第二話:15センチの足跡

 その名簿には、紫桐翼と岡田蘭、森川瞳以外に数人の宿泊客の名前が記されていた。

 波謎野警部は宿泊客を一堂に集め、それぞれの身元を確認した。



【宿泊客】

 現住所:大阪府寝屋川市◯◯

  高島健一たかしまけんいち(三十四歳):トレーニングジム経営

  高島妙子たえこ(二十八歳):元・床運動選手<健一の妻>

  高島心愛ここあ(三歳)   :長女


現住所:京都府宇治市◯◯

  上野哲也うえのてつや(三十八歳):会社員<空手道場師範代>


 現住所:大阪府枚方市ひらかたし◯◯

  三島朱美みしまあけみ(二十八歳):タレント<元・プロバレリーナ>

 

 現住所:大阪府大阪市北区◯◯

  横島武彦よこしまたけひこ(三十二歳):某雑誌社カメラマン


 現住所:大阪府茨木市いばらきし◯◯

  水谷美子みずたによしこ(三十六歳):料理研究家


【被害者】

 現住所:大阪府寝屋川市◯◯

  北山三郎(二十九歳):銀行員


「それと、こちらが第一発見者で宿泊客の、紫桐さんと岡田さん、森川さんです」


「おお、何と美しいお嬢さん達だ。私はこの事件を担当している彼の有名な名警部であり、名探偵の波謎野警部である」

「そ、そして、ぼ、僕が、ちょっぴりお茶目で……、はにかみ屋で……」


「――お調子者の、私の相棒、ホウカン君です」


 翼はにっこりと微笑む。


「ん? どうしたホウカン君。顔が真っ赤だぞ……」

「えっ! いやいや、け、警部こそ……」

「わ、私は元々こういう顔だ!」

「ぼ、僕だって元々こういう顔ですよ」

「う~ん。お酒を飲んだときよりは赤いような気がするが……?」


「お二人は仲がよろしいんですね」

 その様子を翼は微笑みながら見ている。


「そらもう、警部は僕の憧れであり尊敬する人物ですから」

「ホ、ホウカンく~ん!」

「けいぶぅ~!」

 二人はお互いを認め合うと、想いが募ったのか突然抱き合ってハグをする。


「……あのう、事情聴取のほうは、よろしいのですか?」


「ああぁ、そうでしたな。そうでした。――で、お嬢さんたちは学生さんですかな?」


「いえ。そんなに若く見られて光栄です」

 翼は波謎野警部に名刺を差し出す。


 ――『紫桐探偵事務所』 紫桐 翼――


「おお、女探偵さんとそのお友達ですか。なるほど、で、昨日からこの宿に宿泊していると……、で、発見時のことを詳しく話していただけますかな?」


 翼は、遺体発見までの経緯と概要を告げる。


 波謎野警部は、すっかり感心して聞き惚れる。

「ほほう、さすが探偵さんだ。手抜かりのない見事な証言ですね」


「警部! この旅館の温泉に露天風呂があるみたいっすよ」

 旅館のパンフレットを見つけたホウカン刑事が、それを見ながら波謎野警部に告げる。


「――だろう。この周辺地域には、いい湯が出る源泉があるらしい」


「あっ! ここにスタンプラリーのスタンプがありますよ」

「ああ、この地域の温泉郷には十五箇所ほどの温泉宿があのだが、それぞれの温泉には番号がふられていて、温泉マニアは1番から順番にひとつずつまわり最後にはここまで辿り着くというのが、この道のの入浴法らしい」


「へぇ~、よくご存じで」

「なぁ~に、温泉のことなら私に任せなさい。私は温泉警部とも呼ばれているのだよ」

 

「よおっ! 雑学博士、ウンチク王、博学博士!」

「よ~し、事件が解決したら、ここの温泉にでも入るか?」


「いいですねぇ」


「……で、警部さん。何か手がかりのようなモノは見つかりましたか?」

 翼が話の流れを修正する。


「もちろんですよ。この警部は今まで数々の珍事件を解決してきた名探偵なのですよ。こんな事件は……」

「朝飯前ですよ」


「わぁ~、凄い! きっと、名だたる名警部さんなんですねぇ」

 瞳は両手を合わせ目を輝かす。


「まあ、自分で言うのも烏滸がましいですが、他人は敢えてそう言いますね」


「是非、警部の名推理をお聞かせください!」


「事件当夜、ここは〝クローズドサークル〟状態だったようです」

 そう言って、ここに来る途中の状況を説明した。

「つまりこの旅館は、かのアガサ=クリスティの「そして誰もいなくなった」のような状況だったのです。外界との往来が断たれた――〝密室〟状態だったと言っても差し支えないでしょう」


「そうだったのですか。そうなると犯人はここにいるメンバーの中に――」

 翼は落ち着いた様子で目を閉じる。

「ええ、あなたがたも含めて全員が容疑者の可能性があります」

 波謎野警部は残念そうに呟く。


「ええぇ! あたしたちも?」

 蘭が困惑して言う。


「先程、皆さんひとりひとりのアリバイを伺ったのですが、残念ながら皆さん全員のアリバイは成立しませんでした。つまり……、全員に犯行が可能だということです」


「そんなぁ! 私のアリバイは家内が証明してくれている」

 高島健一が妻の妙子の顔を見て、横から訴える。

 高島妙子はコーヒーをカップをテーブルの上に戻し、首肯く。


「残念ながら身内の証言は効力がないと決まっておるのです!」

 波謎野警部が言い放つ。


「いえ、利害が一致している人の有利に導く証言は無効です。あなたの場合は、身内の証言ということで、他人よりも信用性が低いというだけのことです。確かな裏づけでもあれば話は別なのですが」

 翼が代わりに応える。


 高島健一と妙子は、納得したように首肯く。


「――そうなん。知らんかった……」

 蘭は、横にいる警部の顔を見遣る。


「……、まあ、前置きはここまでとして、これから私の名推理をお聞かせします」

 波謎野警部は、動揺を隠すように話を戻す。 

「さて、皆さんもご存じのとおり雪の上には被害者の足跡と、犯人のモノと思われる小さな足跡の二種類の足跡しか残っていませんでした。しかし、しかしです。どう考えてもその足跡の主が被害者を殺害したとは到底思えない。つまり、この事件は、子供の犯行と見せかけた……、所謂――」

 

「――目くらましトリックですね!」

 ホウカン刑事が先走って言ってしまう。


「……、そ、そのとおりだよ、ホウカン君。犯人による巧妙な心理トリックを利用した悪質極まりない犯行に間違いない!」

「さ、さすがっすね。つまり、その小さな足跡は、事件を攪乱させるために犯人がわざと残したモノだと――」


「そのとおりだよ。犯人は、そのために小さな靴を使用したのさ」

「おおぉ、警部。今日も推理が冴えていますね」


「な、何、名探偵と呼ばれる私にすれば、このくらいは……」

「朝飯前ですものね」

「そうだ! 今日は、まだ朝飯は食べていないからな」

 二人は顔を見合わすと、こらえきれずに噴き出すように笑いだした。


「…………」


「あの~、よろしいですか? 使用したとしても、15センチの靴をどのようにして使ったのでしょうか? 大の大人には、そのサイズの靴をまともに履くことはできないと思いますが……」

 瞳が素直な疑問を投げかける。


「足では――ね」

 波謎野警部が空中を見ながら言い放つ。


「えっ? それはどういうことですか?」


「つまりだ。手に履いて……」


「手に履く?」


「ああ、そうして、逆立ち歩行してあそこまで行ったのだよ」

 波謎野警部は、どうだ。驚いたかい――と、言わんばかりに瞳の顔色を探る。


「手に履くったって……、実際15センチの靴の〝履き口〟からに大人の人の手が入るんですか?」

 

「……そこは、入った――と仮定してだな……」

「ええっ~、仮定? 何という都合の良い解釈~ぅ」

 蘭がつっこむ。


「……、例えば……、手を握りしめて〝グー〟のカタチにして……、だな」


「いやいや、それでも無理だと思いますが……、まあ、入ったとしての仮定しての話ですけど、拳立てで、30メートル逆立ち歩行ですか? はたしてそんな曲芸のような芸当が可能なのですか? それに、たとえそれができたとしても、あの積雪15センチの雪の上です。逆立ち歩行の途中、雪にめり込んだ靴が脱げてしまう恐れがあるのでは……」

 瞳が更なる疑問を投げかける。


「可能か可能で無いかは別として、こうして実際に犯行が行われたという事実がある」


「そんなぁ~。あまりにも安易な推論と無謀な結論!」

 蘭がもう一度つっこむ。


「兎も角、普通の人には無理だろうな。たとえば〝中国雑伎団〟のような技を習得した人間、もしくは空手の有段者なら可能かも知れない」


「おおぉ、警部! 今日はいつもより知的に見えますよ」

 ホウカン刑事だけは、波謎野警部に熱い視線を送る。


「わっはっは! 若い美人さんを目の前にすると私の脳は、『レベル100』にアップするんだよ」 

 波謎野警部は両腕を組んで笑い出す。


「ということは、宿泊客の中にそんな芸当のできる人物が……、おおぉ~、い、いますよぉ~、警部!」

 事情聴取の終わった名簿で、再度確認していたホウカン刑事が、突然素っ頓狂な声をあげる。


 二人は同時に、椅子に座ってくつろいでいる高島冴子と、コーヒーを飲んでいる上野哲也の顔色を窺う。

 高島冴子と上野哲也の男女二名はキョトンとした顔で、警部の顔を見返す。


「――だろう。よし、これで犯人は決まった!」

「おおぉ!」


「犯人はこの中にいる!」

「よっ! 大統領!」


 横島武彦と水谷美子は顔を見合わせて、不安を募らす。


「それは――」


「それは……?」


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