第57話 取調室(4)

「水を一杯くれよ。喉がからからなんだ」


 取調室の中を見まわして、骨董屋は言った。床の足跡はこの間抜けが歩き回ってつけたのだろう。


「水? あとでいくらでもやるよ。あんたを川に沈めたい連中が外にいっぱいいる。彼らが顔を押さえつけて飲ませてくれると思う」


「言っとくが、おれは殺してないぞ」


「そうかな? なんか楽しい集まりに参加してたそうだけど。それが八人委員会にばれちまった。こりゃまずい、ってとんずらしようとしたら警察がきたんだろ?」


「おれはやってない」


「あんたも馬鹿だな。ラプッチの署名付き文書を偽造しただけなら大した罪にはならなかったかもしれないのに。ついでに奴の名前で猥褻な詩でも書いてそのへんに貼り出してくれてもよかったのに。けど、殺しとなると……」


「違う、おれじゃない。やったのはベルナだ」


 ベルナ? 聞いたことのある名前だった。ジャンニは頭の中で名簿をめくり、誰なのかを思い出そうとした。だめだ。数日間であまりにも多くの名前を聞いたせいで、誰が誰やらさっぱりだ。


「そいつに頼んでバスティアーノを殺させたのかい?」


「なんでおれがそんなことをしなけりゃならない。あいつとはうまくやってたんだ。なあ、座ってもいいか? 小突き回されたんだ、くたくたで喋れない」


「まずあそこで何があったか話してもらいたいんだけど。やってないなら尚更だ。でないと顔を水に漬けられるだけじゃすまないぜ」



 *



「ベルナってのは、半年くらい前にフィレンツェに流れてきたヴァレンシア人だ。石切職人だと言ってたが、ただのごろつきさ。〈コロナ〉で暴れて牢にぶち込まれた時はいい厄介払いだと思ったよ。だが、そのあと奴が馬鹿なことを企んでるという話が耳に入った」


「仲間の男を脱獄させようとした、とかいう話だな?」


「ああ。おれは連中を売るか、協力して分け前にあずかるか、どちらが得かを考えた。で、仲間に加わることにした。ところが1人が死体で見つかって事情が変わった」


「1人ってのは?」

「ヤコポさ」


 ジャンニは腰かけの上で身を乗り出した。

「葡萄酒運搬人のヤコポ?」


「そうだ。昔はまともな商売をしてたらしいが、あんな連中とつるむなんて、どこで道を誤っちまったんだか」


「あんたもだ。考えを変えたのはどういうわけだい? 頭数が減れば分け前も大きくなるだろうに」


「まさにそのためにヤコポは死体になったに違いないからだよ」


「そいつらが殺したってことかい?」


「あんなやつ、足手まといになるだけだからな。で、おれは関わるのをやめたんだ。レンツォには何も知らないふりをし、あたりさわりのない話をしといた。割に合うときだけ情報をやることにしてるんでね。ベルナの姿は、昨日の晩から見かけてなかった。とんずらしたと思ってたんだよ」


「だけど、また現れた」

「馬鹿をもう1人連れて。何ていったっけ……」

「あの、死んでいたもう1人の男?」


「そうだ。2人とも武器を隠し持ってた。嫌な予感がしたから、物騒な事なら他所よそでやってくれと言ったんだがね。ベルナはにやにやして、ここで人と会う約束があるんだとか言った。そうしたらバスティアーノが来たんだよ」


「ベルナたちは何の目的であんたの店に行ったんだ?」


「何のって、あんた、奴が何をしたか見たんだろ? ベルナは〈コロナ〉でバスティアーノにぶちのめされて根に持ってた。冗談じゃないぜ、店を血だらけにしやがって。死体をどうしろってんだ。言い争ってるうちに、また戸を叩く音がした。今度はレンツォだったんだ」


 通路が騒がしくなり、裁判官たちが入ってきた。ジャンニはベルリンゴッツォの話をまったく書き取っていないのに気づいた。どのみち、そんなことをする気力もなかった。


「彼も殺したのかい?」

「だからおれはやってないって。知らないよ。なんとかして帰ってもらおうとしたんだぜ」

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