第76話 絞首刑の縄

 マウリツィオは眉目秀麗だが、どこか卑屈さを感じさせる顔だった。


 家は古くからの名家であり、父親のピエロは評議員で、親類も何人かは議会に席を得ている。しかしマウリツィオだけは議会どころか、いまだフィレンツェの新しい政府のどんな官職にも就いたことがない。


 何もせず、ぶらぶらして警察沙汰を起こしていれば兄弟間では孤立するだろう。一族から疎まれていることが、こうした投げやりな人生の一因なのかもしれない。



 *



「お前さんは殺しを企てただけじゃなく、おれの知り合いだった絵描きの娘を手込めにした。なのに大手を振って歩いてる。それがどれほど癪に障るか分かるかい?」


「その件に関しては、女のほうから訴えを取り下げたと聞いている。あらぬ言いがかりをつけたのを恥じたのだろうな」


「いいや、きっとお前さんみたいなうんこ野郎と寝たのを恥じたんだよ」


 後ろから肩をつかまれた。

 振り向くと、マウリツィオの目に怒りがたぎっていた。


「あんたは無礼だ。おれを怒らせたらどうなるか知ってもらわなけりゃならない」


「順番待ちの列ができてるよ。ピエルフランチェスコ・リッチョの後ろに並んでもらうことになると思うけど」


「宝石を盗んだのがあんたの徒弟だってことが公爵に知れても、まだそんな虚勢を張っていられるか?」


 ジャンニは平静な顔を保とうとした。が、難しかった。そういう心中を見透かしたように、マウリツィオはにやにや笑っていた。


「コジモはお抱え職人のあんたには甘いが、何の価値もない徒弟のガキを大目に見たりはしない。公爵閣下の宝石を盗んだ罪で絞首刑が妥当に思うが、どうだろう、書記官殿」


「無論、そうでしょうとも」

 ラプッチは厳かな顔で相槌を打った。しかし話を理解できていないのは明らかだ。


 ジャンニは内心で首を捻った。ルビーの事をどうしてこいつが知ってるんだ?


 分かった。

 ダミアーノだ。


 リージに宝石を盗ませた事実を、彼がマウリツィオに喋ったのだ。


「ああ、お前さんの言う通り、ルビーはなくなったよ。でも責任はおれにあるんだ。何なら公爵に言ってもいい。だけど徒弟に手を出すのはやめてくれ」


「あんたを突き出したって、どうせあの素朴な公爵はほだされちまう。それじゃ私の怒りが収まらない。ここまで侮辱されたんだからな」


 マウリツィオは腕を組んで思案した。


「どうだろう、公爵に代わって我々が処罰するというのは? あんたは犯罪者として縛り首になるんだ。そうすりゃ徒弟が宝石を盗んだ事実は伏せておいてやるよ」


「お前さんにそんなことはできないと思うけど。おれが何もやってないのは周りの連中が知ってる」


「そんなのどうでもいい。さあ、縛り首になるのか、ならないのか、どっちだ?」


 マウリツィオは突拍子もないことを言っていた。ジャンニを絞首刑にする権限がないことくらい分かっているはずだ。悪ふざけのつもりだろう。


 ジャンニは判断に迷った。


 言い逃れできないでもない。が、今はいい気にさせておくべきだ。マウリツィオはこの場で力を握った事実に酔いしれている。


 従わなければ、この男は本当にリージを公爵に突き出しかねない。


「分かったよ、言う通りにする」


「あんたはずる賢そうだから、逃げる気を起こさないよう供述書を書いてもらおう。道具をお貸し頂けるだろうか、書記官殿」



 *



「こう書くんだ。――私、ジャンニ・モレッリは生まれの卑しい性的倒錯者であるが、こうした邪悪な性癖に飽き足らず、さらなる数々の悪行をなし――」


「おや、そろそろ庁舎で会議が開かれる時間だ。ちょっと失礼するよ」

 ラプッチがおもむろに言い、そそくさと客間から出て行った。


 万が一、何かが起きた場合、自分はその場にいなかったと公爵に釈明できるようにしておくほうが無難だ――出世をもくろむ高級官僚はそう考えたのだろう。


「――神を冒涜する行為を行った。この罪は死をもってしか償えない」


 頭だけは猛烈に働かせながら、ジャンニはペン先をゆっくりとインクに浸した。


 きっとお遊びだ。そうにちがいない。しかし、ここで書かせたものをマウリツィオは後で何に使うつもりなのか。


「絞首刑の縄が要るな。おい、縄をよこせ」


 従僕の男が、どこかから粗く編んだ縄を持ってきた。

 その太い縄をマウリツィオはジャンニの首に巻きつけた。


「公爵には、あんたが恥に耐えかねて自害したと言っといてやるよ」


 背後に回られ、ジャンニには彼の姿が見えなくなった。

 突然、容赦なく首が絞まった。



 ――こいつは本気だ。



 本当にやるつもりだ。


 ジャンニの手はひとりでに縄をつかんだ。

 机を蹴り、必死で腕を伸ばし、後ろに爪を立てようとした。


 届かない。

 全身から冷や汗が吹き出した。


 視界が徐々に狭まり、目の前が暗くなった。


 扉が開いてレンツォが入ってきた。


 彼は部屋を突っ切ってジャンニを素通りし、マウリツィオをつかんで壁に投げ飛ばした。

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