第64話 ほのぼの

 善次郎は、日々、全霊を傾けて頑張っている。

 この事業を失敗してはいけない。

 そんな、マイナスな思考はない。

 活と夏、美千代と洋平を幸せにするんだ。

 ただ、その思いだけだ。

 そんな前向きな気持ちが、善次郎に活力を与えている。

 愛する者を幸せにしたいという強い思いが、どんな苦労もへこたれず、善次郎を常に前に進ませている。

 以前、会社を経営していた頃は、人よりいい暮らしをして優位に立ちたいという思いが強かった。

 当時は、そんなことは露ほども意識していなかったが、今にして思えば、そうだった。

 よほど、事業欲に燃えているか、自己顕示欲の強い者でなければ、そうそう頑張れるものではない。

 そんな人間は、ごくわずかだ。

 そういった意味では、自分はどちらも中途半端だった。

 反省ではなく、善次郎は冷静に、過去の自分を分析していた。

 普通の人々は、家族のため、恋人と結婚するため、社員や部下を守るためなど、愛や他人を思いやる気持ちが、モチベーションを上げるのだ。

 今の善次郎には、二匹と二人を幸せにするという気持ちで一杯で、モチベーションは最高だった。

 愛する者のためには、仕事を大切にする。

 仕事を大切にするということは、お客様を大切にするということだ。

 お客様を大切にするというのは、お客様に媚びることではない。

 お客様の言いなりになることでもない。

 ましてや、善次郎は、経営コンサルタントだ。

 お客様のご機嫌を取ってばかりいては、コンサルタントとしては失格だ。

 今の善次郎は、お金儲けというより、真摯にクライアントと向き合って、その会社の改善をなし、それが認められた上での、正当な対価を得たいと思っている。

 そうでないと、長続きしないし、媚を売ったり、騙し取ったようなお金で、二匹と二人を幸せになんて出来るはずがないと思っている。

 ましてや、そんなお金で、二匹と二人を養うなんて、したくもなかった。

 それだから、時には、厳しいことも言う。

 それで切られたら、それは仕方がないと思っている。

 そういった善次郎の気持ちが、クライアントにも伝わったのだろう。

 最初に依頼を受けた二社とも、何度か打ち合わせを重ねる度に、善次郎に全幅の信頼を寄せるようになっていた。

「紹介した、俺の顔が立ったよ」

 お礼を兼ねて、菊池さんと飲みにいったとき、菊池さんが、何度も破顔しながら言った。

「俺が、惚れるくらいだからな」

 もちろん、一緒に誘われた木島さんが、得意気に笑った。

 木島さんの笑顔は、いつ見ても怖い。

 周りのテーブルの人たちは、因縁を付けられやしないかと思っているのか、善次郎たちに背を向けている。

 早々に退散するグループもいたくらいだ。

「木島さん。あんたが笑っちゃ、みんな安心して酒を飲めないよ」

 そんな軽口を善次郎が叩いても、木島さんは怒ることなく、ますます怖い顔になった。

「俺らまで、仲間と思われちゃ迷惑だな」

「仲間じゃねえか、こうして飲んでるんだからよ」

 菊池さんの軽口にも、木島さんは、さも楽しそうに反応する。

 善次郎は、そんな二人を見ていて、暖かい気持ちに包まれていた。

「あなた、今日も楽しそうね」

 善次郎が帰宅したとき、勝手に部屋に上がり込んで、活と夏とじゃれ合っていた美千代が、笑顔で迎えてくれた・

「ああ」

 その一言と、美千代に向ける笑顔で、善次郎は、いかに毎日が充実しているかを表した。

 今の二人には、余計な言葉は不要だった。

「頑張ってね」

 そう言ったきり、美千代は猫じゃらしで、活と夏との遊びを続けた。

「お母さんも、毎日楽しそうだよ」

 洋平が、善次郎に耳打ちをする。

「そうか」

 善次郎と洋平は、無心に猫じゃらしを打ち振る美千代を、ほのぼのとした気持ちで見つめた。


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