第35話 一輪の雪の花:その名はリンセッカ
あの試験から数日経って、スノウたちが普段使っているグループチャットにひとことメッセージが届いた。
『緊急 助けを求む』
送り主はスノウだ。
わずか7文字のメッセ―ジではあるが、その文面からのっぴきならないことが起きていることは伝わってくる。
こうしている場合じゃねえ! とパンダのアスキーアートのような気持ちで友人たちは支度して駆けつけるのであった。
「名前がまだないエグザイムの、名前を考えてほしい」
スノウが普段暮らしている学生寮アリサのロビーにて、秋人・雪・ナンナ、この3人が集まって早々ずっこけた。
「そんなことで俺たちを呼んだのかよ!?」
「緊急っていうから急いできたのに!」
秋人と雪が文句を垂れる。ナンナは文句を言わず肩をすくめているだけだが、説明を求めていることに変わりはない。ここでスノウは詳細を話すことにした。
「この間の試験で上長……すなわち青葉梟先生の許可なくセグザイムに搭乗したことで始末書を書くことになったんだけど、そういえば自分のエグザイムの名前を決めてなかったから、そもそも書けない」
「―――そこで、命名をしなければと思い立ったわけか」
「んで、いい名前が思いつかないから知恵を借りたいってことだろ?」
「そう」
「じゃあ、最初からそう書いてくれ……」
まだ何もしてないのに、すさまじく疲れた気がして両手をぶらんとひじ掛けの外に投げ出す。
んー、と頬に指をあてながら雪が言う。
「そういうことなら協力するけど、結局はスノウが付けたい名前じゃないといけないんじゃないの?」
「全部決めてもらうつもりはない。あくまで、参考として聞きたい」
「ん、わかった。
でも、こういうときってどうすればいいのかなぁ」
「みんながどうやって、どんな考えで名前を決めたか教えてくれればヒントになると思う。…………あ、でも雪ちゃんのエグザイムの由来は知っているから、秋人とナンナのを教えてほしい」
いきなり指名された秋人はビクッ少し肩を跳ね上げるがすぐに話し出す。
「俺のは<ヘクトール>っつーのはお前も知っての通りだと思うけど、ギリシャ神話の英雄の名前だな。弟のせいで引き起こされた戦争で第一線で戦い続けたという武将で、ただ強いだけじゃなくて頭がキレてて容姿も良かったらしい。
そんな英雄にあやかって整備科が付けたんだけど、俺も気に入っている。
…………こんなでいいか?」
「うん、ありがとう」
「次は私か。―――雪、むくれててもいいことはないぞ。
私のエグザイムは将棋の駒が元となっている。名前は<アルク>というんだが……元となった駒はこれだ」
スマートフォンをテーブルの上に置く。そこには『歩』の駒が表示されていた。
なんでこれが<アルク>になるの……? と言わんばかりに首をかしげる秋人とスノウだが、雪だけは手をポンとうった。
「へ~、だから<アルク>なんだね。…………あ、ふたりには解説するね。
将棋の駒に書かれている文字が漢字というのは知っていると思うんだけど―――」
「いや、初めて知った」
「そう? とにかく、この漢字にはいくつか読み方があるんだけど、そのうちのひとつが『
「『歩なし将棋は負け将棋』という言葉があるように、歩というのは将棋において重用される駒だ。私のエグザイムもそう思ってもらえるように、という願いを込めた」
「それに、この文字には確実にひとつずつ前進していく、進歩していくというポジティブな意味があるから、名前にも使われることが多かったんだって」
「そりゃ知らなかった」
素直にうんうんと首を振りながら感心する秋人。そういう彼にも漢字が使われた名前があるのだが―――
「んー、つっても親からこう書くんだと教わっただけで、他の漢字は全然知らないし書いたことねえや」
「それはそうだろうな。私もそんなに多くは知らない。むしろ、雪がよく知っているな……」
「まあね。ちょっと勉強したから」
閑話休題。
ひとまずこの場にいる3人のエグザイムの由来はわかった。
そこでアベールと佳那にも聞きたいのだが、
「オーシャンくんと佳那ちゃんはどうしたんだっけ?」
「試験だと聞いているが。内容は……なんだったか知らないが」
「アベールは世界史、谷井さんは文学Aだって聞いたぜ。そんなの学んで何になるんだろうなぁ」
「少なくとも、こういう名付けの時にボキャブラリーは増えるだろうな」
オチもついたところで、スノウは言う。
「…………アベールのは<アリュメット>というそうだけど、谷井さんのはなんて名前なのかな」
「なんか絵画の技法の名前から取ったって言ってたよ。すごくうれしそうだったから印象的だったけど、なんて名前だったかなぁ……」
こめかみに指をあててその時の場面を思い出そうとするが、スノウは手で制す。
「いや、そこまでして思い出さなくていいよ。方向性が分かればそれでいい。
アベールのはわからないけど……」
「今調べたけど、フランス料理の切り方のひとつらしい。アイツのセンスはよくわからねえ……」
「ふむ、では佳那もオーシャンも自分の好きなこと・得意なことからネーミングしているのか」
秋人が神話から、雪が好きな花から、ナンナが好きな駒から、アベールが料理の技法、佳那が絵画技法。まとめると、秋人以外の4人は自分の好きなことから命名していることがわかる。好きなことを想起させるワードであれば、覚えやすく愛着もわくから、というのは少し考えすぎかもしれないが、とにかく共通点は見つかった。
「じゃあ、スノウのも好きなものから連想して名づける?」
「それがいいんじゃねえか?」
「秋人、君には聞いてないと思うぞ」
「ちぇっ」
「僕もそれがいいと思う。ダメだったらまた別の方法で」
そんな感じで名前の候補を考えるのだが……、
「<ブックマーカー>……。<テラーリーダー>……。<ハイブックス>……。
どれもこれも微妙だな」
「…………スノウ、もっとお前好きなことねえのかよ?」
「あったら言ってる」
手詰まりだった。スノウの趣味と言えば読書くらいなもので、他に好きと言えることがないという状況では進展がないも同然であった。
「好きな作品とかは?」
「…………好きと言えるような作品はないかな。ほとんどの作品が面白かったから、特別そういうのは考えたことない」
「気に入った作品の読み返しとかしないのかよ?」
「ない。同じ本を何回も読み返すくらいなら、新しい作品を読む」
「では、好きな事柄から、というのは打ち止めか?」
重たい沈黙が訪れる。口には出さないが、全員同じ考えだったのだ。
とはいえ、いつまでも黙りこくっているわけにもいかない。会議は踊る、されど進まず……では無駄なだけだ。
「…………となると、<ヘクトール>みたいに由緒正しい何かから拝借するか?」
「あるいは、『名は体を表す』ということわざに倣って、見た目から考えるか」
「スノウは、どっちがいい?」
「………………」
スノウは3人を見ずに、少し遠いところを目を向ける。しかし、何かを見つけるわけでもなく、その意識は昔にさかのぼっていく。
『ほら、ここが今日からお前が住むところだ』
6畳ほどの部屋に、ベッドがひとつ、薄型テレビがひとつ、テーブルがひとつ。あとは足場がないほどのゴミ袋。スノウの目にはそれが映っていた。
『はは、ちょっと―――どころかだいぶ散らかってるな。まずは片付けるか』
スノウと目を合わせないように苦笑いする30代半ばの男と一緒に掃除する。
ゴミ袋は収集所に、ほこりが積もっていたテーブルには水拭き、あとは床に掃除機をかけて、布団を外に干して……。
『よし、片付いたなー。ふいー』
座椅子に座ってグラスに入れたウーロン茶を飲む男。すると、スノウを見上げてグラスを差し出す。
『ほれ、お前も座れ。俺が普段使っているグラスだけど、そのうちお前のも必要だよな。間違えないように名前を書いて―――』
そこでハッとして声を上げる。
『そういや、お前の名前聞いてなかった。名前、なんていうんだ?』
『今さらですか』
『それどころじゃなかっただろうが。
明日には手続しないといいけないしさっさと教えてくれ』
『…………名前?』
『お前が今までなんて呼ばれていたか、ってことだよ』
『…………スリー』
『ま、そうなるか』
男は顔をしかめながらウーロン茶を継ぎ足す。そして、一気飲み。
『じゃあ、俺が名付け親になってやるよ。
そうだなー。俺の名前から一文字くれてやってもいいけど、それは大時代的だよな。こうあってほしいって言葉をつけるのもちょっと押しつけがましいよな。
となると、お前たらしめている要素から考えるのがいいかな』
そこでじーっと、スノウの顔を見つめる。
スノウは気にせずグラスを傾けるだけ。
『白髪、青い瞳。色素の薄い肌……。それと、その落ち着きっぷり。
うん、いいな。固まったぞ。
お前の名前は―――――』
「あのエグザイムをそうたらしめているもの……それから名付けたいかな」
「そうたらしめているもの?」
「うん。みんなと名前を考えていて、昔のこと―――名前を付けてもらっときのことを思い出した。その時、僕を引き取ってくれた人は、僕の特長から名前を付けたんだ。だから、僕もそうしたいって思って」
「ん、ならそうするのがいいと思う」
「因みに、どんなところから『スノウ』って名づけられたんだ?」
「決め手は髪の色らしいけど、他にもいろいろ理由はあるらしい」
スノウはそう言ってかなり色素の抜けた前髪をひと房つまむ。スノウの年齢でここまで白い毛は結構珍しい。確かに、『
さて、本題に戻るべくスノウはスマートフォンを取り出す。
「じゃあ、見た目はこんなだけど。あとの特長は聞かれたら答えるよ」
「…………ぱっと見てすぐに目につくのはやっぱスラスターだよな」
「ああ。既存のエグザイムと比べてもかなり大型で、それに形状も独特だ」
「まるで、花弁みたいだね」
「最初はスラスターで全体を覆っていて、卵みたいだった」
「あ、そういやよ……」
秋人がふと思い出したかのようにスノウに問う。
「なんであの時、お前のところにそのエグザイムが来たんだ? 結構ヤバい時にちょうど都合よく着いたって聞いたけど」
「…………秋人、それも気になるが、話の腰を折るな」
「いや、いいよ。
ロンド君が言うには、そういう指示がどこからか来たらしい」
「? どこからってどこだよ?」
「それはわからないって言っていた。怪しかったから無視しようと思ったけど、<ソルブレア>のスタッフにも同じ指示が来ていたらしく、調べたら確かに僕たちが窮地に陥っていることがわかったため、急いで送ってきた……ってことらしい」
後は知らぬとばかりに口を閉じる。
なら、この話はここまで、元の話に戻る。
「それにしても花か……。
雪、このスラスターの形状は何の花に近い?」
「そうだねぇ……」
突然振られたナンナの質問にも動じず雪は白いエグザイムを注視しながら答える。
「スノードロップ……が近いかなぁ。色合いも考えると。スノードロップもちょうどこのスラスターみたいに、雫状の花弁をしているんだ」
「スノードロップ……。雪の雫か」
「うん。ガランサスって呼ぶこともあるけどこっちは学名で、『ミルクの花』って意味合いだね」
「雪の雫……ミルクの花……」
そこで顎に手を当ててスノウは考える。好きなものから名前を付けること、名前を拝借すること、名前に漢字を使うこと、そして特長から名前を付けること。今日ここで話し合ったことをひと通り反芻してから、彼は問いかけた。
「雪ちゃん」
「なに?」
「雪と花を漢字にした時、他になんて読む?」
「雪の方は『
雪の説明は、日本語に不慣れな面々のためにとても丁寧であった。ひとつひとつ聞きやすく発音されていて、3人ともしっかりと聞き取れた。
そこで、スノウはうなずく。
「じゃあ、『セッカ』によう。雪の花で『
「シンプルだが、良い名前なんじゃないか?」
「逆にシンプルすぎねえか? なんかパンチが足りない気がするけど」
「そうかな」
「いや、お前がいいって言うんならいいんだけどよ」
「私はこれ以上何か付け加えてしまうと、むしろ余計な気がするが」
「あー、確かにそれはあるかもしれねえなぁ」
「うーん、だったらさ……、『雪花』ってこう書くんだけど、頭にこの字をくっつけてさ」
雪はスマートフォンの手書き入力アプリで字を書く。
「これでどうかな?」
「なんて読むの?」
「<
「<リンセッカ>……。<リンセッカ>……」
付けられたその名を何度か口にする。漢字という馴染みのないもののはずなのに、まるで昔からそんな言葉を知っていたかのように、スノウの耳には心地よく感じられた。
「これがいい。<リンセッカ>にしよう」
「ほんと? だったらこうして来た甲斐があったね」
「うん、ありがとう。秋人もナンナも、来てくれて助かった」
「構わねえよ」
「ああ。まあ、今度からはもう少し詳細を明記した上で頼んでくれ」
「善処はする」
その後、一行はすべての試験を終えたアベールと佳那と合流し、感謝を示すためにスノウのおごりで飲みに行ったのであった。
…………当然、そんなことをしては始末書なんて書けるはずもなく、いろいろな人から説教されることになるのだが、それはまた別の話である。
(続く)
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