第74話 新帝即位と新たな火種

 黒い夜空に浮かぶ雲間から、月が顔をのぞかせ始めていた。

 薄闇の中、剣光が青白く光り、鋭い金属音が交錯する。

 その様を見守っていたヴァレリーの視界の上に、一騎の龍士が飛龍に乗ってリューシスの寝室がある三階に飛んで行くのが見えた。

 ヴァレリーは鋭く目を光らせると同時、夜空に向けて弦を弾いた。

 銀光が上へと疾り、飛龍の腹を貫いて龍士ごと地上に墜落した。


 その時、戦いは終わった。

 芝生を赤く染めながら転がっていたのは皆、黒装束の刺客たちであった。


「よしよし、上出来だ。生きている者を縛れ」


 ヴァレリーはそう命じたが、その瞬間、黒装束の男達でまだ息のある者達が皆、一斉に懐から懐剣を抜いて、それぞれの喉や心臓に突き刺した。

 彼らは、一瞬で絶命した。


「しまった」


 ヴァレリーの顔が青くなった。


「正門の方へ急げ」


 ヴァレリーはすぐに命じ、自ら先頭に立って走った。


 宮殿の正門の前でも、同じような戦闘が繰り広げられていた。


 門から中に侵入しようとする刺客たちと、イェダーとその部下達が戦っていた。

 だがヴァレリーらが駈け付けた時、ちょうどイェダー側の勝利で終わった。


 そして、イェダーが長剣を濡らした鮮血を拭いつつ、


「生きている者たちを縛れ」


 と、命令した時、ヴァレリーは「待て、イェダー君!」と鋭く叫んだ。

 しかしその瞬間、先程と同様、血を流して呻いていた男達は皆、一斉に懐剣を取り出して素早く自害した。


「何?」


 イェダーらは目を瞠り、ヴァレリーは「遅かったか」と天を仰いだ。


「ヴァレリーさんの方もですか?」


 イェダーが青い顔で振り向くと、ヴァレリーは「ああ」と答え、


「命じた瞬間、全員一斉に懐剣を取り出して自害した。だから注意しようと思って来たんだが、遅かったな」

「少ししくじりましたね」


 イェダーは頭を押さえた。


「ああ。しかしここまで徹底的に訓練されているとは……このような黒装束の部隊の存在は聞いたことがない。何者だ」


 ヴァレリーが、倒れている一人の男の覆面を剥ぎ取った。

 露わになったその顔はハンウェイ人の若い男であった。しかし、まるで見覚えが無い。


 その時、大門が開いて、中から黒い寝間着に毛皮の外套を羽織ったリューシスが出て来た。


「仕留めたか」


 リューシスが静かに言うと、イェダーとヴァレリーは跪き、


「全員片づけましてございます。しかし、数人は生かして捕らえるはずが、全員一斉に懐剣で自害してしまいました」

「そうか……」


 リューシスは辺りに転がっている黒装束の男達を見回した。


「申し訳ございませぬ。これで、誰の差し金がわからなくなってしまいました」


 ヴァレリーがうなだれると、


「まあいい。どうせ誰が指示したかなんて明らかなんだ。むしろ、それをはっきりさせない方が波風を立てなくていいかも知れない。面倒なのはごめんだからな」


 と、リューシスは笑った後に、呆れ混じりの顔となった。


「それにしてもあの野郎もしつこいな。もうこれでバルタザールの次期皇帝は確定なんだ。もう俺の命は狙う必要なんてないだろうに」

「それでも安心できないのでしょう。殿下の名声があまりにも高いので」


 イェダーは誇らしげに言ったが、その横でヴァレリーが、ふと気付いたように言った。


「もしかすると、丞相が殿下の命を狙うのは、他に何か真の目的があるのではないでしょうか?」


 リューシスは、目を瞠ってヴァレリーを見た。


「なるほど……それは盲点だった。バルタザールが玉座につけば、カザンキナ部の勢力はまた増し、傅役で丞相のマクシムの権力はより強く盤石になる。しかも、バルタはまだ若く経験不足だから、やり方によっては傀儡化できる。俺はそれが目的だと思っていたが、実は他に何か目的があると……」

「ええ。今、思いついたことですが」

「いや、それは鋭いかも知れない。なるほど、他に何か目的か……」


 リューシスは腕を組んで考え込んだ。だが、疲れた様子の部下達の顔に気が付くと腕を解き、


「ああ、すまない。今日は一日中走った上に、夜もこれだ。疲れただろう。さあ、今夜はもうゆっくり休んでくれ。俺の護衛はいらないからな」


 と、皆の労をねぎらい、沢山の肉饅頭と酒をそれぞれに出した上で、皆を休ませた。



 翌朝――


 納棺の儀式が行われる前に、葬儀場でマクシムがリューシスに挨拶に来た。


「殿下。ご挨拶が遅れて申し訳ございませぬ」


 マクシムは、白々しくも平然とした顔で言った。


「夜中だったからな。別にいいよ」


 リューシスも冷淡に答えた。


「しかし、わずか半日で来られるとは随分と急がれましたな」

「どうしても、父上の最後の顔を見たかったからな」


 リューシスは言うと、マクシムの顔を真っ直ぐに見て、


「それよりもな。昨晩、俺の命を狙って何者かが宮殿に侵入しようとした。そいつらは皆片付けたが、見過ごすわけには行かない。死骸は置いてある。そいつらが何者なのか、誰の指図なのか、よく調べてくれないか?」

「それは不埒な輩がいたものですな。わかりました、よく調査いたしましょう。では」


 マクシムは顔色一つ変えずに抜け抜けと言うと、さっさと去って行ってしまった。


 ――この野郎。


 リューシスは冷やかな目つきでマクシムの背を睨んだ。


 その後すぐに、入れ替わるようにして中書令のティエレン・リーがやって来た。


「殿下、昨晩はご挨拶が遅れまして申し訳ございませぬ」


 開口一番に謝ったティエレンの顔には、疲労の色がありありと見え、目の下には隈ができていた。


「俺への挨拶なんてどうでもいい。それよりも徹夜で走り回ってくれてたんだろう? ご苦労だった、ありがとうな」


 リューシスは、ティエレンの肩を軽くたたいた。


「お言葉、ありがとうございます」


 そう言ってティエレンが頭を下げた後ろから、


「やあ、リューシス。元気そうだな」


 と、リューシスと同じ、赤毛混じりの褐色の頭髪をした壮年のローヤン人男性が笑顔でやって来た。

 リューシスは、その男性を見て、驚きながらも顔を明るくした。


「これはアルセン叔父上。久しぶりです」


 アルセンと言うそのローヤン人男性は現在三十五歳。

 リューシスが呼んだ通り、彼の叔父に当たる。イジャスラフは五人兄弟の長男で、次弟がすでに亡きキルサン、その下に二人の妹がいる。そしてその更に下で末弟が、このアルセンであった。

 アルセンは皇帝の末弟と言う立場ながら物腰が柔らかく、温厚で部下思いの性格からとても人望があり、また、聡明で政治センスに優れていることから、イジャスラフは政治面で何かと彼を頼りにしていた。


 イジャスラフのすぐ下の弟キルサンはイジャスラフと不仲で、彼によって謀殺されたと噂されているが、アルセンは温厚な上に野心の欠片も無かったこと、イジャスラフとは十歳ほども歳が離れていたことから、イジャスラフにはとても可愛がられていた。


 そして、アルセンもまた、歳の近い甥のリューシスを幼少の頃から可愛がっていた。

 その為、二人は最近でこそ連絡は少なくなったが、元々はとても仲が良い。


「いつ来られましたか? プータオからここまでは遠いでしょうに」


 アルセンは、ローヤン領内東南の、プータオ県に封土を受けている。

 プータオからアンラードまでは、ルード・シェン山よりも遠い約200コーリーもの距離がある。


「訃報を受けてすぐに出立してな。昼夜を徹して駈け付け、今朝着いたんだ」


 アルセンも目の下に隈を作っていたが、何事も無かったように言った。


「そうですか。あまりご無理をなされぬよう」


 リューシスが言うと、アルセンは却って笑った。


「お前こそな。暴れっぷりは聞いておるぞ」

「暴れているつもりはありませんが」


 アルセンはますます笑った。


「まあ。ほどほどにな」


 そして、二人はしばし雑談をした後、リューシスは、昨晩から気になっていることを、傍らの中書令ティエレンに訊いた。


「そう言えばリョウエンの姿が見えないが、どこに行ったんだ? 父上の病状について詳しいことを訊きたいんだがな」


 すると、ティエレンは沈痛な顔となって言った。


「リョウエンは自害いたしました」

「何だと?」


 リューシスの声が思わず大きくなった。アルセンも驚いた顔となる。

 ティエレンは沈んだ声で言う。

 

「ええ。陛下が急逝したのは、全て侍医である自分の力不足の為。そう言って、その日の夜、ティエンフー河に身を投げたそうです」

「そんな……生真面目なあいつらしいが、全てあいつのせいと言うわけではないだろうに」

「リョウエンの自室には遺書が残されていました。そこには、自分が作った新しい薬には、実は心臓に負担をかける副作用があったが、自分はそれに気付かなかった。死因はそのせいであり、それを招いた責任は自分にある。それ故に責任を取る意味も含めて陛下に殉死する、と書かれていたとか」

「そうか、何てことを……」


 リューシスは悲しそうな顔で天を仰いだ。




 そして、納棺の儀式が始まった。


 皇帝の棺は一つだけではない。

 遺体を収めた棺を、更に何重もの棺に入れる。その上で蓋の四隅に釘を打つ。


 釘を打つ前、リューシスは係の者に、「ちょっと待ってくれ」と言い、止めた。


「最後に、よく顔を見させてくれ」


 と言って、リューシスは棺の中のイジャスラフの顔を見つめた。


 リューシスの顔立ちは母親のリュディナに似ているが、頭の形や褐色の頭髪の色、引き締まった口元などはイジャスラフに似ている。

 そんな父親の顔を、リューシスはじっと見つめた。


 最後の別れだ――


 リューシスの胸に、どうしようもない深い悲しみが押し寄せて来て、彼はまた涙を零した。

 だが、ぎゅっと目を閉じて涙を止めると、最後にもう一度しっかりとイジャスラフの顔を見て、それを目に焼き付けた後、


「ありがとう。もういい」


 と、係の者に言い、そこから離れた。



 そして納棺の儀式が済み、昼食を取った後、全員で埋葬地のシュリン山へと向かった。

 馬車で棺を引いて行き、文武百官と近衛軍の一隊が同行する。

 そして、シュリン山に到着すると、事前に掘っておいた洞窟に、イジャスラフの棺を埋葬し、その入り口を埋める。

 これで、葬儀に関することは全て終わった。


 だが、アンラードの慌ただしさはこれで終わりではない。

 先帝の葬儀が終わると、次にはすぐに新皇帝の即位の儀が待っている。


 新たに皇帝となるのは、もちろんバルタザールである。

 即位の儀は、その翌日であった。


 その為、リューシスはその日もアンラードの宮殿に一泊し、翌日のバルタザールの新皇帝即位の儀式に参加した。


 諸々の儀式が終わり、わずか十七歳の異母弟バルタザールが皇家伝統の冠を被り、宝剣を穿いて紅い玉座に座った。


 リューシスはバルタザールの兄に当たる為、それを玉座のすぐ下で見届けた。


 そして、リューシス始め、丞相マクシム、七龍将の面々、その他文武百官による万歳斉唱が行われた。


 こうして、バルタザールが、アランシエフ朝ローヤン帝国第八代皇帝の座についた。



 その翌日、リューシスらは皆でルード・シェン山への帰途に着いた。

 この日の空は少し曇っており、頬を刺して来る空気も、より冷たかった。

 そんな空の下を、リューシスらはゆっくりと飛んで行く。


「ようやく全て終わりましたが、少し疲れましたね。殿下はもっと疲れたことでしょう」


 リューシスのすぐ背後を飛ぶヴァレリーが言った。


「まあな。だが、これで全て終わったわけじゃないぜ」


 リューシスは薄笑いで答えた。


 すると、イェダーとヴァレリーもにやりとした。


「ああ、そうでしたな」


 その時、一騎の龍士ロンドが後方から飛んで来てリューシスの隣に並んだ。

 龍士ロンドは大声でリューシスに報告した。


「およそ後方30コーリー(km)の地点に、得体の知れぬ騎兵の一団が走っております。その数、およそ二千!」


 それを聞いたリューシスは、


「もうバルタが皇帝になったと言うのに本当にしつこい野郎だ。二千騎か、よしよし、軽く蹴散らしてやるとしようか」


 と笑って、後ろのイェダーとヴァレリーらを見た。


 敵は二千騎。


 しかし、リューシスらは二十騎の飛龍隊である。

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