取調室
「ええ? 着物姿の女が突き飛ばした?」
隣に座った中年の警官は、怪訝そうな表情で、ねめつけるように僕の顔を見た。
ここは岡部さんが轢かれた事故現場近くのパトカーの中。僕は後部座席で警察に事情聴取を受けている。運転席にいるもう一人の警官も、眉間にしわを寄せ、バックミラー越しにちらりとこちらの様子を窺った。
僕は僕が見たありのままを話した。信号が変わる前に交差点を抜けようとトラックが加速をつけてきたこと。そして、トラックが僕たちの前を通り過ぎる瞬間、岡部さんの背後に突然現れた着物姿の女が、岡部さんを道路へ突き飛ばしたこと。
しかし、警官は困り果てたように低く唸った。
「う~~~ん、運転手や他の目撃者の話では、そんな女はいなかったそうだがなぁ……」
「本当なんです! お紺が岡部さんを……」
「お紺? ……何だねそれは」
「それは……話せば長くなるんですけど、僕に呪いをかけている女なんです」
「はぁ? 呪い?」
と、警官は口辺に嘲るような笑みを浮かべる。信じてもらえるなんて思ってはいないが、僕にはこれ以外の説明が思いつかなかった。この他に、いったいどう説明すればいいのだろう?
「あのねぇ、ボク。これ、警察の事情聴取なんだよ。私だって、遊びでこんなことをしてるんじゃないんだ。君のことを呪っている女が突き飛ばしたって言われて、ハイそうですかって、そんな言い分が認められるとでも思ってるのかね?」
「そんな……でも……」
「ちゃんと目撃者がいるんだよ。あの時、あそこには君と亡くなった女の子しかいなかった。そして女の子は不自然に、倒れ込むようにして道路に飛び出した。ここまでは目撃者と運転手の証言が完全に一致している。いったい、君以外の誰が、彼女を突き飛ばせるというんだね?」
これは、まさか……。
僕はおそるおそる尋ねた。
「もしかして……僕が岡部さんを殺したって、疑われているんですか……?」
警官は一瞬、しまった、という顔をしたが、またすぐに厳しい表情を作り直す。
「状況から考えれば、そう疑わざるを得ないということだ」
「僕は……僕は、岡部さんと一緒に下校していただけなんです! 岡部さんは僕に色々よくしてくれたし、今日だって、彼女にテニス部に誘われて、体験入部させてもらったばっかりなんですよ。どうして僕が彼女を殺さなきゃいけないんですか!」
「それは……まあ、思春期だし、色々あるだろうよ。とにかく、詳しいことは署で聞かせてもらうから」
そして僕は、そのパトカーで警察署まで連行された。任意同行という形式ではあったが、警官の高圧的な態度の下、実質僕に拒否権はなかったと言っていいだろう。無駄に逆らって心証を損ねたくはなかったし、ちゃんと捜査してもらえば、お紺のことはさておき、僕の無実は証明されるはず、とも思ったからだ。
取調室はとても狭かった。僕と姉貴が暮らしているアパートより狭い部屋を見たのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。部屋の中央にある小さなスチール製の机と、それを囲む二つの椅子。机の上に置かれた小さなデスクライトが、物寂しさを一層募らせる。
取り調べにやってきたのは、さっきパトカーで話した警官ではなく、坊主頭で強面の、中年の刑事だった。刑事は岡部さんのことだけではなく、既に事故と結論が出ているはずの更紗の事件についてまで、改めてほじくり返してきた。質問というより恫喝に近い口調で、何度も何度も繰り返し同じ質問。漢字や英単語の勉強みたいに、しばらくは刑事の尋問を諳んじられるだろう。
それで埒があかないとわかると、次に始まったのは誘導尋問。ずっと僕を脅していた刑事が取調室を後にして、入れ替わるようにして違う刑事が入ってきた。さっきの刑事よりやや若く、一見すると教師やビジネスマンのようでもある、柔和な雰囲気の男の刑事だ。穏やかな口調で巧みに質問を変え、あやうく口車に乗せられそうになったこともあった。
だが、僕は断固として認めなかった。
僕は何もしていない。誰が何と言おうと、岡部さんを殺したのはお紺なのだ。
そして、取調室に入ってからずっと温和な表情を保っていた刑事が、眉間に皺を寄せ、さすがに苛立ちを見せ始めた頃。取調室のドアが静かに開き、最初に僕を脅した男が小型のタブレットを携えて戻ってきた。
「失礼します……付近を走行していた乗用車のドライブレコーダーの映像が用意できました」
「……何、ドライブレコーダー?」
会話から察するに、この温和な刑事の方が立場が上なのだろうか。まずそのことに驚いたけれど、トラックにドライブレコーダーが搭載されていたことにも、少なからず驚かされた。映像が残っているなら、もう僕への疑いは晴れたも同然だ。お紺の姿が映っているとは思わないが、少なくとも僕が岡部さんを殺したわけじゃないということは証明されるはず。
差し出されたタブレットの画面を見た刑事は、大きくため息をつき、決まりが悪そうに視線を泳がせる。その刑事の反応が、結果を如実に物語っていた。取調室にぴんと張り詰めていた緊張感も、潮が引くようにあっさりと消え失せて、しらけた雰囲気が漂い始める。
僕が岡部さんを突き飛ばしたわけではないということが、ようやくわかってもらえたのだろう。僕はひとまずほっと胸を撫で下ろしたが、しかし――。
「刑事さん、その映像、僕にも見せてもらえませんか?」
「……え?」
僕は、その映像を見て確かめなければならないことがある。突然の申し出に面食らったのか、刑事は面倒くさそうに僕を見た。
「一緒にいただけで疑われて、こんなに長い間取り調べを受けたんだから、僕にも映像を見る権利ぐらいあると思います」
実際にそんな権利があるのかどうかはわからない。いや、きっとないのだろう。でも、刑事は渋々といった表情でタブレットの画面をこちらに向け、映像を見せてくれた。
乗用車のフロントガラスに、スクリーンのように切り取られた花倉高校近辺の風景。映像はすぐに事故の起こったT字路の交差点に差し掛かった。車はトラックの対向車線を走行していて、ゆっくりと交差点に差し掛かりつつある。信号が黄色に変わったのを見て減速しているようだ。一方、トラックは急加速をかけ、信号が赤に変わる前に通過しようとする。
そして、トラックが交差点を通過する直前、岡部さんが突然弾かれたように道路に飛び出した。ドン、と鈍い音の後に、急ブレーキを踏んだトラックのタイヤが甲高い悲鳴を上げる。岡部さんの体はトラックの車体の下にあり、映像として残されていなかったのが幸いだった。
目を背けたくなるような気持ちを抑え、僕は交差点に差し掛かるところまで映像を巻き戻す。横を向き、恐怖に歪んだ表情で虚空を見上げる僕の姿がそこにあった。お紺の姿を見ているのだ。
そこから数コマ進めて、岡部さんが道路に飛び出したところでもう一度映像を止める。金縛りにあったように直立した僕の手はぴったりと自分の体に添えられていて、僕が彼女を押し出したわけではないということが一目瞭然だった。
でも、そんなことを確かめるためにわざわざ映像を見せてもらったわけではない。
僕は画面に顔を近づけて、必死に目を凝らした。
岡部さんの背後。
画面の中の僕の視線の先。
お紺が立っていたはずのその場所には、着物姿の女どころか、僕と岡部さんのもの以外、影すらも映っていなかったのだ。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i
長時間に及んだ取り調べから解放されて警察署を出ると、真っ先に目に飛び込んできたのは姉貴の姿だった。玄関ポーチの柱に寄りかかって立ち、項垂れたままスマホを操作していた姉貴は、僕に気付くとすぐ、
「葉太郎!」
とこちらへ駆け寄って来て、僕の体を強く抱き締める。
「葉太郎、大丈夫だった? 怪我はない?」
「あ、姉貴……僕は大丈夫。平気だよ」
「本当に? 交通事故に巻き込まれたって聞いて、警察からも電話かかってくるし、もう居ても立ってもいられなくて……」
「いや、事故に巻き込まれたわけじゃないよ。一緒にいた子が事故に遭って……僕はちょっと事情聴取を受けてただけ」
「そう……よかった……」
僕の無事を確かめても尚、姉貴は僕を離そうとしなかった。狭く肌寒い部屋でずっと刑事と顔を突き合わせていたせいか、姉貴の腕の中はいつも以上に温かく感じられる。そんな僕たちの姿を、強面の刑事はしばらく戸惑ったような顔で眺めていたが、気まずそうに一つ咳払いをしてから、姉貴に声をかけた。
「おほん。あの……今川くんの保護者の方……ですよね?」
姉貴は僕を抱いたまま答える。
「はい。葉太郎の姉です」
「お姉さん……?」
とてもそうは見えない、とでも言いたげに、刑事は眉根を寄せて問い直す。しかし、強面の刑事にも物怖じすることなく、姉貴は男役を演じていたときのような鋭い視線で刑事を見返して言った。
「ええ。何か?」
すると、まさか睨みつけられるとは思っていなかったのか、刑事は怯んだように一歩後ずさる。
「あぁ、いえ、別に……あの、ご両親は?」
「いません。どちらも亡くなりました」
「そ、そうでしたか……それは申し訳ない。ほ、本官がご自宅までお送りいたしますので」
そして僕たちは、強面の刑事が運転するパトカーでアパートに戻った。
その夜はなかなか寝付けなかった。布団に入り目を瞑ると、血みどろの事故現場、岡部さんの体の潰れる音がフラッシュバックしてきたからだ。取り調べを受けている間は自分のことに精一杯でそれどころではなかったけれど、あの凄惨な光景は、更紗のとき以上に鮮明に脳裏に焼き付いてしまっているようだった。
しかし、それ以上に僕の心を蝕んだのは、お紺の呪いによって、もう二人目の犠牲者が出てしまったという事実だった。しかも、更紗と違い、岡部さんとは恋愛関係ではなかった。にもかかわらず、お紺の呪いの標的になってしまったのだ。
ただ僕とほんの少し関わっただけで。
彼女は死んでしまった。
僕はいったいどうすれば……。
姉貴の温もりも、今夜ばかりは僕を癒してくれず。結局一睡もできぬまま、次の朝を迎えた。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i
翌日の朝。いつも通り教室に入ると、クラスメイト達の視線が一斉に僕に突き刺さってきた。そして、その視線に込められた意味は、更紗のときとは明らかに違っていた。花倉高校のすぐ近くで起こった事故だから、岡部さんのことはもうクラス中に知れ渡っているらしい。
入学してから一ヵ月余りで、既にクラスで二人目の死者が出てしまったのだ。二人とも僕に関わった女の子で、しかも、僕は二度とも亡くなった現場に居合わせていた。客観的に見れば、不審に思われるのも当然だろう。もちろん僕に向けられた視線の全てが訝しむようなものだったわけではないが、入学して以降、数少ない男子ということで色々気を使ってもらっていたことを考えれば、態度の変化は明らかだった。
突然の手のひら返しに驚きはしたけれど、でも、クラスメイトたちを責めることはできない。もし逆の立場だったとしたら、僕だってきっと僕のことを怪しむだろう。彼女たちに全く非はないのだ。悪いのは――。
岡部さんの机には、更紗の時と同様、ガラスの細身の花瓶に白い菊が生けられていて、現実を改めて突き付けられる。それが単なる事故ではなかったことを僕は知っているし、原因は僕にあるのだ。僕が彼女を巻き込んでしまった。心臓が鉛に変わったように重くなり、僕は足を引きずるように自分の席へ向かった。
「お、おはよう、今川」
先に席についていた武田が声をかけてきたが、表情はやはり普段と若干違っていた。辛うじて笑顔だけは取り繕っているものの、その口元が明らかに強張っている。
「おはよう、武田」
「し、知ってるか今川、岡部のこと……」
白々しい、と僕は思った。岡部さんが亡くなったことを知っているなら、僕がその場にいたことだって当然知っているはずだ。それでも敢えてこんな回りくどい言い方をするあたりに、武田の本音が表れているような気がした。いつもならウザくなるぐらいずけずけと言いたい放題の武田が。
「知ってるよ」
「残念だったな、その……あいつ、お前のことを熱心に勧誘してたし……」
「……そうだね」
半ば強引に会話を打ち切ったところで、太原先生が教室に入って来て、朝のホームルームが始まった。
そして、その日の放課後。僕はいつにも増して陰鬱な気持ちで校舎を後にした。
校門を出て、事故現場となったT字路に差し掛かる。道路にはまだ赤黒い血の痕がくっきりと残っており、事故の凄惨さをまざまざと物語っていた。足元を見ると、信号の支柱に立てかけられた四、五束の花束が目に入る。
しばらくここを通るのはやめよう、と僕は思った。
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