、アタシの仕事だ。お前の仕事を無駄にはしない。
じゃあ、頑張って来いよ」
「はい」
上京する若者とそれを見送る親友のような、寂しさをはらみつつもどこかさっぱりとした会話だった。
カホラはコックピットから離れて、スノウの位置からでは見えないところへ行ってしまった。
スノウはコンソールを操作してブリッジと通信をつなぐ。
「こちら<リンセッカ>。ブリッジ、聞こえますか?」
「ヌルくんー。聞こえてるよー」
『スフィア君に代わってもらえる?』
「りょーかい」
シミラがこちらを見たので、ソルはスノウが呼びかけてきたのだとわかった。すぐに応答する。
「…………準備ができたか」
『僕はいつでも出撃できる。ドローンの準備は?』
「まもなく完了する」
「スフィアくん、もう出せるみたいよ」
「聞こえていたか?」
『はっきりとね』
「…………命令した俺がこんなことを言うのは、間違っている。それはわかっているけど言わせてくれ。できれば、生きて帰ってきてくれ」
『考えておくよ。
それより、ギルド先輩に君宛の手紙を渡しておいたから、状況が落ち着いたら読んでおいて。読まなくても別にいいんだけど』
「了解した。…………他に、言い残すことはあるか?」
『ない』
「…………では、ドローンを飛ばす。出撃してくれ」
『了解』
ソルはドローンを操作するエミルに合図を送る。
頷いたエミルがコンソールを操作すると、艦首から4つの黒いドローンが勢いよく飛び出していった。
そして、その4つのドローンを追いかけるように、白い点が発射されていった。
「すまない……」
ソルはその白い点に向かって頭を垂れるしかなかった。
遠征23日目 乗組員:200名 負傷者:85名 死傷者:21名
(続く)
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