第一八節

 コクトにとって、開園時にジャパリパークに居ることは必須となっていた。

 それは、あらゆる職員達にとって、コクトというバックアップ係がいることが大いに後押しとなっていたからだ。

 ある種の精神的支柱としてジャパリパークに君臨している彼だが、彼にも仕事の都合で本島や海外に飛び回らなくてはならないことも有る。

 そう言う日は決まって閉園日にしており、詰まるところ彼の職務体制に休みはない。


 そしてそれは、医者としての本業もまた同じである。


   *


 銀蓮黒斗。

 彼は、現在海外にある一つの大学病院に招かれていた。


『~~であって、この場所は……』

 黒斗にとって、医者としての講義もまた大事な仕事だった。

 若々しくも天才と呼ばれた、などとレッテルを貼られてはどこかで会議を開かされ、持ち帰った講義料をジャパリパークの経営に回す。

 自費に見えるが、講義条件にジャパリパークの宣伝も兼ねさせて貰っているのだ、このくらい良いだろう(損しかしてないが……)。


 そんな彼の講義は、実技も兼ねて行われることもある。

 監察医という形で、死亡者の検体を使った講義だ。


 無論、その全ての講義において難なく熟して行く彼だが、やはりと言うべきか、時折自分が医者だと言うことを忘れかける。


「……、」

 一人疲れて上の空となっていた黒斗。

 手術は長時間との対決となるのが基本なので、講義ともなれば集中力を必要とされる。更に来たのを良いことに何件かの手術まで掛け持ちされる始末。

 救っているという達成感は、疲労という虚しさによって相殺されていた。


 そして、それ以上に。


 救えなかった者の顔が見えてしまう。


「……ダメだな」

『黒斗?』

「……Dr.Mars」


 黒斗に話しかけてきたのは、以前ジャパリパークに見えた知り合いの医師の、マースだった。今回黒斗を呼んだのは、誰でもない彼だった。


 彼は黒斗の座っているベンチのとなりに、腰を下ろす。

『どうですか? 講義の方は』

『疲れますね。まあ、未来有る生徒さんがどんどん育ってくれて嬉しい限りです』

『それは日本のお世辞かい? それとも皮肉かい?』

『そう言う他意はありませんよ』

『おや、そうだったか』

 マースは、ケラケラと笑ってみせると、ふと目に付いた自動販売機に向かって歩き出す。硬貨を投入口に入れ、コーヒーを二本買うと、片方を黒斗に投げ渡した。


『まあ、こういう時はこれでも飲んで元気出しなよ』

『おっと……、マースさん。これ、微糖入り?』

『ああ、私の好物さ。微糖ミルク入りだ』

『それカフェオレのようなもんですよね? 私ブラック派何ですけど……』

『なーに、疲れた時は甘い物って言うだろ?』

『……、』

 渋々黒斗は缶の蓋を開け、口を付ける。

 マースも隣に座り、コーヒーの蓋を開けて飲み出すが、黒斗は一口付けたところで缶をそっと口元から外した。

 そして、下を向き項垂れながら、一言呟いた。

『……甘っっっっっったる』

『ハッハッハ。そんなに甘かったか?』

『まぁ、まず日本にはない味ですよ……良くこんな物飲めますね。しかも病院に』

『なぁに、旨いもの食って生きるのが最高なんじゃないか』

『旨いと甘いは違うからネ?』


 大きく溜息を吐き出すと、横では高笑いが聞こえてくる。

 黒斗は、日本人のもったいない精神故か、チビチビと何とか飲み始めた。


『それで、講義中優秀そうな生徒は見つかったか?』

『まあ、何人かは……、でも、まだ甘いですね。知識を知っていても本番がダメでは助けられない』

『成る程、甘いか。そのコーヒーのようにか?』

『私には苦い経験をしてくれた方が教え甲斐がありますよ』

『ハッハッハ。こりゃ一本取られたわい』

『イヤ別にそう言う意味で入ってないのですけど……』


 適当に切り返したつもりが、変なところで笑われる。常に話の主導権を握られているようなものだった。

『ふむ、そう言えば君の病院は今どうなっているんだ?』

『唐突ですね。まあ、一応医者としては十分に力を付けてくれていると思いますよ。まあ、国内唯一の独立医療機関ですし、多少食い違う点はありますけど』

『ふむ、なら、現場慣れしてそうな子をこっちから連れて行くか? 一人二人ならば支障は無いだろう。日本人のインターンも何人かおる。飛び級した子も居ただろうしな』

『へぇ、そんな子が……』

『いや、一度研修に来ておると思うのだが?』

『一々人の顔を覚えられるほどの量ではありませんけど、あの講義』

『ああいやいや、うっかりうっかり』

『ホンッと、貴方って人は……』


 半ば呆れながら、黒斗は溜息を吐き出す。

 そして、何とか飲み終えた缶をゴミ箱に捨てると、ベンチを立ち上がった。

『私ももう講義は終わりですしね、明日には帰国させて頂きますよ』

『ああ、いつもすまないねぇ。……ん?』

 マースは不意に入り口付近が何やら騒がしいことに気がつく。

 黒斗も目線を移せば、どうやら受付で一悶着何かが起きているらしく、人だかりが出来ている。


『何でしょう』

『行ってみるか』


 二つ返事で返すと、彼等は直ぐさまその方向へ向かった。


   *


 現場に着くと、どうやら受付嬢と誰かが口論しているらしい。

 黒斗は人の波を裂くようにして入っていく、何とか現場にたどり着くと、そこでは受付嬢に対して、血相を変えながら怒鳴っている女性の姿があった。怒鳴るというよりかは、何所か涙声だった。

 そしてそれは、彼女が抱えているものを見て確信する。

 血まみれの犬が、彼女に抱えられていたのだ。

 遠目で見ても、どうやら微かに息をしているのが解る。

『ちょっと失礼』

 コクトはそれを見た瞬間に身体が動いていた。

 彼はその犬に近づくと、出血量や外傷を見定める。


『この子はどうしてこんな状態なんですか?』

『実は散歩していたら、いきなり吠えてきたんです。それで怖がって誰もそこに近づかないで居たら、いきなり車が歩道に突っ込んできて、それで、それで……!!』

『落ち着いて下さい』

 コクトが宥めながらに犬の症状を見る。


『骨折……外傷……。輸血と、肺に骨が刺さってる可能性もあるな……早くにでも手術をしなければ』

『で、ですが……!』

 黒斗がそう言った途端、受付嬢が焦ったような声で言ってきた。

『此所では動物用の設備なんて有りません! 人用の器具ばかりで、動物ともなればかなり精密なもので無いと……』

『何とか出来る。私が何とかする』

『し、しかし……』


 黒斗はその言葉に、大きく溜息を吐き出しつつも、白衣を脱ぎ犬の為の簡易的な輸送ベッドを手の中に作り持ち帰る。


『あのっ、だから!』

『アンタは目の前に苦しんでいる命があるのに、放って置けって言うのか!! 一分一秒で失うかも知れない命を殺すのか!!』

『ひっ!?』


 怒声を大声で浴びせる黒斗。

 すかさず彼は、子犬を抱えゆっくりと立ち上がる。

『すみません、道を空けて下さい! 急患が通ります!!』

 その声に、人々は直ぐさま引いて行き、道が出来る。そんな中で、マースが一人此方に向かって言った。

『手術室は手配できた。第二手術室を使ってくれ。配備は今している』

『解った』

 黒斗は一言礼を言うと、辺りを見渡す。

 大学病院なだけあって、広い上に講義後の為インターンが目に見えるほどに居た。

 そんな人混みの中に向かってもう一度叫んだ。


『この中で獣医経験のある者は居るか!? 居たらサポートして欲しい!』

 グルリッと見渡しながら叫ぶ。

 誰も居なかったら一人で救うだけだ。


 そんな中、誰も居ないと思われた瞬間、人混みの中で一つの手が上がる。

『わ、私……あります!!』

 どうやら日本人らしいその女性は、此方に近づいてくる。見た目は二〇代に達したか達してないかのような人物だった。

「日本人だな。悪いがサポートできるか?」

「はい、大丈夫です」


 黒斗はその言葉に頷くと、直ぐさま手術室へと向かった。


   *


 準備を済ませ手術室に入る、執刀医とサポーター。

 黒斗と日本人女性は、目の前の手術台に乗り酸素マスクを付けられた犬を前に立つ。

「どうやら外傷は大きいが、止血は少ないようだな。これより、心膜切開術、及びに腹部外傷手術ダメージコントロールサージェリーを行う」

 前の女性は小さく頷く。


 それを合図に、手術は始まった。

(血が溜まっている可能性もあるが、小動物の為に余り出血をさせる訳にはいかないな)

「メス」

「はい」

 メスを持ち、ゆっくりと切開を始める。

 切開部を切り広げると、直ぐに切開部を押さえ細部に取りかかる。


「ミクリッツ」

「はい」

 指定した物を素早く渡す女性。

 黒斗は受け取るとするに切開部に入れ込み、腹膜の両側にかける。


「モスキート」

「はい」

 止血用カンシを受け取り、血管を押さえる。

 人用の器具のみでも、細部に気を遣い、丁寧に行って行く。

(奇跡的だ。血管が骨に押しつぶされて止血が少ない。……幸運を呼ぶ犬、か)


「出血の心配は無い。各部と骨折部の処置に移る」

「わかりました」

 彼女は小さく頷きながら、既に必要な機材を取りそろえていた。

 まるで、解っていたか、用意していたかのように。

「……、」

(この娘は、もしかして……)


 彼女の準備が早かった御蔭で、黒斗の執刀は何分も凝縮されていった。

 無駄のない連携と、黒斗の技術。


「なっ!? 先生! やはり骨が肺に……ッ?!」

「ああ、そうらしいな」

「……先生、凄い」

「感心するのは後だ、次にいくぞ」


 何度かイレギュラーに立ち会おうとも、彼等は互いの技術と応用力によって補い合う。


 結果一歩間違えれば致命傷の危険性が高かったが、黒斗の技術と彼女のサポートによって一命を取り留めた。


   *


「終わったぁ……」

 彼女はグッタリとソファーにヘタリ込む。

 大きく息を吐き、その溜息と一緒に魂まで出て行きそうな程大きく……。


「君」

「は、ひゃい!?」

「うおっ!? ビックリしたぁ……」

「す、すいません。私……今になって緊張してしまって」

「……ハァ。君、手術は初めてだろ?」

「え、何でそれを……」

「本来サポートで彼所まで準備できるのはたいしたものだけど、余分な物も入り交じってた。多分、書籍や教科書の知識で必要だと思った物を集めたんだろうけど、間違った物も出てしまうこともあるから気をつけてね」

「すいませんでした……」

「怒ってない怒ってない」

「……、」

「…………ハァ」

 目の前で落ち込む彼女に頭を抱え込む。

 黒斗は頭をガサガサと掻き乱しながら、彼女間の前まで歩み寄る。

 そして、彼女の両手を取ってみせる。


「え、あの、なに……を?」

「この両手は、今、あそこに居た小さな命を救ったんだ。君はたった小さな命でも、この世では最もかけがえのない命を救った。女性を救ったあの犬。そんな奇跡を起こした犬を、今度は君の奇跡で救ったんだ。自信を持ちなよ。君はとても格好良かったよ」

「へ、へぇっ……!?」

 作り笑いで、せめて励まそうと彼女に微笑みかける。


 瞬間、彼女の顔が真っ赤に茹で上がりボンッ!? と湯気が立つ。

「あらら、褒められ慣れてなかったかな?」

「い、いいえ。そう、ではなな、なくて、ですね?」


(本当に凄い娘だ。学しか無く、実戦経験が無ければ、あの時手なんて挙げられなかったはずなのに、救いたいと思う気持ちがそうさせたんだろうな……今日一番のヒーローだ)


「……、」

 黒斗の中で、何かがガッチリとハマる。

 それは、彼が探し求めていた物だったのかも知れない。

 空けた穴を埋める、パズルのピース。


 それを、目の前に居る彼女が、型良くハマった。


「ねぇ君。私の勤めている仕事先に来る気はないかい? ……と言っても、余り医療じゃ名は知られてないかも知れないけ――」

「行きます!!」

「うぉぉっ!? そ、即答かい? まだ会社名とか何にも言ってないんだけど」

「ジャパリパークですよね! 私、実は昔から動物が好きで、そう言う仕事をしたいなって獣医を初めて、それで……」

 もじもじと顔をうずくめる彼女。

 何所か引っ込み思案なのか、だが、そこはかとなく熱意は感じた。


「解った。君をジャパリパークに歓迎するよ」


 黒斗は、ゆっくりと握手を求める手を差し出す。

 彼女もそれに答えるように、手を差し伸べ、握手を返した。


「私は所長の黒斗だ。君の名前は」

「はい、私は――」


「――“カコ”と言います」

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