第46話 あの日

 流した涙を吸い込む乾いた砂を握りしめていた。

 幾ら強く握りしめても、指の間からこぼれ落ちるように、彼女の手には何も残らなかった。

 彼女の手に残されたのは、失ってしまった絶望、虚無感、それらでさえ、激しい閃光と共にすべてが消え去ってしまった……。

 彼女の手の中には何もなく。

 照りつける日差しも、吹き抜ける風も、過ぎ去る時間さえも感じず、動けずにいた。

 喪失、失ったという棘が、彼女の心を貫きその場に縫い留めていた。

 理不尽な力で、抗いようもなく、一瞬にして奪われて行くという事がどれほど深く心に突き刺さるのか、何が起きたのか、なぜ起きたのか、事柄を理解しても、心に刺さった棘は抜けはしまい。感情と呼ぶにしても、それはあまりにも深い部分に刺さっていた。

 ただ、その場から動けずに。

 焼けた砂を握りしめた石像のように、永劫の時間を過ごす。

 彼女に残されたのは、それだけだった。


「来夏ー!」


 不意に彼女の名を呼んだ懐かしい声に、全身が震え出しそうになった。

 完璧な日本語のイントネーションで、呼ばれる彼女の名前。そう呼ばれていたのが、はるか昔のような気さえする、懐かしい声が、夢の中から彼女を引き戻すように、聞こえて来る。


(朋美の声だ……、私は教室で眠っていたの?……、目を開けば、首を傾げて覗き込む彼女の大きな瞳と目が合う……。全ては夢だったと…………)


 ゆっくりと顔を上げると、眩い光の中に、翼を広げた大きな鳥の影が浮かんでいた。

 長い首を伸ばして力強く羽ばたく、大きな鳥。

 長い尻尾はたくましく、雄々しい角はキラキラと輝いていた。

 鳥ではない。……あれは、ドラゴン?

 巨大な翼竜の背中から、懐かしい声が聞こえて来る。


「来夏ー! いつまで経っても来ないから、迎えに来たんだよ」


「朋美? どうしてあなたがここに?……」


 ドラゴンに跨って表れたのは、来夏とは別の異世界に旅立ったはずの朋美だった。彼女がこの世界に居る筈が無い……。


「どうしてって? 急に緊急コールが来て、ゲートが開いたのよ。直ぐに来夏からだと分かって飛んで来たのよ。そしてら、行き成りミサイルが飛んできてて、もうびっくりしたわ」


「それって?……」


「こっちの世界は、ちゃんと人が居るのねー。うちは、何もいなくて、植物も酸素もないのよ、ほんとあんな所に行かされるなんて、ついてないわ」


「みんなは? 孤児院のみんなは?」


「孤児院? あそこに住んでる子供たちの事? 物凄い勢いで飛び掛かって来て、クアトリムが食べられてしまわないか心配したわよ。そういう食習慣の民族もいるから」


「みんな、無事なのね!」


「うん、うん、走り回っていたわよ?」


「ありがとう、ありがとう、朋美……」


「どっどうしたの、来夏?」


 朋美に抱きつくと、涙が溢れ出し、止まらなかった。

 どうして朋美がこの世界に来れたのか分からなかったが、今はただ、子供たちを救ってくれた朋美にいくら感謝してもし足りなかった。


「それより、この子、クアトリムって言うのよ! この子を作ったのよ。すごいでしょー、石を食べて育つのよー。他の物資と言ったら、岩石くらいしか無いんだけどね」


 孤児院に戻ると、子供たちが来夏に飛びついて、彼女の帰りを歓迎したが、大半の子供たちは、朋美の連れて来たドラゴンを夢中で見上げていた。


「おっきいー。これ何て動物? これがサイかな?」 


「違うのです。サイは首がないのです」


「羽があるよ、鳥じゃないかな?」


「とり? とりも大きいのです……とり?」


「この子はドラゴンよ。クアトリムって言うのよ」


 ドラゴン、この世界の生態系には無い空想上の動物。そんな物が目の前にいる事を受け入れられる筈が無い。しかし、子供たちは、少し変わった大きな生き物であるとしか、考えていないようであった。


「イルイルが、ドラゴンに乗るのです」


「ノルノルは、もっと上まで登るのです」


「みんな危ないわよ」


 ドラゴンは非常に大人しかったが、子供たちが踏みつぶされはしないかと来夏は気が気では無かった。隣りにいる朋美は、逆に、小さな生き物にドラゴンが食べられてしまうのではないかと、気をもんでいたのだった。 


 自分一人では何も出来なかった。

 小さな孤児院一つ守る事も、朋美が居なければ……。

 だからこそ、もう二度と失わないために……。

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