第39話 待ち伏せ 1

 恐怖は瞬く間に兵士の間に広がり、味方の振りをした敵がすぐそばに居るかもしれな緊張に耐えかねて、銃を手にすれば、一斉に仲間から撃たれるであると理解していても、身を守ろうとする誘惑は大きかった。

 彼らは、摺り足で後ずさりしながら互いに距離を取り、岩場全体に散開していく。それは、襲撃者にとっても好都合であった。


「こっちでも、やられてるぞ!」


 上げられた叫び声に皆が一斉に振り向き、その方向へ駆け寄ろうとしたが、アリードの視線が通り過ぎようとした岩陰に立っていた兵士が力無く倒れ込む姿が目に入った。

 咄嗟に駆け寄ったアリードだったが、兵士は既に同じ手口で殺されていた。それに、いましがた倒れたばかりだというのに、敵の姿はどこにもなく、岩影から逃げ出す人影も見かけなかった。


「こっちもか……だが、敵はどこに?」


 彼らが駆け寄って来た方向以外は、大きな岩が転がった急こう配の坂になっていて、それ程早く身を隠せるはずもない。何の痕跡も残さず、煙の様に消えた襲撃者にどう対処していいのか分からなかった。


(消えてしまったわけがない、初めからそこに居たが、俺たちと同じように駆けつけた振りをして紛れ込んでいるのか……?)


 注意深く周りに目をやっていたが、一つだけ奇妙な痕跡がある事に気か付いた。

 初めは倒れた時に飛び散った血痕であるのかと思ったが、不自然に点々と大きな岩へと続いていた。しかし、それもそこで途切れてしまっている。


(まさか、この大きさの岩をよじ登ったわけではあるまい……)


 アリードは、考え込みながら血痕の先を辿って、岩を眺めていたが、砂まみれの靴が一つ落ちている以外特に変わった所は無かった。


(やはり、散らばっているのはまずい、一度全員を集合させて……靴だと? 何故靴が落ちている?)


 慌てて見返したが、その場所に靴らしきものは見当たらなかった。丸い岩の形を見間違えたのだろうか? いや、そんな筈は無い、そこには見間違えそうな岩も無かったのだ。

 ……だが、そこに何かいる。彼は確信が持てないまま、一つ賭けに出る事にした。


「そこに居るぞ!」


 大声で叫んで、銃を構える。皆が一斉にそちらを振り向くが、誰も居ない大きな岩しかなかった。慌てて辺りを見回したり、とりあえず銃を構える者も、どこに敵が居るのか分からず、慌てふためいていたが、何人かが、狙いを定めて銃弾を放つと、岩の表面が剥がれ落ち、どさりと地面に倒れた。

 もう、誰の目にも明らかだった、迷彩を施された戦闘服を着た兵士がそこに倒れていた。

 そうなってしまえば、ただ、少し似た色合いと言うだけで、見逃すはずもないが、仲間の挙動が気になり、視線の動き、僅かな指の動きまで見逃すまいとしていた彼らは、ただじっと立っている敵を見つけることが出来なかったのだった。


「みんなを集合させろ、敵は岩に成り済ましているぞ!」


 大声で指示を飛ばしながら、周りに銃を向け集まり出す。今度は岩に潜む見えない敵に警戒をせねばならなかった。


(こんな、隠れ方が、戦い方があるとは……)


 手や顔、そして動く物に、目が行ってしまう心理的な隙をついての戦いに、思わず感嘆せずには入れれなかったが、分かっていても、無数にある岩に注意を払い続ける難しさに、焦りを感じていた。


(どこから来る……)


 ゆっくりと後退して、岩場を出ようとする彼らは、張り詰めた緊張に耐えねばならなかったが、それきり、敵の襲撃は一度もなく、見晴らしのいい砂の上まで移動することが出来たのだった。

 安堵のため息をついたが、それは、一度手の内がばれればあっさりと引いてしまう手際の良さを示し、敵の訓練の高さを彼らに見せつけていた。


(首都にはこんな兵士が待ち受けているのか? 俺たちで勝てるのか? ……俺たちは首都まで辿り着けるのか?)


 軍隊の衝突と言うにはあまりにも僅かな被害であったが、気が付かぬうちに忍び寄る敵からの攻撃は、彼らに大きなダメージを与えた。

 風に崩れる砂の音にも敏感に反応してしまう程の張り詰めた緊張。照りつける太陽の下で、そんな状態を保つのはいたずらに体力を奪い、それを緩めることも出来ず、限界まで引き絞られた後は、ぷっつりと切れるのを待つだけであった。


 アリードは、岩陰で再び休憩を取るべきか迷っていたが、しかし、そこに入った所で今の兵士たちは気を休めることが出来ないだろう。それならば、少しでも早く前に進むべきではないか、兵士たちも一刻も早くこの場を離れた以下のように、誰からともなく足を速めていた。


 彼らの疲労が蓄積されて、一人また一人と、砂を踏みつける足がふらつき、順番に緊張の糸が切れ始めた頃、砂の中に埋もれていた金属の棒が風に掘り出されたかのように何本も突き出していた。

 それが戦車の砲身だと気が付いた時には、轟音を上げて一斉に火を吹く。


「待ち伏せだ!」


 誰かの叫び声が上がった。


「散開して、身を隠せ! 固まっていると狙い撃たれるぞ!」


 突然の砲撃に、そうやって広がり逃げまどうしかなかった。しかし、砂塵のたちこめる中どちらに行けばいいのかも分からず、運まかせに、砲撃から逃れようとしていると、あちこちで銃撃音が上がり始めた。


「この近くに敵が居るのか?」


「何も見えねぇ、だが、あっちの方で撃ちあっている、こっちからも応戦するか?」


「待て、撃つんじゃない!」


 アリードは、直ぐに悪い予感を思い立った。これがもし、砂煙の向こうに見える人影を、敵と思い込んで味方同士が撃ちあっているのだとしたら、取り返しの出来ない被害になる。


「全員、視界が効くところまで後退だ! 無駄に弾を撃つんじゃない!」


 大声で叫んでも、銃声と砲撃で掻き消され、それがどこまで届くか不安だった。それでも叫び続けない訳にはいかなかった。

 だが、砲撃は、そんな彼をあざ笑うかのように、周囲を飛び交い、彼らをさらに深い砂煙で覆い尽そうとしているようであった。


 一度恐怖に取り付かれれば、拭い去る事の出来ない練度の低さを嘆いても仕方なかったが、それを巧みについてくる敵の策略を、恐怖していた。

 それは、幾らもがいても沈み込んで行くことを止められない流砂のように、彼らを足元から絡め捕って行く。


「だが……、俺は、この国を変えなければいけない! ミャヒナが笑顔で眠れる国にするために、俺は、こんな所で立ち止まる訳にはいかない!」


 絶望に閉ざされようとしても彼は、叫び続けた。

 そして、彼の仰ぎ見た、砂塵に閉ざされた視界から僅かに覗く空に、半透明の球体が太陽の光を反射させながら浮いているのが見えた。

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