第63話 イェシャリル独立宣言 1
新たな第一歩を踏み出した砂の国キスナだったが、旅人の足を容赦なく絡め捕ろうとする砂漠のように、前に進むのを阻もうとする力が待ち構えていた。
その第一報が伝わった時には、誰もが耳を疑った。
「イェシャリルが独立を宣言した!」
南西の砂漠に点在する地方都市の一つに過ぎないイェシャリルだったが、バロシャムやイズラヘイムと交易するとなれば交通の要所ともなる場所にある。
そして、旧体制から続く街の有力者たちは、アリードの民族政策に反対し、アセーム族こそが、唯一の民族だと主張したのだった。
アセーム族とは、砂の国でも多数派を占め、その源流はバロシャムに繋がる。
「何故だ? 何故、地方の一都市が独立をする? しかも、このタイミングで……」
このタイミングだからこそかもしれないと、アリードにも分かっていた。
各都市の治安の維持や砂漠を横断する道路の建設、人手はいくらあっても足りない状況の彼らに、反旗を翻した相手と戦う力など無い事は、誰の目にも明らかだったからだ。
――それに。
政策に反対するからと言って、その勢力を力で押さえつけるのか?
独立や自治は、そこに住む人々の意思であれば、歓迎されるべきものだ……。
しかし、それを受け入れてしまえばどうなる?……。
アリードは、判断に迷っていた。テーブルに両手をついて立ち上がったが、そのまま、動けずに広げられた地図に視線を落としていた。
「アリード決断を! イェシャリルのズズリシュは、アセーム族以外の民族を、街から追放すると宣言しています。直ぐに手を打たねば!」
固唾を飲んで、アリードの言葉を待っていた一人が、しびれを切らして立ち上がった。彼の熱のこもった瞳は、ズズリシュが理想を阻もうとする敵であると、訴えていた。
「……早急に部隊を出す。少数の編隊で、砂漠に放り出された民衆の保護が最優先だ」
彼の消極的な指示に不満もあっただろうが、誰も反論せず、素早く準備に取り掛かる。
数台の車両と十数名の兵士が出発するまでわずかな時間しかかからなかったが、そこに届けられた第二報には、さらに彼らを驚かせた。
「国境に向かって、軍隊が進軍してきています」
「どこの軍だ! まさか、バロシャムか?」
他国の軍隊が出てくるなど、幾らなんでも早過ぎる。連絡を聞いてから、僅かな時間しかたっていないし、まだ、武力衝突さえしていないのだ。
「いえ、イズラヘイムの軍です。先程、正式にイェシャリムの独立を支援すると宣言が出されました」
「どういう事だ?……」
イェシャリムの独立宣言を事前に知っていなければ、軍を出動させることなど出来はしない。それ以前に、ミューヒ族の優位性を主張するイズラヘイムが、なぜ、アセーム族の独立を支援する?
アリードは、絡みついて解きほぐす事の出来ない思考がもどかしかった。自分の知らない何処かで、誰かの思惑が、いや、人のそれよりもはるかに理解しえない国家の思惑が、動き始めている。
それが、今まで積み上げて来た物を根底から覆(くつがえ)すように感じてならなかった。
「アリード、どうして外国の軍隊が出て来るの?」
不穏な雰囲気に押し黙り、これまでなら求められても発言を控えていた来夏が、口を挟んだ。
戦いの予兆。それが彼女の背中を押したのだ。
軍隊が衝突すれば戦わなければならない。それは、彼女にも無関係でいられるものでは無い。
だからこそ、知らねばならなかった。
彼らが何のために戦い、何のために武器を手にしたのかを。
目の前の敵を、襲ってくるという理由だけで打ち倒しては何の解決にもならない、と。
「それは……、おそらく、ズズリシュが軍事力で押さえつけられないように事前に連絡を入れていたのだ。しかし、なぜイズラヘイムなんだ?……」
「考えられるのは、バロシャムとイズラヘイムの間で密約が交わされていた。もしくは、早すぎる行動からしても、今回の独立宣言は、イズラヘイムの書いた筋書き、という所ですね」
メルトロウはいつもよりゆっくりと話していた。何らかしかの行動に出て来ると予見していた彼でも、考える時間が必要な事態だということか。
「それじゃ、二つの国と戦う事になる可能性があると、いう事ですか」
「外国の軍隊よりも、イェシャリルの街の人たちは、どう思っているのかしら?」
「旧体制からの有力者と言っても、ズズリシュが街の人に酷い事をしたという話は聞かなかった。むしろ、慕われていたはずだ。だが、だからと言って、独立宣言に無条件で賛成するだろうか?」
「住民の総意とは言い切れませんが、アセーム族の多い街では、他の民族を排除する事を容易に受け入れてしまうかもしれない、というのも事実です」
「どちらでも良い、という、無関心か……」
アリードは唇を噛んだ。
積極的に排除しようとする者を我関せずと見て見ぬふりをする者がいるからこそ、より大きな悲劇の引き鉄となる。だが、彼自身、その当事者となるまで、それが分からなかった。分かろうとしなかった。
どうして彼らを責められようか……。
「私が、街の様子を見て来るわ」
立ち上がった来夏に視線が集まったが、反論する者は誰も居なかった。
それが最善の手であるかのように。
彼女も、戦場になるかもしれない街の人々の姿を見て置かなばならなかった。
彼らがどうして、その道を選んだのかを。
だが、彼らが、戦うことも辞さずに独立を望んでいるのだとしたら、そこにアリードたちが攻め込んで来たとしたら……。どうすればよいのだろうか。
第三報が入ったのは、来夏が、イェシャリルの街へ向かった直ぐ後の事だった。
「ラドロクアの軍が、動き出しました」
一瞬にして、その場の空気が凍り付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます