第38話 シーリング・シー:本当のニセアカシア

 ふと気が付くと、スノウは海ではない場所に来ていた。

 まず、今の姿は水着ではない。グローブをはめているし、黒いパイロットスーツを着ている。顔に手をやると肌に触れる前に阻まれるのできっとヘルメットをしているはずだ。

 周りを見れば、ここは見慣れたエグザイムのコックピットだということがひと目でわかった。


(エグザイム……。僕は海にいたはずだけど……)


 そんな疑問とは裏腹に、体は勝手に動いて手はグリップを握る。


『フェイズ3 開始します』


 そして、聞いた数を数えたら熟睡できそうなほど聞き飽きた冷たいシステムボイスが耳朶をうつと、凄まじい衝撃がコックピットを揺らす。

 モニターには複数のデシアン―――、それも1種類だけではない。いくつかの種類のデシアンが次々と襲い掛かってきているのだ。

 そんな状況だというのに、スノウは汗ひとつかかずに、得心がいったようにうなずく。


(ああ、そうか。これは夢だ。海に来ているはずの僕が、何かしらの理由で見ているまやかしだ)


 とはいえ、その思考とは関係なく体が動く。右に左に次々と動かしてデシアンの攻撃を避けていく。そして避けるたびに攻撃は苛烈になっていく。


(これが僕の思っている通りだとすると、あと10秒後に―――)


 きっかり10秒後。<DEATH>がレーザークローを振り下ろし、コックピットより少し上にヒットする。

 最初とは比べ物にならない衝撃が襲い掛かる。その衝撃で割れたメインモニターの破片が真っ直ぐスノウに飛んできて―――左肩から鎖骨の間に突き刺さった。


(やっぱり、こうなるか―――)


 深く突き刺さっているというのに痛みは感じず、代わりに意識がホワイトアウトしていき―――



「ん……、むう……」

「あ、起きた……?」


 辺りは少し暗く横から雪がこちらの顔を覗いている。ゆっくり目を開けて見えたのはそういう光景。よく見れば色とりどりの幕が雪の後ろに見えるから、ここはパラソルの下なのだ、ということに気が付く。

 心配そうな雪の声とざざーん、ざざーんとさざなみの音が聞こえる。それは現実に戻ってきたのだ、という実感をスノウに与えていた。


「スノウ、大丈夫? あたしのことわかる? それと、ここがどこかも……」

「大丈夫。君は北山雪で、ここはオーシャン家のプライベートビーチ。今は夏季休暇で遊びに来ている」

「あ~、良かった! 心配したんだよ、1時間くらい気を失っていたから……」

「気を失っていた……」


 そういえば、なぜ夢なんて見ていたのだろう。眠るつもりなんてなかったのに。

 そんなスノウの疑問を見透かして、雪が答える。


「覚えてない? スノウ溺れたんだよ?」

「溺れた」

「うん。そのパーカー着たまま沖の方へ歩いていっちゃって、そのまま溺れちゃったの」

「…………ああ、思い出した」


 自由時間になった時、海に初めて来たものだから、どこまで足がついて、どこから泳がなければならないか調べるべく沖に向かって歩いていたらそのまま深いところに入ってしまい、水を吸ったパーカーが重りとなってそのまま沈んでしまったのだ。


「だから、パーカーが濡れているのか」

「しばらく浮かんでこないかと思ったら、今度はうつ伏せでプカーって水面に浮いてきたから、もうみんな慌てちゃって……」


 すぐに秋人とアベールがふたりがかりで砂浜へ引っ張り上げて、心臓マッサージ。幸いすぐに水を吐いて小康状態になったので、パラソルの下へ連れてきて寝かせた……。と雪は事の次第を説明した。


「それは……悪かったね。泳げないんだから、無理をするべきじゃなかった」

「そうだよ! みんな心配してたんだから、ちゃんと謝るんだよ? もし気まずいようだったらあたしも着いて行ってあげるから」

「わかった。…………そのみんなは?」

「ナっちゃんと佳那ちゃんは砂のお城作ってて、秋人くんは遠泳、アベールくんはお昼の準備ってとこかな。あたしがスノウを診てるから遊んでていいよって言ったの」

「じゃあ、ナンナと谷井さんには話をしてくるか……」


 確かに雪より少し後方でナンナと佳那が砂のお城を作っているのが見える。ひとまずふたりを安心させるために話をしに行こうと思って立ち上がろうとすると、雪がその手をつかむ。


「雪ちゃん?」

「…………その、さ。起きたばかりだし、もうちょっとゆっくりした方がいいんじゃないかな? 起きてすぐに動くと危険だって聞くし……」

「別にいいけど」


 特にけだるさや不調な感じはしないが、診ていてもらった手前その気遣いを無碍にするのもどうかと思ったので雪の言葉に従うことにして、スノウはまた腰を下ろした。


「………………」

「………………」

「…………あ、あのさ、スノウ」

「なに?」

「…………その、スノウって泳げなかったんだね。ちょっと意外」

「えっと、なんで?」

「んー、なんとなく泳げるイメージだったから。ほら、エグザイムに昔から乗っているって話だし、運動神経はいいのかなーなんて」


 宇宙飛行士用の訓練で、水泳の項目があるのはよく聞く話だ。浮力の働きによって疑似的に無重力下の感覚を得させるためのものだから、エグザイムをよく扱えるスノウも水泳くらいはできるものだと雪は思っていたのだ。

 実際、スノウも泳ごうと思えばきっと泳げるのだろう。だが、彼は言う。


「宇宙空間ならともかく、水泳なんてしたことないから」

「うーん、確かジュニアハイスクールで水泳の授業があったような気がするけど……」

「いろいろあったからね」

「何そのいろいろって?」

「………………」

「教えてよー」


 肩を思い切り揺さぶられるが、これに関しては口を割るつもりはない、という意思を黙って示す。


「むぅ。強情だね」

「雪ちゃんも大概だと思うけど。…………それに、君はどうなの。話せるの、自分の昔話なんかを」

「…………もうじゅうぶん休んだよね、そろそろいこっか!」

「む、ごまかした」

「砂のお城、あたしも頑張って作っちゃうぞ~!」


 あははと笑ってごまかされた形にはなったが、こちらとしても都合がいい。スノウもまた苦笑をして立ち上がる。


「僕も手伝うよ。

 あ、そうだ雪ちゃん」

「んー?」


 先に太陽の下へ出た雪が振り返る。髪がふわりと舞い、夏の太陽の下だというのに、どこか涼しさを感じさせる中、スノウは言う。


「―――その恰好、良く似合っていると思うよ」

「えっ……今なんて」

「じゃ、行こうか」

「ちょっと! もう一度! もう一度だけ言って!」


 「あーもう! ズルいよ、なんで今そういうこと言うかな~!」なんて後ろの方から聞こえたが、スノウは前に見える砂のお城を完成させることで頭がいっぱいだった。




 太陽光と炭火で熱せられた鉄網に肉が乗せられていく。

 それだけではない、野菜や穀物もどんどん乗せられていく。

 お昼は定番のバーベキューだ。

 アベールがじーっと食材を見つめ、適当なタイミングで各人の皿に食材を配給する。


「…………うまい。生焼きでもなく、焼すぎでもなく、ちょうどいい焼き加減だ!」

「感激はいいですから、早く食べてください」

「オーシャン、これらの食材はかなり上物と見たが、手配は君が?」

「一部は僕ですけど、ほとんどは僕の姉とその恋人のために……。

 おっと、これはオフレコでした」


 お口チャックのジェスチャーをして、再び配給に戻る。

 が、中途半端に話したせいで、むしろ彼女らの興味を惹いてしまった。


「お姉さんと彼氏さん? がもともと使う予定だったの?」

「まあそうですね」

「なんで使わなくなったんですか?」

「…………僕の口からはなんとも」

「そーいや、俺たちを誘うときもその辺は言ってくれなかったな」


 直前まで肉をかっ食らっていた秋人も会話に入ってくる。さて、こうなるとなかなか解放してくれなさそうだ、と思ったので、アベールはちょっと行儀は悪いが菜箸を器用に使って秋人の口に肉を叩き込む。


「これでよし」

「…………いいのか?」

「秋人ですから」

「ふぉふぁえ! はっふ!」

「なんて?」

「『お前! あっつ!』じゃないかな。ほら、飲み物」


 コーンをかじっていたスノウが通訳して、傍らにあった紙コップのオレンジジュースを秋人に差し出す。

 秋人は熱に悶えたままそのまま冷えたオレンジジュースを受け取る。

 しかし、紙コップはツルリと滑って秋人の指から逃げていく。自由の身になった紙コップは空中で傾き、その中身をスノウへ向かってぶちまけた。

 コロン、と紙コップが転がる音がする。しかし、その場の時は止まったかのようであった。

 数秒後、動き出したのは秋人だった。


「んくっ! わ、悪ぃ。拭くか?」

「椅子はね。僕の方はいいよ」


 幸いスノウが濡れたのはパーカーと水着の一部くらいで、どうということはなかった。普段着だったらそれでもよくはなかっただろうが、水着だったことが幸いしたとも言える。


「秋人、布巾はこれを使ってください。それとスノウ、洗濯機は脱衣所にありますから、そちらへパーカーをどうぞ」

「じゃあ使わせてもらうよ」


 パーカーを脱いでいくスノウ。露わになる上半身は細身の体に似合わないぐらい鍛えられていて、童顔とのギャップがある。

 が、今は誰もそんなところを見てはいなかった。スノウ以外の全員がまた固まっていた。


「…………どうしたのみんな」

「どうしたのってお前……」

「す、スノウ……。なんなの、その傷……」


 雪が恐る恐る指をさしたのはスノウの右肩から左わき腹にかけて一文字に刻まれた大きな傷。

 それだけではない。よく見るといたる所に切り傷や刺し傷や殴打痕、火傷痕などがあるのがわかる。中でも一文字の傷と左鎖骨の太い刺し傷、右わき腹の火傷跡は誰が見てもわかるぐらいはっきりしていた。

 戦火を思わせる傷跡とは対照的に顔は涼しいままで自分の傷跡を見る。


「ああ、うっかりしていた。人に見せるようなものじゃないね」


 傷跡を隠すようにパーカーを手に持って別荘の方へ去っていく。その背中にもびっちり傷があって、それにも驚かされる。


「なんなんだ、あの傷跡……。秋人とオーシャンも知らなかったのか?」

「ええ、初めて見ました」

「着替えの時とか一緒じゃないんですか?」

「俺とアベールは同じロッカールームだけど、あいつは利用者が少ない別のところの使ってんだよ。シャワーも俺たちより遅くに入って早く出ちまうから……あんなの見たことなかった」

「そうだったんですね……」


 話し合いの傍らで、雪は胸のあたりで拳を握り締め、スノウの去っていた方向を見ていた。去来するのはひとつの想い。


(あの傷は『いろいろあった』ときのものなの? そこで何があったの?

 知りたいよ、スノウ。あたし、スノウのこともっとたくさん……)


 雪は、今になって自分がスノウのことをよく知らないことに気が付いた。だから、知りたくなる。どんな人生を過ごしてきたのか。どんな家族がいるのか。

 きっと、それを知るためには自分から歩み寄らないといけないのだろう。

 彼女は決めた。あの場所に行くことを。覚悟を。

 後は、それをどのタイミングで伝えるか、それだけだった―――。

                                  (続く)

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