最終話:15センチの真実

「いくらなんでも、その推理には無理がありますね」

 横から翼が嘴を挟む。


「な、何にを根拠に?」


「たとえ入ったとしても、逆立ちをする時は手の指をしっかり広げて伸ばさなければ逆立ちしにくくて安定しないでしょう。況してやあのような不安定な雪の上をですよ。それで逆立ちをして30メートルも進むなんていくらなんでも無茶すぎますよ。そもそも、それが可能だとしても、逆立ちをして近寄ってくる人物がいるだけでも被害者は警戒するでしょう」

 翼はあきれ顔で言う。


「じゃあ、まさか探偵さんは、三歳児の子供がやったとでもいうのかね?」

「いえ、そういうことを言っているのではありません」


「――おお、警部。宿泊客の中に、丁度三歳になる子供がいますよ!」

 ホウカン刑事が調書を確認して告げる。


 波謎野警部とホウカン刑事はほぼ同時に、三島朱美と一緒になってぬいぐるみで無邪気に遊んでいる、まだ愛度気ない高島心愛の様子を顧みる。


「おお、それだ! それで決まりだ! まさか――とは思っていたが、そのまさかだったんだ! 真実は思わぬ方向へ我々を迷宮の中に閉じ込めた。そんな馬鹿なことが……、そんなの有り得ない……、と思うようなことが実際に起きたのだ――そう考えれば何の不思議もない。実に意表を突いた犯人像ではないか……。我々は捜査に慣れすぎて至極簡単な事件ほど難しく考えてしまう傾向にある。難解な事件でも何でもなかったんだ。紫桐さんありがとう。こりゃ、目からウン◯だ」


「それを言うなら『目から鱗』ですよ警部」

 ホウカン刑事が正す。


「おお、そうか。ウン◯は尻からだったな。兎も角、これで事件は解決だ!」

 波謎野警部は晴れ晴れとした顔つきで、翼に笑顔を見せる。


「しかし、警部。現場での結論では、三歳児にこのような犯行は無理だと……」

 ホウカン刑事が首を傾げ言い寄る。


「ホウカン君。名探偵になるには、柔軟性も必要だ。無理だから……、というだけで、一度容疑者リストから省いた人物であったとしても、新しい事実が出てくれば、無理だと思われたモノでも無理でなくなることも大いにある。あの時はあの時。今は既に状況が変わっている。そうですよね、探偵さん!」


「ええ、警部さんの仰有るとおりです。真実と虚構を見極めるためにはどんな些細なことをも疎かにしてはならないのです。事実から見えてくるあらゆる可能性を追求し、無意味だと思われるものにこそ真実が潜んでいるときがあります」

 聞き入るホウカン刑事を余所に、翼は続けて言う。

「如何なる事象も事実から形を成します。それを見る側――つまり、誰がどの角度から、その事象を見たかによって事実は変わるのです。事実と呼ばれるモノは決してひとつではありません。真実と事実は違います。その本質に迫るには、あらゆる方向から角度を変えて見るということも大切だと思います」


「おおぉ、す、凄過ぎるぅ~」

 ホウカン刑事は全身を震わす。


「推理するには、まず事実の収集と蓄積が元になければならない。つまり、どれだけの情報を集め、その中から真実の情報を見極め、それらを元に分析推理する。消去法を用いてひとつひとつ潰していくのは、それらが集まってからだというわけですな!」

 

「ええ」

 翼が相槌を打つ。


「ホウカン君、良くわかっただろう。私が日ごろから言っているのは、つまりそういうことなんだよ。これこそが真実に近づくための心構え――捜査の基本だよ」

「そうなんですね」

 ホウカン刑事は納得して首肯く。


!」


「おおっ! 警部上手いですね」

 ホウカン刑事が、間髪容れずに警部を誉める。

 波謎野警部は一瞬首を傾げたが、まんざらでもないといった表情で首肯く。


「しかし警部、これは子供の犯行ではありませんよ」

 二人の話を訊いていた翼が言う。


「えっ、でも先程、大人には15センチの靴は履けないという結論に達したのでは?」

 波謎野警部が怪訝な顔で確認する。


「いえ、逆立ちでの犯行は無理だと言っただけです。だからといって、子供が犯人だと安易な結論には納得できません。何故なら……、子供が往来した足跡にしては、その跡が雪に深く沈み過ぎています。つまり体重がかかり過ぎているんです」

 翼が指摘する。


「あっ、なるほど! 素晴らしい着眼点だ。では一体どうすれば、あのような足跡が残るというんだ?」

 波謎野警部は頭を抱え込む。


「遺体の周囲には、被害者以外の大人の足跡は残っていなかったですし……?」

 ホウカン刑事も頭を抱え込む。


「警部、ここは鑑識結果が出るのを待ってからでも遅くはないと思いますが」

 ホウカン刑事が波謎野警部に促す。


「うむ~。それでは〝名探偵〟の名が……」


「…………」


「――つま先だけで歩けば可能ですよ」

 横から翼が言う。


「なぬ、つま先?」

 波謎野警部は身を乗り出す。


「ええ、〝ルルヴェ〟で横に歩けば可能ではないでしょうか」

「な、何ですか? その〝ルルヴェ〟というのは?」

 ホウカン刑事が問う。


「クラシックバレエでは、かかとを上げ、つま先で立つことを〝ルルヴェ〟と言います。〝持ち上げる〟という意味です」


「つま先だけで、30メートル歩行は可能なのですか」


「ええ、足首は伸びているが、指が曲がっている状態で立つ〝ドゥミ・ポワント〟、もしくは3/4まで上げる〝トロワ・カール〟なら可能でしょう。幼い頃からクラシックバレエを習得している人物なら充分可能だと思いますよ」


「おお、それだ! その〝つるべ〟というヤツだ。つるべだ、鶴瓶!」


「警部、〝つ・る・べ〟じゃなく〝ル・ル・ヴェ〟ですよ」


「そんなこたぁどうでもいい。問題は――それでも途中で靴が脱げるだろう」

「ええ、だからバレエシューズなのです」


「えっ、どういうことだ?」


「フラットシューズの中の種類の一つがバレエシューズです。つまりヒールがなく、靴底が平らなのです。警部は足跡を15センチの靴跡だと思い込んでいたようですが、実はトウシューズでは爪先の先端の平たく造った部分があり、これを〝プラットフォーム〟といいますが、爪先で立つ〝ポワント〟では着地面がその部分だけになり、如何にも小さな足跡のように見えるのです。ただし可成りの熟練者でなくてはトウシューズでの歩行は困難です」

 翼はわかりやすく説明する。


「そうか、あの足跡は子供の足跡ではなかったのか……、しかし、バレエシューズの横幅と言ってもそんなには大きくはないだろう」

「ええ、大人の女性なら横幅は10センチ前後でしょうか」


「――だろう。私が見たときは、あの足跡は確か15センチほどあったと思うが……」


「ええ、警部たちが到着するまで、現場保存のために遺体のそばまで最初に現場に駆け付けて来た駐在所のお巡りさん以外には誰も行っていません。つまり発見時から二時間ほど経った時点で初めて鑑識が行われたわけです。日の出から可成り時間が経った状態だったのです。私達が駆け付けたときは、まだ15センチほどの小さな足跡のようなモノだったと記憶しています」


「今、鑑識に確認しましたが、時間が経って判別しにくいが、あの跡はたしかに靴底ではなく、かと言って動物のモノでもなく、何か別のモノだとのことです。それと、雪の上の足跡のことを〝立体足跡〟と言うそうですが、足跡に付着した成分や僅かなキズなどを分析したらもっと詳細なことがわかるとのことです」

 ホウカン警部は、鑑識員が採取した資料を見ながら、波謎野警部に報告する。


「なるほど……」

 波謎野警部は空中を凝視して、しばらく黙る。


「手に靴を履いた跡だとしたら、それは足跡ではなく正確には靴跡と呼ぶべきでしょうし、写真で確認したのですが、つま先歩行の跡だとしても、確かにつま先は足の一部なので足跡と呼ぶのは間違いはないですね。」

 ホウカン警部は、ワケのわからない理屈で自分を納得させるように言う。


「――バレエの熟練者……? まさか、そんな人物がこの中に――」


「い、いますよ、警部!」


「思ったとおりだ! 実は、私も最初から怪しいとは睨んでいたのだよ」

「えっ! 警部。そうなのですか?」


「ああ、お嬢さん探偵には申し訳ないが、結局は私の推理を代弁した――と同じ結果になってしまったのが、非常に残念だ」

「おおぉ、さすが警部。わざと頓珍漢なことを言って、事件の解決を図っていたのですね。凄い、凄いッすね!」


「まあ、私ほどの名探偵になれば、現場を一目見ただけですべてお見通しなんだよ。しかし、お嬢さん探偵の能力も可成り優秀な部類だろう。何しろ私の導いた結論に達したのだからな。探偵さん! あなたの能力を試すようなことになってしまって誠に申し訳ない」

 波謎野警部はそう言って頭を下げる。


「いえ、警部さんの名探偵ぶりを拝見できて光栄です」

 翼は波謎野警部に敬意を払って労をねぎらった。


「――で、警部。犯人は?」


「犯人は――」



      ◇


 結局、この事件は男女関係の縺れが発端で、別れ話の延長上にあった。犯人は被害者を現場まで呼び出し、あとから来た被害者を用意していた刃物で殺害したという計画的な犯行だった。その殺害に使ったトリックは、ほぼ翼が推理したとおりだった。


 波謎野警部は如何にも自分ひとりで事件を解決したかのように振る舞い、温泉に浸かることもなく意気揚々として犯人を連行して出ていった。


 事件が解決し、旅館を退館が許されることになった紫桐翼と岡田蘭と森川瞳は、噂に名高い露天風呂で躰を温め、郷土料理を堪能して、その日の夕方には予定通り旅館をあとにすることとあいなった。そのころには、倒れた木で寸断されていた唯一のアクセス道路も、撤去作業及び、除雪作業もすっかり終わり、車が往来できる状態に復旧しているとのことだった。


 三人が旅館前の駐車場に止めていた車に乗り込むとき、蘭が旅館の看板を見上げ

「ねえ、この看板のところに書いてある


   センチ

   15


 ってどういう意味なん?」と翼に尋ねる。


「ああ、あの意味ね。〝15〟の上に〝センチ〟があるでしょう……」

「だから何やの?」


「だから、ここは『15』オン『センチ』ってことよ」


「…………?」


 三人を乗せた黒のミニクーパは排気ガスと少しだけ名残惜しさを残し、この温泉地郷の中でも一番山奥にあるスタンプラリーの最終地点――15番目の――湯元『山の奥温泉旅館』をあとにした――。



         <了>


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15センチの足跡 👣/Footprints of 15 centimeters 長束直弥 @nagatsuka708

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