第98話 死者の軍勢再び

 アリードは地上へと続く階段を駆け上がっていた。

 ひたすらに、必死に、地獄の底をのぞいた人々が恐怖に駆られて逃げ帰るように。

 残してきた来夏の事が気にはなっていたが、得体のしれない敵と対峙する彼女の事が、しかし、彼女はそれを『魔法』の産物であると言った。それならば、そこに残る事は、彼女の足手まといでしかなかった。

 彼に出来るのは、一刻も早く地上へと逃げ帰る事。

 それだけに、歯を食いしばって走り続けた。


「もう少しだ、急げ」


 階段の先から差し込む光と一歩進むごとに上昇する気温に、額から汗を流して、何度も瞬きながら仲間の兵士に声を掛けたが、それが、ちゃんと言葉になったのか彼自身にも分からなかった。

 それほどに、夢中で走り続け、眩む光の中へと臆せず飛び出して行った。

 目をきつく閉じていても真っ白な光に包まれていながらも、両手をついた砂は、そこが地上であることを教えてくれる。

 懐かしい砂漠の砂に安堵し、何度も大きく息を吐いたが、やがて、落ち着いてくる呼吸の合間を縫って、ザクリ、ザクリと、砂を踏む足音が聞こえて来た。


「……来やがった」


 彼らの目的が、砂に埋もれた遺跡ならば、必ず追って来るだろうと踏んでいた。

 アリードの興味は引かなくても、襲撃者にとって意味がある場所ならば、それを盾にとって戦う事も、取引の材料にもできる。なにより、集落から離れた砂漠の真ん中でなら、余計な被害が出る事もない。

 だが、砂の中から湧き出たような骨の軍勢は、遺跡の周囲を包囲しゆっくりとその範囲を狭めつつある。それだけの数を相手にどうやって戦うのか?

 アリードには目算があった。

 目が光りに慣れて来ると素早く周囲を見渡す。


(どこかに、ローブの男が居る筈だ……)


 日の光に照らされ、頭蓋骨が白く輝き、伽藍洞の目がくっきりと深い闇をのぞかせている様で、遅い動きの相手であっても、恐怖が込み上げて来る。


「円陣を組め! 近い相手の頭を狙うんだ!」


 無駄弾を打つ余裕はない、しかし、銃でも頭を撃ち抜けば多少の効果は上げられる。何とか数を減らしつつ、乱戦になる前に、ローブの男を見つけなければと、銃のスコープをしきりに動かしていた。

 砂の上の人影を順に確認していたが、その相手は意外なほど近くに居たのだ。砂の中から突き出た崩れかけた建物の石の柱の陰から、生きた人間の手が覗いている。


「お前は、左から回り込め!」


 隣にいる兵士に声を掛けると、返事も待たずに、砂の上に転がる遺跡の残骸に沿って走り出した。

 骨の軍勢の中に紛れていると思っていた相手が、一人石の影に身を隠していたのは意表を突かれたが、その場所を見つけられれば、今度は、相手の死角を突いて近づく事が出来る。

 息を潜め、足音を殺して、十分な距離まで相手に近づいたアリードは、瓦礫の影からローブの男に飛び掛かった。

 不意を突かれた相手は簡単に砂の上に倒され、アリードは馬乗りになって組み敷く。しかし、ローブ越しにでもはっきりとわかる程の華奢な体つきに、柔らかい肉に思わず声を上げてしまった。


「おっ、女?……」


 アリードの体を押しのけようと抵抗を試みる腕をつかんだが、あまりの細さに力を加える事をはばかられるほどだった。


「アスラマを離せ!」


 叫び声、それも女の声であったが、叫び声と共に人影が駆け寄って来る。

 振り返ったアリードは、暗い影の中から放たれる強い光に、一瞬目を瞬かせる。ローブから突き出した手に握られたナイフの光だった。

 咄嗟に頭を庇い左腕を振り上げると、そこに薄いナイフの刃が触れる感触があったがそのまま腕を振り切って、切り裂かれるのを防ごうとしたが、またもや奇妙な感触に襲われた。

 骨の兵士に斬りつけられた時、透明の影に体を貫かれた時に感じた、肉に刃が食い込んだようなそうでないような不確かな感触だった。

 彼自身も奇妙な感触であったが、それは、相手に与えた恐怖の方がはるかに大きいようであった。


「きさまは、何だ! 何者だ!」


 ナイフを握った女は、後ろへとかなりの距離を取り、アリードに向かって叫んでいた。

 その声からかなりの動揺が窺えたが、彼に向けられたナイフは、変わらず左手一本で握られていた。


(銃弾が当たったのは、こっちの娘か。それに、あのナイフは……)


 独特な曲線を描く返しのついたナイフは、バロシャムの儀式的な意味合いを持つナイフだった。切れ味は鋭く実用的ではあっても、そう易々と手に入る代物ではない。


(なるほど、そういう事か……)


 アリードは、ゆっくりと立ち上がり、服に付いた砂を払うと、馬乗りになっていた相手に手を差し伸べる。


「悪かったな。俺はアリードだ。君たちと話がしたい、この遺跡について」


 組み敷かれていた娘は、その手を拒む様に、座ったまま後ろへと下がろうとしていたが、アリードは、もう一人の方へ顔を向けると、よく聞こえるように声を張り上げた。


「そっちは、傷の手当ても必要だろう」


 周りには、遅れて駆け付けてきた兵士が遠巻きに囲んでいる。

 逃げられないと悟った彼女は、アリードに向けていたナイフを力無く下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る