第66話 責任

 善次郎の仕事は、ここ最近は順調に軌道に乗りつつある。

 それに、善次郎が起業してから、いかなることがあろうとも、しんどさや辛さなんか、口にも顔にも出したことはない。

 木島さんや菊池さんとなにかあったとも考えにくい。

 美千代は、嫌な予感がして、素早く部屋を見回した。

 そして、善次郎が口を開く前に、夏がいないことに気付いた。

「なっちゃんはどうしたの?」

 この頃美千代は、夏のことを、なっちゃんと呼ぶ。

 余談だが、活のことはそのまま活と呼んでいるが、たまに「かつたさん」と呼ぶ時がある。

 なぜかはわからない。

 一度、訊いてみようとは思っている。

 善次郎が事情を話すと、美千代と洋平はショックを受けた。

 事情を聞き終えた美千代が、時計を見た。

 病院が閉まるまで、後三十分。

「あなた、お金貸して」

 急かすような口調で、美千代が善次郎に手を差し出す。

 善次郎は、財布ごと美千代に渡した。

 それを受け取ると、美千代は急いで部屋を出た。

 洋平も、後に続く。

 二人は、折よく通りががったタクシーを捕まえて、病院へと急いだ。

 善次郎は家に残った。

 一緒に行こうとしたのだが、活が善次郎の傍から離れなかったのだ。

 活も、寂しいのだろう。

 こんなことは、滅多にない。

 猫に事情を言って聞かせてもわかろうはずもないので、活のことを考え、行きたい気持ちを抑えて残った。

 一時間ほどして、二人は帰ってきた。

「また、入院ね」

 美千代がため息をつく。

「俺のせいだ。俺が、もっと気を付けてやっていれば」

「あなただけのせいじゃないわよ。私たちも毎日会っていたのに、気付いてやれなかったもの。そんなに、自分を責めるのはやめなさい」

 自分を責める善次郎を、美千代がやんわりとたしなめた。

 夏の入院中、善次郎は仕事の合間を縫って、毎日夏に会いに行った。

 前回とは違い、自由業に等しいので、時間の都合はいくらでもついた。

 美千代と洋平も、毎日、必ず見舞いに行った。

 今度はわりと軽いほうだったので、一週間ほどで退院できた。

 善次郎は先生と相談して、月に一度は検査を受けるようにした。

 カルシウム剤も、毎日飲ませている。

 そうやって、半年ほどが過ぎた。

 一時はカルシウム剤を与え過ぎて、カルシウム値が高くなり過ぎたこともあった。

 そのような経験を繰り返して、検査結果を見据えながらカルシウム剤を調整することにより、ようやく、安定した数値を保つことができている。

「これからは、二ヶ月に一度くらいでいいですよ」

 検査が終わって先生がそう言ってくれてが、善次郎は断った。

 二ヶ月は長い。

 夏の病気は、完全に治癒するものではなく、一生ものなのだ。

 安定しているとはいっても、いつ容体が急変するかもしれない。

 善次郎の気持ちとしては、一週間に一度でもいいくらいなのだが、それでは、あまりにも夏が可哀相だから止めにした。

 なにせ、細い脚から血液を抜き取るのだから。

 善次郎は先生に頼んで、これまで通り、月に一度の検査を続けることにした。

 生まれ持って、不遇な体質を持っている夏。

 それがために、親に見放された夏。

 だが、安心しろ。

 もう、油断はしない。

 きっと、天寿を全うさせてやるからな。

 善次郎は気を引き締めて、毎日夏の様子を観察している。

 もちろん、活の様子もだ。

 一度引き受けた命を、粗末になんかするものか。

 それが、飼い主の責任だ。

 そう思って、毎日を過ごしている。

 美千代と洋平も、気を抜いてはいない。

 当の夏は、自分の病気のことなど、どこ吹く風といった調子で、三人の目の前で、今日も元気に、活と遊んでいる。


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