第36話 ゴーイング・シー:夏のネムノキ

 人生の夏休みとも称される大学生にとって、前期試験を終えた後の休暇、すなわち夏休みはパラダイスにも感じられる。言わば夏休みオブ夏休み、多くの学生たちが心を躍らせるのも無理はない。

 7月下旬、それはアベールの「夏休み、ふたりはどんな用事がありますか?」という質問から始まった。それは炎天下の繁華街で、3人でアイスクリームをほおばっていた時のことだ。


「用事ぃ? 実家に帰るぐらいだな。悲しいことに」

「特になし」


 それぞれソーダ味で中身がかき氷状になっているアイス、バニラアイスにチョコレートがコーティングされているアイスを口にしながら予定を言った。要は暇なのである。


「彼女さえ……彼女さえいれば……」

「では、ひとつ提案があります。

 海に行きませんか? …………ええ、今から説明しますよ」


 少し高級なアイスを口にしつつ、アベールはふたりを手で制す。とりあえず、残り少なかったので全部嚥下してから話す。


「まず、僕の両親が持っている別荘があるんですけどね」

「お、サラリとブルジョア発言」

「姉がこの夏に滞在する予定だったのに、急遽キャンセルになってしまったんですよ。しかも、滞在分の食材などはすでに搬入されてしまっている状況です」

「ほうほう」

「うん」

「そこで、食材はもったいないし、せっかくの夏休みなので遊びに行かないか、というお誘いです」


 その提案は砂漠にいる旅人に水がたんまり入った水筒を提供するが如く。特に秋人はすぐに食いついた。


「行く行く! 今すぐにでも連れてけ!」

「はいはい、連れていきますよ、連れていきますとも。

 スノウは?」

「行く」

「わかりました。では出発はいつにしましょうか? それぞれ準備もあるでしょうが」

「女子! 女子も連れて行こう!」

「…………はいはい」


 アイスの棒を捨ててから、アベールはスマートフォンを手に取ることにした。いつもの女性陣に連絡を取るのと、


(食材、6人分あったかな……)


 ちょっと確認しないといけないと思ったからだ。

 結局追加発注する羽目になるのだが、この時は友人らと遊びに行けるという楽しみでそんなことは些細なことに感じられたのだった。



 サンクトルム内、教室や研究室がある本館から少し外れたところに総務関係や進路相談用窓口のある別館がある。

 その別館の最上階である5階、そこに学長室がある。

 談話用のソファと、執務用の机とその上に置かれているコンピュータ、そして高級だが嫌味ではない色味の革製の椅子。それだけがこの部屋に置いてある全てだ。前任者がいたときはクラシックな調度品や歴代学長の写真なども飾ってあったのだが、現在の学長であるゲポラが就任したときにすべて片付けられてしまった。

 学生たちが夏休みに入って多少は落ち着いた今、護は椅子に座る学長の前に立っていた。

 護は緊張した面持ちで立っているが、対照的にゲポラは微笑んで話を切り出す。


「忙しいところ来てもらって申し訳ないな」

「いえ、問題ございません」

「ふむ、では5時間くらい話そうか」

「勘弁いただけないでしょうか」

「冗談さ。

 では、本題に入ろうか」


 月の光のような微笑みから一転、スッと笑顔が消える。明らかに愉快な話ではなさそうだ。


「先日の実技試験に関してなんだがね」

「はい。いかなる処分も受ける所存です」


 先日の実技試験―――サヴァンでのデシアンの襲撃事件のあと、護はすべてをゲポラに報告した。それは自らの失態を報告することと同義だったが、前例のないことだったし被害も出た。あんなことは二度は起こしちゃいけない、そう思えば当然のことだった。

 そう思えばこそ巌のような拳を握り締め、真剣な顔で次の言葉を待つのだが、ゲポラは柔らかな口調で返す。


「そう急かないでくれ。ただ君を処分すればそれでいいという話ではない」

「というと……」

「私も君の提出した報告書に目を通した。全体的に興味深い内容だったが……特に気になったのは敵対した2種のデシアンのことだ。

 調べてみたところ、あれらはここ10年ほど姿が確認されておらず、他の機体を引きつれず単独で来たのは初めての事例のようだ。

 なぜこのようなイレギュラーが起きているのか、デシアンにはどういった目的があるのか―――」

「それは私も疑問に感じました」

「今回はひとりの学生が怪我しただけ……というとフィリップス君には失礼かもしれんが、とにかく取り返しの付く程度で済んだ。だが、次はこうはいかないだろう。

 ―――これは何かの前兆だと、そう思えてならないのだよ、私には」


 高名な占い師が不幸な予言を突き付けるような言葉。ただ占い師にそう言われただけなら護は一笑に付していただろうが、目の前にいるのはかつて地球統合軍の酸いも甘いも知り尽くし今はサンクトルムのすべてを仕切る賢者なのだ。その言葉は信じるに値する『圧』があるように感じられた。

 『圧』に押されて何も言えない護に対し、ゲポラは気を取り直したように言う。


「そう考えると君のような優秀なスタッフに謹慎などといった処分を下し、学生たちの貴重な成長を奪うのは大きな損失だ。君には学生たちを一人前にする義務と責任がある。ならば、それを全うすることが君に課す処分だ。

 …………まあ、そうは言っても納得しない人間もいるだろうから、一応半年の減給はさせてもらうがね」

「…………承知しました。青葉梟護、謹んでその処分を引き受けます」

「うむ。これからも期待している。

 さて、君への通達も終わったところで、話はもう1件あるんだ」


 慣れた手つきでコンピュータを操作してから護の腿のあたりを指さす。


「データを送った。確認してくれたまえ」

「はい」


 スマートフォンを取り出しスワイプ。しかし、すぐに指が止まる。


「…………どういうことですか、これは」

「見ての通りさ。例年2年が行っている遠征実習を予定より早めて1年にやらせろ、とのお達しだ」

「難しいでしょう。経験を積んだ2年ですら過酷さから毎年脱落者が出るんですから、1年にやらせたらどうなるかなんて火を見るより明らかでしょう! 何を考えているんですか、統合軍は……!」


 護の手が震え始める。今にもスマートフォンを砕きかねないほどの激情だが、学長が前にいるということが理性をつなぎとめていた。

 とはいえ、そのゲポラですら不愉快な態度を隠していない。人目さえなければため息のひとつでもついていたはずだ。


「学生たちを所詮若造程度としか考えてないんだよ。そんなことは君もよくわかっているはずだ。

 …………ま、彼らの理屈ではぶっつけ本番でデシアンを撃破できるほどの腕がある学生が複数いるんだから、遠征実習程度ならこなせるということなんだろう。それとこれとは話が別なのにね」

「それで、実行するのですか?」

「するしかないだろうね。出資者には逆らえないさ」

「出資者は無理難題をおっしゃる……という名言通りということですか」


 低い声で絞るように出された護の言葉に対して、ゲポラは首を横に振って応える。


「私はまだいいさ。軍の上層部が腐っているのは知っているし、その対応だって胃薬さえあればどうということはない。プライドなんてものは捨て置ける。

 苦しいのは学生たちだよ。常に無理難題にさらされ実行しなければならない。下手したら命すら落としかねない危険な訓練をこなし卒業までできたとしても、多くは腐った統合軍にされていく。こんなに残酷で悲しいことがあるかね?」


 ゲポラの言葉のひとつひとつには悲しみと、やり場のない怒りが含まれていた。彼自身サンクトルムで経験を積んで卒業後、統合軍で何年も不毛な権力闘争を見てきた。そして、それに嫌気がさして逃げるように今の立場にいる。結局は自分が苦しかったことをそのまま若者たちに強いているだけなのだから、皮肉なものだと自嘲するゲポラ。


「だがね、私の目の届く範囲では学生たちを守りたい。そのためなら、自分のことなど惜しくはないし、どれほど悲しく辛かろうがやってみせる」

「私も同じ気持ちです。私ができることであれば、何卒ご指示ください」

「感謝するよ、青葉梟先生。

 では、この件の詳細はこれから詰めていくとしようか」


 怒りをぶつけたいのは、統合軍? 世界? それとも自分自身だろうか?

 それはきっと一生わからないのだろうとゲポラは思う。だが、せめてできることはしよう。後悔しないように、後悔させないように。

 それが、ゲポラ・ロフトの誓いなのであった。

                                  (続く)

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