第59話 不安の種:開くのはハッカ

 <シュネラ・レーヴェ>の個室は、リビングとトイレとシャワールームのみっつで構成されている。リビングといっても家具らしい家具はテーブルと椅子とベッド、それに簡素なモニターがあるだけだ。

 そのリビングの椅子に座ってスノウは本を読んでいた。今は8時間の休憩時間。睡眠時間もこの間に取らないといけないのであまり長くは読書できず1日1時間までと自分で決めているのだが、それゆえにこの時間をスノウは大事にしていた。

 不慮のワープが起きてから早7日目。1日たった1時間の読書タイムのためにまだ1冊も読み終えてない。だが、そのページも残りわずか。今日中に読み切ってしまいたい……と思ってページをめくると、個室の呼び鈴が鳴る。

 しおりをスッと入れてスッと立ち上がりそのまま扉の方へ歩く。扉の脇には小型モニターがついており、来客が誰かひと目でわかるようになっている。


「…………雪ちゃんか。今開けるね」


 ロックを解除して扉を開ける。小型モニターに映った通りのセミショートの髪とつぶらな瞳がそこに待っていた。


「あ、スノウ……。ごめんね、今大丈夫だった?」

「本を読んでいただけだよ」

「えー、それは大丈夫だって言えるの? スノウにとっては大切な時間じゃ……」

「大切だけど、何か用があって来たんならそっちが大事なこと」


 扉を開けたまま場所を譲り中へとそれとなく招いているスノウに「お、お邪魔します」と言ってから中に入っていく。


「適当に座って」


 とは言うが、椅子はひとつしかない。雪はベッドに座った。


「飲み物は……そういえば切らしているんだった」

「あ、お構いなく」

「厨房で適当に見繕ってくるから、ちょっと待ってて」


 気を使わせたら申し訳ないと思うのだが、それでも扉から出ていくスノウを強く止めることはできなかった。


「………………」


 スノウがいなくなってしまい手持無沙汰になって、雪はこてんと横になる。


「…………って、ここあたしの部屋じゃないじゃん」


 与えられた個室は全部同じ様式なので自室にいると勘違いしてしまい、自分のベッドではないのについ横になってしまった。だが、雪は横になったまま起き上がらない。

 少しそうしていたかと思うともぞもぞと寝返りをうちうつぶせに。枕に顔をうずめる。


(スノウの匂いがする……。なんだかとっても……落ち着くなぁ)


 目を閉じてしばらくスノウのフレーバーに酔う。そのまま意識が吸い込まれそうになるが―――。


「ただいま」


 スノウの声にはっとして覚醒。すぐに起き上がり居住まいを正し、ベッドを整える。そうしてスノウがリビングに戻ってきた時にはもうすっかり元通りになっていた。


「ウーロン茶があったから、それを持ってきた」


 グラスふたつと7割ほど中身が入ったピッチャーを持ってきてテーブルに置く。

 とぽとぽ……とウーロン茶が注がれたグラスを雪に渡してスノウは言う。


「それで何の用で来たの」

「…………えっと、その」

「うん」

「ちょっと世間話をね」

「世間話か……」


 なにか話すようなことあったかなと首をかしげるスノウを見ず、ただグラスの茶色い水面を見つめる雪。


「うん。突然わけもわからないところに来ちゃって、敵に襲われて、家事も色々やることになって……。

 なーんかこの1週間大変だったねぇ」

「そうだね。生まれてから1週間前までで切った食材の量と、この1週間で切った食材の量を比べたら圧倒的に後者の方が多いだろうね。

 人数分の調理をするのは結構時間がかかる作業だった」

「ねえ、スノウ」

「うん」

「…………いつまで続くのかな、こんな日々」


 雪の持つグラスの水面がかすかに波立つ。顔は伏せられているので、スノウからは表情が見えない。

 だが、スノウは毅然と言う。


「僕にはわからない。きっと誰も答えを保障できない。

 そんな先が見えない状況で先のことばかり考えて無事で済むほど余裕があるわけでもない。

 なら、終わりが来るまでひとつひとつ目の前の障害と戦うしかない」

「…………スノウは強いね。不安じゃないんだ」

「そうだね。不安を感じてない」

「でも、あたしは……怖いよ。

 先も見えないのに敵はどんどんやってくるし、資材だって限界がある。このままじゃいつか……」

「それ以上はダメだ」


 いつもの調子とは違いかなり強い語調。

 雪は瞳を潤ませてスノウの方を見る。


「でも、何人も怪我して、何人か死んじゃって……。その中にあたしの友達だっていたんだよ……。

 …………次は誰がそうなるんだろう。あたしかもしれないし、知らない人かもしれないし、…………あたしの大事な人かもしれない。そうなったらあたし……」

「………………」


 今にも泣きださんばかりの表情の雪。自分の中でいろんな感情がぐちゃぐちゃになってそれが処理しきれない、まだ10代の少女がそこにいる。

 そんな少女にかけてあげられるスマートな言葉が出てこない。だから、スノウは思いのたけをしっかりと強く言う。


「それは違うよ雪ちゃん。

 大事な人を殺さないために自分が戦うんだ。

 死んだ人間は誰かを生かすために死んだ。そこでその死を悼むだけで何もしなくなったら、死んだ意味がなくなってしまう。その時が、その人が本当に死ぬということ。

 雪ちゃんが戦うのをやめたら、雪ちゃんの友達は今度こそ本当に死ぬことになる。

 それだけじゃない、君が戦わなければ君の大事な人の命がまた奪われてしまうかもしれない」

「………………」

「君の大事な人たちを君が守るべきだ。誰かに託すのではなく、君には守る為の力があるんだから。守れる立場にあるんだから」

「…………守る為の、力」

「それがこの先戦う理由にならないなら、君は当面戦うべきじゃない。艦長であるスフィア君に言って戦闘員から離れさせてもらうしかない」


 戦うことを強制せず、戦わない道を示す。それが今のスノウができる最大の配慮だった。

 珍しく長々と話をしてしまったからかウーロン茶をぐいと一気飲み。空になっても注がず黙って雪の言葉を待つ。

 だが、待っても雪は口を開くことなくうつむいたまま。


「…………すぐに答えは出ないと思うけど、デシアンは待ってくれない。それは忘れないでほしい」


 そう言ってスノウはピッチャーと空のグラスを手に立ち上がる。


「どこに……?」

「返しに行ってくる。そのグラスは帰るときに自分で片付けてね」

「あ、だったら……一緒に行ってもうお暇するよ」

「…………わかった」


 移動中も雪は何も語ることはなく、またスノウも何も言わなかった。

 厨房にグラスやピッチャーを返して、そのまま雪の部屋までふたりは向かう。


「…………送ってくれてありがとね」


 雪の部屋の前に着いて、雪は口を開いた。


「別にいいよ。おやすみ」

「…………うん、おやすみ。また明日」


 雪がしっかり扉の奥に消えていくのを確認してから、スノウは踵を返した。




 いくら望まなくても次の日は来る。

 朝起きてパイロットスーツに身を包んだ雪は、待機所で秋人とナンナと会った。


「おっ、雪ちゃん。…………顔色よくないけどどうした?」

「気にしないで、へーきだから。

 ナっちゃんは<アルク>の調整はいいの?」

「だいぶみんな慣れてきたみたいで、私がいなくてもひと通り調整ができるようになった。もちろん最終的には私がするが」

「優秀だね~、ナっちゃんのチーム」

「<アルク>ってやたら胸部装甲分厚いけどなんでだ? パイロットと同じように脂肪でも入ってんのか?」

「…………秋人、それはセクハラだぞ」

「…………ジョークだよ」


 出撃待機と言っても8時間常に気を張り詰めることは難しい。だから、必要な時以外はこうして雑談することはちょうどよいリラックスになる。

 だが、雪の顔は依然として暗い。それがその場のふたりを不安にさせる。


「どうしたんだ、雪。やはり調子が悪いんじゃないのか?」

「…………いや、体は大丈夫」

「では、何が心配事でもあるのか」

「心配事というか……ふたりとも不安とかないのかなぁって」

「不安か……。ないと言ったら嘘になるが、指揮を執る立場な以上あまり考えてはいられないな」

「今んところはナンナやスフィアの指示を信じるさ、俺は。どーにもならなくなったらその時に考える」

(…………ふたりとも不安なんだ。だけど、責任や信用があるから不安を感じず日々をこなせる。もう1週間も宇宙を彷徨っているのに……)


 ふたりの言葉について少し考えていると、それを見透かしたかのようにナンナは言う。


「不安といえば我々がしっかりと地球圏へ帰還できるかどうかはある。だが、私は戦闘に関してはあまり心配していない。

 スノウやアベールが先陣切って敵を対処してくれるし、佳那はしっかりサポートしてくれている。

 それに雪もいるからな。君の射撃に幾度となく守ってもらった。敵がよほどの大軍でなければしばらくは対処できるだろう」

「お、俺は……?」

「もちろんお前もだ。…………盾としてはな」

「冗談だろ!? それだけじゃねえよなぁ!?」


 その後もナンナと秋人がにぎやかに話をするが、雪の耳にそれは入っていなかった。


(―――あたしの射撃に幾度となく守ってもらったか。確かにそうだけど……)


 『君の大事な人たちを君が守るべきだ。誰かに託すのではなく、君には守る為の力があるんだから。守れる立場にあるんだから』

 ふと昨日のスノウの言葉を思い出す。ナンナを助けたことは間違いなくそれの証明で、自分に守る為の力があることの証明であった。

 仮に自分が不安に潰されていたら、今ここで楽しそうに秋人と会話するナンナはいなかったかもしれない。いや、それだけではない。敵を撃墜した分だけ仲間たちが救われていると考えれば自分はどれだけの人を助けたのだろう。

 そう考え始めた時、雪はスノウの言葉をようやく理解できた気がした。


「あ……そうか……」

「なにが『そうか』なんだ?」

「えっ? あ、ううん、ひとりごとだから……」

「ならいいが……」

「…………ん?」


 ふと漏れた言葉を指摘される中、警報が鳴り響く。


「ケッ、さっそくお出ましってわけか」

「言っている場合か。出撃するぞ」

「了解」

「あ、ちょっと待ってよ!」


 待機所から素早く出ていくふたりを見て、雪も慌てて駆け出す。

 その足取りは来た時よりも軽かった。




遠征8日目 乗組員:200名 負傷者:9名 死傷者:3名

                             (続く)

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