第19話 月は見た:ジャノメエリカはやめろ

「うえ……気持ち悪……。少し張り切りすぎたか……?」


 日はとっくに暮れ、星空のようなまばらな明かりで照られる『カコリカ』のメインストリートを秋人は行く。その足取りは決して軽いとは言えず、まっすぐ歩けていない。

 今の彼は、彼が所属する飲みサーの集まりの帰り道にいた。飲みサーの集まりということは、つまりは飲み会ということであり、その帰りにフラついた歩行を見せるということは、つまり酒に酔っているということである。


「まー、このぐらいならすぐに良くなるだろ……。

 んなことより、なんか食いてえな」


 飲み会の締めとして何かを食べる、というのは往々にしてあることだ。とはいえ、これは日本人特有の文化らしく、アルコールを摂取すると血糖値が下がるために何か食べたくなる性質が日本人にはあるという。そのため、コーカソイドやネグロイドは酒を飲んだ後何か食べたくなるということはあまりないらしい。

 そんな知識は覚えていなくてもいいことだが、とにもかくにも秋人はなにか、具体的にはラーメンあたりを食べたいな、と思った。しかし、今の今まで飲み会をしていて財布は軽い。羽のように軽い。ナンパする秋人並みに軽い。ここで締めのために出費するには心もとない重さに秋人は息を吐く。


「やめておくか……。これで明日の昼飯がなくなったら悲しすぎるからな……」


 諦めて直帰するか、とふらつく足を殴りつけて喝を入れる秋人。そして歩きだそうと顔を上げた時、見た。


「女だ」


 女だった。黒いジャケットと黒いチノパン黒いハンチング帽、そして整っている美貌をわずかに隠すサングラス。周りから闇を吸いとり身に纏うように黒い格好だった。しかし、きめ細かい肌は優しく大地に微笑んでいる月光の如く白い。

 薄暗い街中で佇む姿は、女神か魔女か。素面であったか、それとも知らない人間であったかすれば息を飲んでいたであろう光景だが、秋人は臆さずその人物に話しかける。


「何やってんだ、ナンナ」

「―――!!?」

「俺だよ」

「…………秋人か?」

「そうだよ。…………何見てんだよ」

「…………あれだ」


 ナンナがそうしているように、秋人は壁に体を押し付けて暗い路地裏を見る。そこには小太りの少し人相が悪い男がいて、下卑た笑みを浮かべながら電話をかけていた。


「…………なんだあのオッサン。知り合いか?」

「知り合いではない。私が一方的に知っているだけだ。奴は、ここらで電器店を経営している」

「まー、そんな風貌してるよな」

「うむ。だが、店の評判は良くなく、いつ店をたたんでもおかしくないほどだった。つい、数か月前まではな」

「今は違うのか?」

「まるでな。経営はV字回復し、近々大規模な改装を行うという話だ」

「いいことじゃねえか。ひとりの人間が路頭に迷わなくて済むんだぜ?」


 それの何が悪いんだ、と言わんばかりの秋人の態度。そんな秋人に視線を移してナンナは言う。


「奴が真っ当な方法でそれをしていたなら、私だって祝福ぐらいするさ」

「なら、脱税か? それとも詐欺?」

「詐欺だ。中古品をガワだけ変え最新モデルだと偽り、家電の知識に乏しい学生たちに売りつけている。最新モデルにしては破格、しかし型落ちした中古品と考えれば法外の値段でな」


 そう言うナンナは声だけは普段通りのアルトボイスだ。しかし、秋人は彼女が密かに拳を握りしめていることを見逃さなかった。


「あー……もしかして、ご実家と関係している?」

「ああ。奴は中古の商品を父の会社エレクトロ・カルナの商品だと言って売っているんだ。その結果、『最新モデルが思っていたものと違う』という苦情が相次ぎ、レビューサイトもにわかに炎上している。当たり前だ、実物とはかけ離れた型落ち製品を買わされているのだから」

「やっぱそういう事情があってのことか」

「だが、エレクトロ・カルナへの風評被害が起きているということはもはやきっかけに過ぎない。私は許せないんだ。無知に付け込み、人を騙して私腹を肥やすような人間は……!」


 ナンナはとうとう怒りに顔を歪める。打算など無く混じりけも無い怒りの炎。そんな純粋な美しい炎だからこそ、秋人は危険だと感じずにはいられなかった。


「お前……何する気だよ」

「説明している暇はない。あの男が電話を終えた瞬間、仕掛ける」

「仕掛けるって、お前」


 秋人が聞き出そうとしたその瞬間、運悪く男の電話が終わる。その顔は電話を終えても下卑た笑みを崩していない。よほど悪いことをして私腹を肥やさないとこうはならないだろう。

 しかし、その顔がすぐに笑みから奇異に対する訝し気な風に変わる。原因は前方数メートルまで接近してしたナンナ。


「なんだお前は……。こっちには何もないぞ。それとも道にでも迷ったのか?」

「道に迷ってなどいない。そして、貴様のように道を外れてもいない」

「…………どういうことだ?」

「こういうことだ」


 ナンナが投げた封筒を男は受け取る。そして、不審に思いながら恐る恐る封を切って中身を見る。すると、その赤ら顔が一気に青ざめていった。


「と金の遅速……。堅実に経営をしていれば良かったものを、お前は外法で金を得た」

「…………お前! これをどうやって……」

「ホコリは叩けば出てくる」


 封筒には、男やその仲間が商品を偽造している様子を写した写真が何枚か入っていた。警察に届け出れば、男がお縄につくことになるのは想像に難くないぐらい鮮明な写真だ。


「無論、元データは別の場所に保管してある」

「…………何が目的だ! 金か? だったらいくらでも出す! だからこのことは……」

「金銭など望まない。悪徳で得たものであれば尚更。

 私が望むのは、謝罪だ。騙した人間全員に対する、誠意だ。

 もし要求に応じないのであれば、私はこれらのデータをすぐに警察に届け出る。だから……」


 堂々とした演説であった。これがスピーチコンテストであれば、万雷の拍手がナンナをたたえただろう。

 しかし、ここはふたりしかいない路地裏。拍手を送る者などいない。唯一の傍聴者はニタァ……と気持ち悪い笑みを浮かべている。


「そうか、そうか。要求に応じなければ、か。ハハハ、お笑いだな」

「…………何がおかしい?」

「簡単なことだよ。お前は俺に脅迫をしているつもりだろうが、それは逆だ。おとなしく金を受け取っていれば、俺こそお前を見逃してやるつもりだったが。応じないんだから、しょうがないよなぁ?」


 男の中では筋が通っているのだろうが、口から出てきた言葉は意味不明だった。しかし、懐に伸ばして取り出したナイフがこれから男が起こそうとしていることを雄弁に語っている。


「ガキが! 大人をなめるんじゃねえ!」

「あぶねえ!」


 ああ、この男は逆上して自分に襲い掛かったのだ、とナンナが理解したのは自分を突き飛ばした秋人の左腕にナイフが突き刺さっているのを見たからだった。


「秋人……!」

「て、てめえいつの間に……」

「うる……せえッ!」

「がはっ!」


 絞り出すような声とともにヘッドバット。ひるんだ隙に腹に蹴りをたたき込む。まるで腰の入っていない弱々しいものだったが、肥満気味の男に対してはそれなりに効果があって、男は地面にそのまま倒れる。


「ケッ、肥満体形のオヤジが……」

「秋人! そんなことより腕は……」

「痛えよ! でも、これは大事な証拠だからな」

「証拠?」


 秋人が顎で大通りの方を示す。そこには、制服を着た警察官がふたり立っていた。


「頼るべきは大人の力だな、やっぱり」


 そう言って、秋人は冷や汗を流しながら二の腕を強く握りしめた。




「嫌な予感がしたからよ、念のため通報しておいたんだ」


 ここはナンナの部屋。秋人はナンナに傷跡を覆うガーゼを変えてもらっていた。

 結局、小太りの男は傷害罪で現行犯逮捕、そのまま警察のご厄介になることになった。これからいろいろ取り調べをされてその悪事を暴かれることだろうが、秋人とナンナがそれを知るのはもう少し後になる。

 ではそのふたりはと言うと、秋人はすぐに治療に回され、ナンナはその間事情聴取を受けた。それがだいたい1時間ほど。終わってからナンナが秋人を強引に自室まで引っ張ってきたのだ。


「んで、事の経緯でも眺めておこうかな、と思ったら野郎がナイフ出してきたじゃん? だからまあ、とっさにな。悪ぃな、突き飛ばしちまって」

「謝るのは私の方だ。…………すまない、こんなことになってしまって」

「なんてことねえよ、このぐらいの傷。あの場でお前が刺されていたら、と考えたら尚更だ。その様子だと、反撃を食らうとは思ってなかったな?」

「………………」

「ったく、気をつけろよ。ああいう連中は正論なんて通じねえんだから」

「…………そうだな」

「悪人は警察に任せておけばいいんだよ。そういうプロなんだから。今日お前がやったことは、ただの私刑だぜ? 警察の仕事を邪魔しているとも言える」

「…………ガーゼの交換、終わったぞ」


 赤くなっているガーゼを捨て置き、綺麗なガーゼを傷跡にあててテーピング。…………しかし、ガーゼは斜めっている、テープはところどころはがれている、そもそも真っ直ぐにガーゼを切れていない、など少し不安が残る手当てだ。


「…………本当にすまない。こういうのは苦手なんだ……」

「細かいところは後でやるから気にすんなよ。

 ま、お前いいとこのお嬢様だしな。慣れてないのもしょうがねえよ」

「…………秋人はこういうのは慣れているのか?」

「まあな。昔から体を動かすのが好きでよ、いろんなスポーツや武道を経験したが、同世代の連中やチビらが怪我したときは俺がよく治療してやったもんだよ。特に小学校低学年の男子は、怪我しているくせにどこにそんな力があるんだってくらい暴れるから大変だったぜ」

「…………ふっ」

「なんだよ、何がおかしい」

「容易に想像できたんだ、その光景が」


 力強い声が響く道場。陽の満ちる温かい縁側で幼い秋人が、さらに幼い少年の足を抑えて消毒を始める。擦りむいた膝に染みる消毒液が幼さには刺激的過ぎて、少年はつい足をバタつかせ腕を振り回す。幼い秋人はなんとか治療を終わらせようと左手で足を、右手で腿をなんとか抑え込む。なおも動き回る腕に殴られるのはもう諦めた。ため息を吐きながらガーゼで患部を抑えテーピング。少年を解放した後は殴られ続けて青くなった自分の顔を冷やし始めた―――。

 そんな光景をナンナは想像した。想像でしかなかったがなんとなく現実味があってナンナは思わず笑った。


「昔から優しかったんだな、君は」

「まー、目の前で危ない目に遭っている女を助けるぐらいはな」

「…………感謝している、今日のことは。だから、何か礼をしたい」

「あー、そうだなー」


 別に礼がほしくてやったわけじゃない。古き良き日本人の文化のもとで育った秋人の頭の中には、『情けは人の為ならず』という言葉が浮かんでいたため、礼なんていらないと言おうとも思った。

 しかし、実際に響いたのは情けない腹の虫の音だった。


「…………空腹なのか?」

「…………いやな、ちょっと飲み会をしてきてシメでなんか食おうと思ったらお前と会ったんだよ」

「そういうことか。なら、私のできる限りの食事を振舞おう」

「せっかくだからいただこう」

「…………オーシャンぐらいのものは期待しないでくれ」

「さすがにそこまで高望みじゃないぜ」


 こうした経緯でナンナの料理を食べた秋人は後日こう語った。「もう一度病院に行く羽目になった」と。

                                  (続く)

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