第81話 追及の手(2)

「我々のもとには他にも君の不品行に関する報告が届いている」


 書類をめくる音を、レンツォは黙って聞いた。


「君は4日前、地下牢で囚人に暴行を加え、昨日は旧市場で警吏隊長のリッポを殴った。さらに汚職だ。違法賭博を行った者を脅して掛け金を懐に入れ、一部の主催者から賄賂を受け取っている。警告で済ませる範囲を超えているというのが我々の考えだ」


 正直なところ、前日の件は、それほど重い罪に値するとはレンツォは思っていなかった。相手は殺人犯だ。逆に報奨金が提示されてもいいはずである。


 しかし過去にやらかしたことをほじくり返されるとまでは予測していなかった。


 分かった。

 リドルフィがこの場にいる理由が。


 お前はだと自分の口で言い渡したいか、罰金か追放刑が提案されるのを見物したいからだろう。つい1時間前、彼に向かってどんな暴言を吐いたか思い出した。他に考えられない。


 議長が警察長官の方に身を乗り出した。

「閣下、何か付け加えたいことがあると伺っておりますが」


 リドルフィはうなずいた。表情はいつにも増して厳しい。

「手短に済ませよう。公爵閣下は一連の暴力沙汰を憂慮しておられる。お前がさらに騒ぎなんか起こすべきではなかったのだ。が、誰に処罰を下すかはこちらの方々が決めることだろう。私から言いたいのはな、お前はもう今までの仕事をしなくてもいいということだけだ」


 目の前が真っ暗になった。分かっていたとはいえ、実際に解雇されるとなると痛手が身にしみた。武器も服も剥ぎ取られて裸で外に放り出されるようなものだ。


「その代わり、周辺農村地域の治安維持のために公爵が編成した隊に入ってもらう。サン・ドメニコで家畜が被害にあった件を受け、人員を増強することになったそうだ。うちからは警邏隊長と他数名を送ることになった。旧市場にはよその人員をまわす。午後からは彼とともに行動しろ。以上だ」


 議長が再び口を開いた。

「彼の処罰については、午後に引き続き会議を開くということでよろしいですかな?」


 裁判官らは同意した。


「明日の夜明けに処分を申し渡す。言うまでもないが、逃亡するなどという考えは起こさぬように」


 レンツォはうなずいて服従の意を示した。が、議長の声は両方の耳をほとんど素通りしていた。


 周辺農村地域の治安維持のため……


 公爵の兵と八人委員会が連携し、近辺の農場や集落の警戒にあたっているのは知っていた。そこに加わるのであれば、警察長官配下の1人として派遣されるということだ。つまり、解雇ではない。


 裁判官らは立ち上がって退室しはじめていた。


「首になるものとばかり……」

「お前は十字架に架けるには役不足だ。私からの処罰はない」


 マルカントニオ・ラプッチはそれでは納得しないだろう。考えを読み取ったのか、リドルフィは言った。


「とやかく言う者が出たら、他の不道徳な職員への誡めとして遠くに飛ばされたとでも言っておく。分かったら、突っ立ってないでさっさと行け」


 レンツォは口の中で返事を呟いた。ぎくしゃくした足取りで取調室を出るときにはもう、リドルフィは前に身を乗り出して議長と話していた。



 *



 血のこびりついた衣服は洗いに出す気になれず、丸めてマットレスの下に押し込んだ。


 左腕にかなり大きな切り傷があり、ずきずき痛む。いつこんな怪我をしたのかと考えた。骨董屋での出来事はばらばらの断片になり、記憶のどこに当てはまるのかさえ分からない。


 処分が決まるまでは勾留されると思っていた。あまり例のないことだった。囚人が保釈されることはあるが、通常は金と引き替えだ。レンツォは何も要求されなかった。警察の役人だからといって段取りを省略したりはしない。リドルフィが手を回したのだろうか。


 古いシャツを引っぱり出して着た。これが目こぼしなのか、新手の懲罰なのかは分からない。公爵の兵に加われば、それだけ行動しにくくなる。今、騎兵や警邏隊長の指示に従わなければならないのは煩わしい。


 だが、ここで解任を願い出るほどレンツォも馬鹿ではなかった。冷や汗を流しながら聴取を乗り切ったのだ。


 裁判官が列挙した「不品行」の一覧に、庁舎の押収品戸棚から物品を持ち出してベルリンゴッツォに横流ししていた件は含まれていなかった。

 骨董屋は拘束されて取り調べを受けている。彼が余計なことを八人委員会に喋るまでそれほど時間がないはずだ。



 *



 大聖堂広場を通りかかった。鼻の大きな小男が木箱に乗り、集まった見物人に向かって声を張り上げていた。

「私はギリシャの錬金術師であります。これはアレクサンドリア渡りの秘薬。飲めば女なら子どもを授かり、男ならばたちどころに精力が蘇る」


 十数人がその言葉に耳を傾けていた。真っ赤なローブをまとった「錬金術師」は、盗人のルカだった。長すぎる袖をまくり、薄黄色の液体が入った瓶を片手に掲げている。

 

 芝居がかった仕草で、黒い粒を瓶の中に入れる。


「まだ飲むことはできません。これを奇跡の水に変えるには、きんが必要です。他の金属ではいけません。混じり気なしの金でなければ。もし金貨10枚分の金をご用意下されば、すぐにでもこれを奇跡の薬に変えてご覧に入れましょう」


 見物人がどよめいた。レンツォは人をかきわけて箱に近づき、私はこの秘薬で50人の女を孕ませた、と大声で述べている男の襟首をつかんで路地へ引っ張っていった。


「アレクサンドリアの秘薬だと?」

「まさか、そんなわけないだろ。ウサギの糞だよ」

「あの水は?」

「小便だ」


「お前に頼みたいことがある」


 ベルナがバスティアーノの女と子供を殺すと言ったという話を、レンツォはまだ覚えていた。この場合、ルカは信頼できるとは言えないが、時間がないうえ、今は他に方法がない。

 彼らの家をルカに教え、いいと言うまで家から出るなと告げるように言った。


「それと、ティントーリ通りにラウラという女が住んでいる。彼女にも同じことを伝えてほしい。もう1つ、ベルナが昨日、レオーネ通りにある骨董屋の店から逃げて姿をくらました。どこに行ったか調べろ」


 ルカはぶつくさ言いながら見物人のほうへ戻った。1人の老人が胡散臭い瓶を凝視し、金を出したそうな顔をしている。


 レンツォはその場を離れようとした。急に頭がくらくらした。眼窩から血を噴き出させ、仰向けに倒れるビッチの姿が脳裏に浮かんだ。槍の先端が眼球を貫いて頭蓋の奥までえぐる感触が、まだはっきり手に残っている。


 自分の両手を見下ろした。先程からずっと震えている。

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