第130話 エルル族 1
ナンムに集結していたバルクの部隊に、遺跡へと向かうように指示を出すと、アリードも警備の兵を掻き集めて部隊を編成する。警備兵と言っても、街での揉め事の仲裁や崩れた壁の修繕をしているくらいで、ろくに戦闘訓練を積んでいる訳ではなかったが、バルクの率いる普段は道路工事に当たっている部隊よりは役に立つ気もする。急いで出発しようと、はやる気持ちを抑えきれなかったが、どうしても出発する前に彼女に会わねばならないと、アリードは孤児院へと向かった。
「おかえりなさい、アリード」
動き出した軍隊も緊迫した世界情勢も、ここだけは何事も無かったかのように来夏は笑顔でアリードを出迎えた。
「ただいま……、いや、ありがとう」
優しく微笑み返す彼女が、何も知らないのではないだろうかと錯覚させられそうになったが、彼女は全てを知っている。全てを知った上で、繰り返される日常の一コマのような笑顔を作っているのだ。
「ティムシャムの遺跡に、イズラヘイムとバロシャムの軍隊が向かっている」
「うん、そうね」
「あそこで、軍隊が衝突したら、取り返しの無い事に……」
「周りに人の居ない砂漠の真ん中なら、誰の迷惑にもならないし、しばらくすれば、両方とも元の国境に戻るだけよ」
「それでは、バロシャムとイズラヘイムは、いつまでも争う事になってしまう」
「これまでと変わらず、に……。あの場所にエルシャムヘイムが無かった事にしても、二つの国の在り方は変わらないわ」
「そうじゃなく、ラーイカ、俺は……」
俺は彼女に何を求めていたのだ?……。
砂の国を何度も救ってくれた彼女の力で、イズラヘイムとバロシャムの争いを止めてくれると?
二つの強大な軍事力を持つ国がぶつかれば、その余波は、この大陸中に、世界中に、広がるかもしれない。しかし、それでも、俺たちが今まで通り砂の国で暮らして行くのに何の影響がある?
俺が生まれる前から続いている争いに首を突っ込む羽目になったのは、砂の国を豊かにしようとした俺の欲、戦うべき理由を見失って、この国の人々のためにと、振り上げた俺の欲……。
それを彼女に託そうとしたのか、俺は……。
争いをしているのは、イズラヘイムとバロシャムだけではない、ヨドスとエルシム、他にもいくらでもあるが、なぜこの戦いだけを特別視して介入しようとしているのだ?
彼女の言う通り、砂漠で小競り合いが終われば、元の国境のにらみ合いへと戻るだろう。それが、今までより緊張をはらんだものになるとしても、この国の人々にどんな影響があるのだ?
例えエルシャムヘイムでの争いを彼女の力で終わらせられたとしても、別の何かがエルシャムヘイムの代わりとなって負の連鎖は続く。それが、今より良くなるとも、砂の国が巻き込まれないとも、誰にも予想する事が出来ないのだ。
それならば……。
「それでも、俺は、この戦いを止めたいんだ。ミャムゼイド首相は良き指導者だ。ファティマも争いを望んではいない。それならば、何か、きっかけさえあれば、話し合う事が出来るはずだ」
アリードは自分の言葉に驚いていた。だが、その言葉に来夏は静かに微笑んでいた。
「一度でも出会ってしまったのなら、目の前の争いを見過ごせない。伸ばせるだけ手を伸ばしてみれば、きっと、その手を掴んでくれる誰かと繋がれる……」
「手、を?……。そうか、俺はまだ自分の手を伸ばしてはいなかった。ありがとうラーイカ、行って来るよ」
その手で何を掴めるか分からなかったが、自分の手を伸ばせるまで、伸ばして見なければ、そこに何があるのかも分からない。自分のやるべき事は決まっていたのだ。
「アリード、なのです」
「アリード、帰ってきたなのです」
懐かしい二人の声が飛び込んで来た。どんな時でも何気ない日常に引き戻してくれる幼い声に、勇気づけられたように答えた。
「おう、ちびども元気にしてたか」
「アリード、汚いなのです」
「アリード、洗濯なのです」
「おい、ちょっと待て、今から出かけないといけないんだ」
服をはぎ取ろうとする二人から、慌てて逃げ出す。だが、そうして過ごせる時間が、どれだけ大切なのか、胸の奥にしまい込んだ思い出を感じさせてくれるこの時の大切さを忘れなければ、手を伸ばす先を間違える筈は無いのだと心に刻んでいた。
孤児院の外まで逃げだした時、丁度砂の国ではよく目立つすっぽりとフードを被ったアスラマの姿が目に入り、手を振って彼女に合図をする。
(アスラマにも、彼女を紹介しなければ)
「アリード、部隊の準備が出来たわ……」
アスラマが話し始めると同時に、イルイルとノルノルがアリードを追って孤児院の庭から飛び出してきた。
「アリード、見つけたなのです」
「アリード、捕まえるなのです」
二人の方へと振り向いた瞬間、アスラマの叫び声が上がった。
「エルル族!」
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