第134話 砂漠の戦場 3
それは、絶望であったか。
それは、恐怖であったか。
弾丸が空を覆い尽そうとした一瞬が、埋め尽くされた思考に何も考えられないまま長い時間が過ぎて行くような気がしていた。
時の流れから切り取られたかのように、弾丸の埋めた空をいつまでも見上げている壁画に描かれた群衆になった気分だった。後には空白の続く最後のページであるかのように。
先のない永遠に停止した時の中で、靴底の下の砂がガサリと音を立てて崩れた。
数センチ砂にめり込む足が底の無い崖の下へ延々と落ちていくほどはっきりと感じられ、重力から解放された自由落下に血液が足元から駆け上がって来る恐怖を全身に伝える。
(――止まってなどいない)
死ぬ間際の一瞬に生きてきた道のりを顧みるように、張り詰めた緊張と高まった集中力が見させている停止した時間の幻影などではない。
(――止まっているのは、空を覆い尽す弾丸だけだ)
その場にいた誰もが自分たちの撃った弾丸が空中で停止している現実を信じられずに、ただ見上げていたのだった。
「まさか、本当に、銃を構えた軍隊の前へ出ていくとはな……」
追って来た兵士の一人が呟いた。
「だから言ったろう? 馬鹿は真直ぐ走り出すぞって」
もう一人の兵士が答える。
そして僅かな間をおいて、空中に停止していた弾丸が砂の上にぼたぼたと落ちて小さな砂煙を上げて行った。
「お前ら! まさか、どうして、ここに……」
漆戸五月雨と日向律瞬、海上で出会った特殊な能力を持つ異国の少年たち、空中で弾丸を止めたのは彼の能力に違いなかった。
「お前を見定めるためだと言ったろう? 手を出したのは余計だったか? まぁ俺の力もこういう使い方をするための物じゃないんだが……」
「アリード、彼らは、何者だ?」
バルクが警戒のあまりぶら下げてもいない拳銃に手を伸ばしながら訊ねたが、他の人間など目に入らないかのように、降り落ちる弾丸を見上げて五月雨は話を続けた。
「それでどうする気なんだ? まさか、無策で走り出したわけでもあるまい?」
「英雄の戦い方ってやつがあるんだろう。しかしそれに付き合う兵士たちは命がいくつあっても足らんよな。ひょっとして他の奴らも死なないのか?」
命のやり取りが起ころうとしているこの場所にそぐわない様子の彼は、銃を構えた軍隊よりも砂の上に足跡を付けるのに興味が向いていた視線を上げた。
「試すなよ?」
「試さないよ……。でも、向こうの奴らは敵だよな?」
「それを決めるのは、俺たちじゃないだろう」
「そっか、でも俺なら十分もあれば……」
「やめとけ。……それも、アリード次第だけどな」
答えを求めるように向けられた視線は二人のものだけではない、連れて来た兵士、銃を構えたままの軍隊、そのすべてが答えを求めてアリードに視線を向けていた。
「ああ、俺が……」
(どうすればいいのだ?……)
イズラヘイムとバロシャムの争いを終わらす事など出来るはずもない、構えた銃を下ろさせる事など、しかし、差し伸べられた手がヒントを与えてくれた。
「俺が行って来る……」
偶然でも気まぐれでも、異国からやってきた彼らの力で作られた、この一瞬の時間を無駄にするわけにはいかない。砂丘を駆け下りて、彼らと話し合うチャンスを無駄にするわけには。
「まて、アリード。奴ら引き上げていくぞ? 今更走って行っても追いつかないが、司令官だけでも捕まえてみるか?」
「え? 俺はこのくそ暑い砂漠を走り回るのは嫌だぜ?」
「いや、いい、二人とも。撤退してくれるなら、それで十分だ」
両国の軍隊の撤退は五月雨の能力のおかげだった。
国や民族の争いを終わらせられなくとも、この場所で銃が使えないと分かれば軍隊は退くしかない。一度でもこの場所で武器が使えなかったという事実がもたらす効果の大きさは計り知れない、他の場所はどうあれ、ここだけは非武装地域、不戦地域として条約を結ぶことができる。
砂漠の真ん中の遺跡でしかなくともエルシャムヘイムという名があれば、そこでの不戦条約は大きな意味を持つ。
エルシャムヘイムではいかなる国も武器を持って戦わないとするだけで、他の地域でも紛争を解決する話し合いの一歩を踏み出せるだろう。
(今はここで血を流さずに済めば、それでいい)
『そう、それがあなたの答えなのね』
頭の中で出した結論に少女の声が答えたような気がして空を見上げると、眩しい光の中に半透明の月が浮かんでいるような気がした。
「それじゃ、帰ろうぜ。もうここに用は無いんだろう?」
「それでな、柚理葉が船に乗って帰っちまったんで、代わりの乗り物ってないかな?」
「……あ、あぁ」
(気のせいか?……)
よく見ようとしたが強い太陽の光に二三度まばたきする間に淡い色の月はどこかへと消え去っていた。
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