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第80話 追及の手(1)

 夜の間に降った雨で、警察長官庁舎の庭の敷石はまだ濡れている。


 レンツォは2人の兵士に前後を挟まれて歩いた。前の兵が扉の前で立ち止まり、槍を振った。どうやら入れと命じているらしい。


 そこは八人委員会の取調室だった。


 市民裁判官が全員そろっていた。

 壁に並んだ腰掛けにボンクラ頭が8人。


 1人欠けている。


 視線を巡らせた。あの老いぼれ金細工師の姿がない。だが裁判官は8人いる。どういうことなのか考え、察した。首をすげ替えたのだ。


 白髭を伸ばした議長が、咳払いしてから口を開いた。

「君はジュスティーノの息子のレンツォだね?」


 自分のことを言われているのに違いなかったが、他人の名前を聞いたように関心が湧かなかった。

「はい」


 議長はまた咳払いした。何かに戸惑っているようだ。おれはずいぶんひどい格好をしてるんだろう、とレンツォは思った。


「君から聴取しなければならないことが山ほどある。昨日、レオーネ通りにある骨董屋のベルリンゴッツォの店で死体が2つ見つかった。死んでいたのは警察長官庁舎の警吏だったバスティアーノと、ビッチと呼ばれているスペイン人の男だ。君もその場にいた。そうだね?」


「はい」


「何があったのか詳しく話してもらいたい」


 後ろで扉が閉まる音がした。警察長官が入ってきて、入口に近い場所を選んで腰を降ろした。

 そちらを見ないようにしながら、レンツォは前にだけ顔を向けた。


 何から話せばいいのか分からない。あそこで起きたことを思い出すのは難しい。バスティアーノが屠られた家畜みたいに血を流しているのを見た後は記憶があやふやだ。

 

 頭のどこかでベルナの声がしている。


(後悔することになるって言っただろ?)


 その手に握られているのは、柄がI形をしたスイス製のバセラルドだ。カルミネ広場の老女の家でマウリツィオに向けられた短剣なのだから見間違えるはずがない。


 盗まれたか、奪われたという可能性が先に思い浮かんだが、どうしてか彼がベルナに渡したのに違いないとしか考えられなくなった。


 ベルリンゴッツォが情報を掴んだという話を聞いたとき――今なら嘘だったのだと分かる――なぜ一緒に行かなかったのか。バスティアーノは大聖堂でコッラードを殺した男を捜そうとしていただけなのに。おれがマウリツィオにこだわって意固地になったばっかりに罪もない誠実な男が死んだ。


「彼を殺したのは、ヴァレンシア人のベルナと相棒のビッチの2人です。それを命じたのはピエロ・ランフレディの息子のマウリツィオです」


 議長は眉をひそめた。八人委員会はすでにそれを知っているのだろう。が、この場でピエロの名前が出ることは誰も望んでいないらしい。


「君がもう1人の男を殺したことは許しがたい」

 と言ったのは、ジャンニ・モレッリの代わりに入った新顔の裁判官だった。


 口を開こうとして、警察長官にじっと見られているのに気がついた。


 緊張で汗が滲んできた。リドルフィは何のためにこの場にいるのか。下級の警吏が免職を言い渡されるのを聞くために八人委員会の取調室までわざわざ出向いてくるとは思えない。


「やつらはバスティアーノを殺し、おれをも殺そうとした。名誉と命を守るためにしたことです」

「殺しですぞ、君のしたことも」


 裁判官の顔はどれも渋面だった。身を守るためだったという主張を彼らは受け入れるだろうか。分からなかった。議長の隣にいる男は書類をめくっていた。気になった。何が書いてあるのか。


「君はその男を殺さず、ここへ連れてくるべきだった。もちろん我々も罪人に死罪を下すことはあるが、それは法に基づいた断罪としての処刑である。好きなように殺していいわけではない。我々が扱うべき殺しの下手人に、君は勝手に始末をつけた。八人委員会の尊厳への侮辱にあたる。それは分かっているのかね?」


「はい」


「身を守るために行動したと言うが、では次のことはどう申し開きをする。つい先程、君はマルカントニオ・ラプッチの私邸に無断で押し入り、その場にいたピエロ・ランフレディの息子のマウリツィオに襲いかかった。館の者によれば、君から先に手を出したそうではないか」


「頭に血が昇ってたのは確かです。けど、最初にあのスペイン人たちをけしかけてきたのはあの男なんです。おれはやり返したかっただけです」


 弁論の経験はなかった。正当性を伝えたいあまり、焦ってむきになり、感情的になっていた。正しく受け答えできているのかどうかさえ分からなかった。


 が、裁判官らを納得させることができていないのだけは分かる。

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