第七節 元の居場所 He_is_a_Doctor.
ジャパリパーク医療総機関。
又の名を医療機関。
通称、ジャパリパーク大病院。
現在、医療機関では医師やナース達が忙しなく動き回っていた。
前線で負傷したフレンズ達が雪崩れ込んでくるのだ。
軽傷の者は後衛で軽い治療を受けるが、重症の者は病院に運び込まれる。
医師達は全員がフル稼働し、その処置に当たっているのだが……。
*
第二手術室。
カコは、手術室にて、フレンズの手術を行っていた。
「……クーパー」
「はい」
以前までのカコとは違い、知識に加え経験も合わさりドクターとして最良の手順を踏み込んでいく。後遺症が無いよう完璧に術式を行うが、額から出る汗が尋常では無い。
「……汗」
「はい!」
拭き取っても拭き取っても滲み出る汗。
それもその筈だ。
医者の手術は一回の術式で大分体力を消耗する。それこそ、人体に要らぬ破損を強いらないよう、細心の注意が必要なのだ。
だが、この緊急事態に休む暇など無い。
故に彼女は既に手術を三度終えていた。
他の手術室でも医師達が己の体力と精神力を限界まで削りながらに術式を行っている。
「血圧は?」
「正常です!」
「了解。此れより縫合に移るわ」
「は、はい!!」
針と有鉤を使い、フレンズの傷口を綺麗に縫い合わせる。
その間も汗は止まらず、度々拭き取らせる。
そして、集中力との戦いの末に、カコは「……術式、終了」と吐き捨てた。
ただ、その一呼吸の後、直ぐに彼女は。
「彼女を病室へ!! 直ぐに次の患者の治療の準備に取りかかります!!」
「せ、先生!! 一度休憩を取った方が……」
「何を言ってるの!! 今必死に戦ってくれている彼女達の為にも、私たちも私たちに出来る戦いを行わなければいけないの! 此処で手を止めたら、あの子達に顔向けが出来ないわ!!」
彼女らしくも無いが、緊急事態だけに余裕など無いのだ。
その補佐はビクッと身体を震わせると、直ぐに次の患者のために外に向かった。
カコもカコで、一度外に出ると、使っていた手術用手袋を脱ぎ捨てて、洗面台で手を洗い始める。
医者の手術では、手術前に感染症の予防として約一七行程の手洗いが存在する。
面倒だという医師は居ない。それこそ、手術の際に要らぬ感染症を起こせば、切開した部分からの感染によって最悪死に至る。
危険であるからこそ、前準備はどんな事よりも入念にされる。
それが、手術なのだ。
一つの命を扱う事は、簡単な事では無い。
そして、難しいという一言で表せる物でも無い。
言葉通り、精神を削り命を繋ぐのだ。
「……よしっ」
全ての行程を終え、カコは手術室に入る。
中では、体中に痛々しい傷を負ったフレンズが横たわる。
全身に麻酔が通ったのか、目を閉じ小さく呼吸音が響く。
「……これより、大動脈遮断術を行います」
彼女の言葉に、皆が目線を彼女に合わせる。
そして。
「メス」
手にメスを受け取り、手術を開始した。
*
少し前。
研究所――医療総機関。
関係者用歩道。
「……っ!」
コクトは駆け抜けていた。
瓦礫と炎の燃えさかる道は、以前の面影さえ灰にして行く。
それだけでは無い。
――!!
低空飛行するセルリアンに襲われていたのだ。
「……ったく!!」
空中高くから勢いを付け、低空飛行しクチバシ部分を此方側に向ける。クチバシ部分は鋭く、掠りでもすれば一気に肉事喰い抉られるだろう。
その勢いを付けたロケットを飛び退きながら身体を捻り躱す。
ビュオンッ!! と風切り音を立てながら通過するセルリアンを横目に、彼は再び走り始めた。
一寸。
コクトは上空を見る。
そしてもう一度、瓦礫を前にセルリアンを見据えだした。
既にセルリアンはもう一度攻撃態勢へと移り、急降下を開始する。其処から低空飛行で繰り出される突進の威力は、生身で押さえられる物では無い。肉体を意図も簡単に貫き、瓦礫さえ打ち砕く物となるだろう。
(一瞬が、勝負だ)
コクトは足を止め、振り返る。
風を切り、コクトを貫こうと低空飛行を開始するセルリアン。
風邪を追い抜き、ジェット機のように加速したセルリアンは……、
ズガァァァッッッ!!
コクトの影ごと、瓦礫を貫いた。
――!!
「……、」
セルリアンは空中浮上し、砕いた瓦礫の場所を見る。
貫いたと思った。
だが、彼の姿がクチバシの先にも、瓦礫の中にも見えない。
突き飛ばしたかと、埋もれたかと、そんな風にキョロキョロと、辺りを見渡す。
だが。
居ない。
見える場所に居ない。
見えない筈なのに、声だけが聞こえた。
「そうか。なら、お前はおめでたいセルリアンだ」
彼の声が。
コクトは、既にセルリアンの背中の上に居た。
拳を振り上げ、目の前に居るセルリアンの石に目掛けて照準を合わせる。
「故に、識らぬまま逝ね」
ガギィィィッッピッキィィィンッッッッ!!!!
下ろされた拳によって、石は無情にも打ち砕かれた。
足場が消え空中に放り出されたコクトは、地面に着地する。
(悪いが、既に両足にだけ発動していたのでな)
コクトの両足の、服の下。其処には黒い固形物が粘着質な形をして張り付いている。その黒い固形物はジワジワと足下から消えると、彼は直ぐさま走り出した。
(此れを誰かに見せる訳には行かないのさ)
*
病院では、未だに大手術の連続だった。
カコは必死に意識を繋ぎ止めながら、重傷のフレンズ達を処置して行く。既に汗は無い。最早体内の水分さえ放出しきった後のなのか、空々の身体からは何も出ない。
それどころか。
パチンッ
手から手術器具が落ちる。
「か、カコ先生?」
「……まだよッ!! 新しいメス!」
震えた手を言い訳にしない。
自分の弱さを言い訳に、救えなかったなんて言いたくない。
まるで、自分の疲れを強迫観念で押し殺すかのように、再び動き始める。
自分しか居ないのだ、と言い聞かせながら……。
(此処で終わる訳には行かないの……だから、後もう少し、動いて!! 私の手!!!!)
手を動かし、処置を進めようとする。
だが。
震えていた。
手が既に警告を発しており、それは肩まで走っていた。
「先生!?」
「ま、まだよ!! 此処で終わったらこの子は……ッ」
「ダメです、変わりましょう!! 今の先生では逆に危険です!!」
「だからって、こんな所で見捨てて……他に誰が彼女を救えるの!!」
その言葉に、補佐は言葉が喉に突っかかる。
医療機関における彼女の地位は、現在はコクトに次ぐナンバー2だった。その意味は、この連続の緊急手術における重症患者の優先度にも反映される。
つまり、今彼女が処置しているフレンズは、彼女以外では成功率が格段に下がる。
彼女は、実感していた。
上に立つ者の重みを……。
期待が、どれだけ自分を殺すのかを……。
(でも、それでも……!!)
目の前の命を、諦めきれない。
今自分が誰かに託しても、その手術を成功させられる者が居るという保証は無い。
だが、今の彼女が行っても、同じだ。
正に、窮地に立ったような、己の首を己で絞めてしまっていたような……その状況に、彼女が動揺してしまっていた。
「……ッ!! す、直ぐに別の
補佐の医師が、他の職員に叫ぶ。
カコが限界だと察したのか、直ぐに手配を進めようとした。
だが、手術室の外と通信している一人の医師は、焦りながらに言い放った。
「ダメです!! 殆どの先生が現在手術中で、この手術を行える先生がいません!!」
「なっ……!! なら直に終わり此方へ向かえる先生はいないのか!!」
「それも……っ?! はい、は、はい!! 解りました!! 先生が見つかりました!!」
「何だと……!?」
補佐の医師が、逆に驚くように声を上げた。
この状況で、来られる医師が居たのかと、半ば自分の中でも希望を失いかけていた。
だが、結局はカコに劣る。
他の医師では、この手術の成功率は上げられない。
だがそれでも、今はそれに
一人を除いて。
「だ、ダメだ!! 私で無ければこの手術は務まらない!!」
「落ち着いて下さい!! 今の先生の状態では無理です!!」
「ダメなの!! 私で無ければ、誰が彼女を救えるの!?」
補佐とカコの口論が激化しようとする中、手術室の自動扉が、自動的に開かれた。
彼女の代行となる医師が到着したのか、その者は扉の先から姿を現した。
プシューッ!
――カコはジャパリパーク内ナンバー2のドクターだ。それは誰もが認めており、嘗ての彼女の技術が知識頼みでも、今の彼女は経験も積み込まれ、最早別格に近い存在とされていた。それ程に優遇される地位は、その度に大きな責任を背負う羽目になる。その重さは重大で、何より、期待がのし掛かる。
だから、だからこそ、その重荷を肩代わり出来る者はそう居ない。
そうだ、ナンバー2を凌ぎ、その上に立つ者でなければ務まらない。
誰もが注目する。
カコさえ、自分の代行となる者に「出て行け!」と声を荒げようとした。
だが。
「……私が代行で、不満か?」
「……ぇっ」
小さく、言葉が漏れた。
其処に立っている男は、誰もが夢にも思わなかった。
だからこそ、皆が皆、一瞬の間の後に、声を上げていた。
「「「「コ、コクト先生!!!!」」」」
希望が、舞い降りた。
「所長……」
「今は医者だ。カコ」
「あ、いえ……すみません」
「お前は休め、代行は私が行う」
「い、いえ!! 私も何か……っ!!」
「自分を救えなかった者が、人を救えるなどと思い上がるな!!」
「――ッッ?!」
コクトが、柄に無く怒鳴った。
彼女も突然の彼の怒声に、ビクッと身体を震わせていた。
それは、他の職員も同じだった。
「医者は、常に命の側に張り合う。誰かを救いたいと思うのなら、まず医者が見本となれ!! 己をも救えない者に、医者を名乗る資格など無い!!」
「……ッッッ!!!!」
言葉が失われていた。
カコは完全に下を向き、消沈していた。
「変われ、カコ」
「……はい」
彼女は潔く、その場を明け渡す。
だが、すれ違いざまにコクトは彼女に吐き捨てた。
「二手術だ。その間に体力の回復に努めろ」
「……っ?! ……はい」
彼女は、小さく吐き捨てると、手術室から出た。
「……コクト先生」
「時間は無いぞ。これより大動脈遮断術を継続する。有鉤」
「はい!」
カコの居ない手術室で、コクトの手術は始まった。
*
手術室を出たカコは、帽子を脱ぎ捨てて病院の通路のベンチに腰掛ける。
コクトに変り、彼女は身を休めるために身を休める彼女だったが、ふとロビーへと目を落とす。
其処では、多くの重症患者が今か今かと手術を待っている。
怪我人は数多と居る。
それも、今も尚増え続けている。
なのに、自分は何をしているのだろうか。
自分の身も案じず、ただ我武者羅にメスを振るってきた。
だが、一人で走り続ければ、いつかこうなる事はきっと解っていた。
なのに……。
ポロポロッと、頬から雫がこぼれ落ちる。
乾き切ったはずの水分が、目元から、幾つも幾つも崩れ落ちる。
そして、次第に顔までもがグシャグシャとなり……そして。
「……ぁ」
泣き声が、小さく漏れ出していた。
声を殺しながら、顔を隠すように俯き、嗚咽を漏らすように口を開け、眼を腫らし、泣いていた。
「……ぁっ……ぁぁあ…………ぁぁぁぁぁ……っ!!」
無力だと知った。
今の自分の、弱さを知った。
どんな事よりも、何よりも悔しくて、
――堪らなかった。
*
手術室では、カコの代わりに入ったコクトによって手術が行われていた。
本来、大動脈遮断術は三〇分から四〇分時間を要する。
既にカコの時点で二〇分の時間を労していたが、コクトが入って五分で既に終盤までに及んでいた。
(……、俺も、人の事は言えないな)
ふと、彼女に言った発言を思い返した。
だが。
(それでも、今の俺は以前までの私では無いんだ)
言い聞かせ、そして縫合に至る。
「術式終了」
コクトは、小さく吐き捨てていた。
「は、早い……」
「もたもたするな! 時間と集中力との勝負だぞ!!」
「は、はい!!」
「それと、第一手術室を一時間後までに開けろ! そして現在手術を行っている第一から第一四手術室の通信を此処と連結させろ!! 私を介し術式を行う!!」
「了解しました!!」
「……さて」
コクトも、次の手術のために準備を行う。
「こっからが、正念場か……」
深呼吸の後に、己の身を引き締めた。
*
死者/?名。
負傷者/六一名。
前線/膠着。
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