第10話 マルクの音色

 「こりゃ、ひでぇ」


 黒猫亭に届けられたマルクの楽器に、その場にいた客たちが、思わず顔をしかめる。踏みつけられ、ぼろ雑巾のように打ち捨てられたマルクの楽器は、もう二度とその音色を奏でることはないだろう。


 「なんでだよ・・なんでこんな・・」


 マルクは、長年連れ添ってきた自分の相棒ともいうべき楽器の前に座り込み、両手を地面について呆然としていた。


 「昨日まであんなに楽しそうに演奏してたのに。マスター、なんとかしてあげられないの?ボクで出来ることならなんでもするよ」


 リーアはマルクに同情する。ハルトたちも、宿に帰ってきたら、同じ思いをするだろう。もちろん裕也も同じ気持ちだ。


 おそらく昨日のマルクの演奏を聞いてた客、そして、これまでマルクの演奏や演目を見聞きしていた観客のほとんどが、今のマルクを見れば、程度の差こそあれ、同じような思いを抱くと思う。


 裕也にはマルクの楽器を持ち出した犯人に心当たりがある。緑色の髪の少女。しかし、素性も分からないんじゃ、探しようもない。何かほかに手掛かりになるようなものはないだろうか。


 裕也が考え込んでいると、他の客たちによる、昨日のマルクに対して嫌味を言っていた者たちの噂話が聞こえてきた。


 「そういえば、クヌルフの野郎、マルクにつまらねぇこと言ってやがったな。あいつが楽器壊すように誰か仕向けたんじゃねぇのか?」


 「いや、考えすぎだろ。いくらなんでも、そんなまねするわけ・・いや、クヌルフなら、あり得るか」


 マルクの周囲を取り囲む店の客たちが次々に噂するクヌルフの性格。陰湿、陰険、幼稚さと人間の小ささ。しかしそんな性格でも、クヌルフはクルガン王の遠縁にあたるらしく、血縁上の繋がりから、大臣職についているらしい。


 昨日、ハルトに頭が上がらなかったのは、ハルトがアストレア王国の英雄であること、そして、クルガンに最も近い位置にいる人物だからだろう。強者に弱く、弱者に強い。裕也は昨日のクヌルフとマルクの一件を改めて思い返す。傲慢で、人種差別をし、初対面の女性にも平気で迷惑をかける。屑の見本市のような人物だ。


 「ハルトが戻ってきたら、クヌルフについて詳しく聞いてみるか。何かわかるかもしれない」


 「でも、マスター。皆の言う通り、犯人がクヌルフだったとしても、マルクの楽器は元にもどらないよ」


 「そうなんだよな。犯人を捕まえたら、事件を解決しましたとかってよく言うけど、結局、被害者からすれば何一つ解決なんてしてないんだよな。かといって楽器なんて詳しくないし、マルクの楽器は、すぐそこの店で売ってるってもんでもなさそうだし。どうすればいいんだろうな」


 「マスターにも分からない?」


 「俺はそんなに頭良くないっての。ま、それでも出来ることはある。まずはそこから初めてみるさ」


 その日の夜、ハルト達が帰ってくると、裕也が話す前に、黒猫亭の店主がマルクの楽器の一件をハルト達に相談した。想像通り、怒りをあらわにするハルト達。


 「陰険にもほどがあんだろ、クヌルフの野郎。もう容赦しねぇ。今すぐ出向いてとっちめてやる」


 「待ちな、ハルト。証拠は何もないんだ。第一、本当にクヌルフの仕業かどうかも分からないじゃないか」


 「ハルトは相変わらず単細胞なんだから。こういうことは焦っちゃダメ。まずは証拠を固めるのが先よ」


 勢いづくハルトをすかさずメイガンとルキナが止めに入る。なるほど、いいチームワークだ。裕也はハルト達の関係を少し羨ましく思いながら、帰ってきたハルト達の輪に入り、考えを口にする。ちなみに今ハルトたちと一緒にいるのは裕也だけで、リーアとジェシカは部屋でお休み中だ。


 「ハルト、犯人を捕まえたいのは俺も同じ気持ちだ。ところでちょっと聞きたいんだけどさ、このあたりで鈴のイヤリング売ってる店知らないか?」


 「てめぇ、裕也。ふざけてんのか? なんで今イヤリングの話がでてくんだよ?」


 「別にふざけてるわけじゃねぇよ、ハルト。ルキナの言うとおりだぜ。焦るんじゃねえっての。実は鈴のイヤリングをつけた、緑の髪の女盗賊の噂を、街で偶然聞いてな。ひょっとしたら、そいつがクヌルフに頼まれて楽器を盗んだんじゃないかって思ったのさ」


 いつもながら、冷や汗がでる言い訳だ。そんな噂聞いたことがない。裕也がマルクから偶然読み取った映像。但し今回はマルクの記憶というよりは、言わば、"マルクの部屋の"記憶といったところだった。映像では、鈴のイヤリングをつけた緑の髪の少女が楽器を持って、マルクの部屋から出てきた。


 もし、観客たちの言う通り、クヌルフが楽器を壊すように誰かを仕向けたのなら、誰かの部分に、緑の髪の少女をあてはめると、ピッタリ符号が一致する。


 「ねぇもしかして、裕也君が言ってるのって、エレーナのことかしら」


 ルキナが思いついたように、指を立てて裕也を見る。


 「エレーナですか?」


 「ええ、女盗賊ってのは語弊があるけど、緑の髪の少女っていえば、ここら辺ではちょっとした有名人なのよ。なにせ、この町の盗賊ギルドの頭の妹なんだから」


 「ちょっと待ってください、ルキナさん。盗賊ギルドなんて本当にあるんですか?」


 「あら、知らないの?裕也君。まあ無理もないか。アストレア初めてだもんね。アストレアに限らず、ある程度以上の規模の街には、大概三つのギルドがあるわ。ひとつは冒険者ギルド。次に商人ギルド。そして、最後に盗賊ギルド。言っとくけど、合法なのは冒険者ギルドと商人ギルドだけよ」


 要するに盗賊ギルドは、街では有名な非合法組織というわけだ。とは言え、皮肉な話だが街の治安を維持する一役も買っている。ギルドが無くなれば、糸の切れた凧のように無法者たちが解き離れ、さらに非道なことをするものも出てくる。


 彼ら独自の掟を厳守させ、従わない者には速やかな報復措置を行う。掟違反には、一般人へ危害を加えることも含まれている。このため、盗賊ギルドのメンバーが理由なく街の人を襲うようなことは普通はない。


 こういった自浄作用があるため、明らかに犯罪行為が立証されるような場合、または犯罪の予兆がある場合を除いて、街の人々からは暗黙の了解として、組織が成り立っている。


 「エレーナなら、普段はルイの酒場に顔を出すはずだ。気になるなら一度行ってみるか?」


 メイガンの誘いに裕也は乗ることにした。ハルトとルキナも同行する。店を出ようとすると、リーアが裕也のもとにやってきて、いつもの定位置、裕也の肩の上に腰掛ける。


 「ちょっと、マスター。ボクのいない間に話勝手に進めないでよ。ボクはいつもマスターと一緒にいるって言ったでしょ」


 少しだけむくれたリーアも加えて、裕也たち一行はルイの酒場まで出向き、エレーナを待つことにした。


 「いらっしゃい」


 裕也たちがルイの酒場を訪れてから、ほどなくして、緑色の髪の少女が店に入ってきた。バーテンダーは注文も聞かずに少女の前にグラスを差し出す。エメラルドグリーンの液体にレモンのような果物が一刺し。ハワイアンブルーカクテルに似ている。少女はグラスを口に近づけると、一口で飲み干した。


 「エレーナさんですか?」


 このまま黙ってても、仕方ないので、裕也は思い切って話しかけてみることにした。


 「そうだけど、なんだい、あんた。ナンパならお断りだよ、他所でやりな」


 エレーナは裕也を無視し、グラスのお代わりを注文する。リーアは、エレーナがたった今飲み干したグラスの端に腰掛け、エレーナを見上げる。


 「マスターにそんなことする甲斐性ないから、安心していいよ。あっても、ボクが止めるけどね。マスターにこれ以上、他の女がつくのも嫌だしさ」


 「なんだ、精霊なんて初めて見たぜ。可愛いじゃんか。お前も酒飲めるのか?」


 エレーナはリーアの前にグラスを置き、バーテンにリーアにも酒を注ぐよう指示する。


 「エレーナさん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 裕也の問いに億劫そうに振り向くエレーナ。だが、裕也は構わず質問を続ける。それも極めて単刀直入に。


 「マルクの楽器を知りませんか?」


 突然、裕也の顔にエメラルドグリーンの液体が振りかけられる。すかさず逃走しようとするエレーナをメイガンとルキナが捕まえて、床に伏せる。ハルトが怪訝そうな表情を浮かべるそばで、裕也はエレーナへの問いかけを続ける。


 「エレーナさん、少しだけお話させてください。すぐすみますから」


 「なんなんだよ、チキショウ。離せよ、私は何も知らねぇよ」


 「今の態度で知らねぇよなんて言われても、説得力は皆無です。エレーナさん、遠回しな事抜きで聞きます。マルクの楽器を盗んだのはエレーナさんですよね?」


 頭を垂れるエレーナ。問い詰めた裕也の方が、逆に驚いていた。別に何かの証拠を突き付けたわけでも、誰かの証言をあてにしたわけでもない。論理的な筋道をたてて、相手の言い分を論破したわけでもない。それなのに、エレーナは何かの罠なんじゃないかと思えるほど素直に罪を認めた。


 「もうバレちまってるんだろ。いいぜ、衛兵のとこでも、どこでも連れてけよ。牢の中なら、ギッシュの言いなりにならずに済むしな」


 そこから、エレーナの自らの後悔を語る話が始まった。エレーナは兄である盗賊ギルドのカシラ、ハンスの元を離れた後、程なくして身の生計を立てるため買春行為を行うようになった。もちろん、ハンスには秘密だ。


 しかしあるとき、盗賊ギルドのメンバーの一人であるギッシュを客としてしまった。ギッシュはギルド内でも末端のメンバーで、エレーナは彼の顔を覚えておらず、いつも通りに声掛けをした。


 対してギッシュはカシラの妹であるエレーナのことを覚えていた。そしてエレーナがカシラであり、兄であるハンスに内緒で買春をしていることを知り、事あるごとにエレーナを利用してくるようになった。何度か体を求められたこともある。

 

 ギッシュから、マルクの楽器を盗ってくるように言われたときは、エレーナは猛反対した。エレーナはマルクの演奏が好きだった。彼の歌や踊り、様々な芸は、両親の顔を知らず、幼いころから兄と二人で裏街道を生きてきたエレーナにとって、数少ない癒しの糧となっていた。


 しかしギッシュに殴られ、喉元にナイフを突きつけられた時、エレーナはギッシュの脅迫に屈してしまった。


 黒猫亭でマルクの部屋に入るのは簡単だった。いつもマルクが使う部屋は決まっていたし、マルクが泥酔状態であれば、楽器を持ち出すこと自体は容易い。エレーナはマルクの部屋から持ってきた楽器を、ギッシュのもとに届けた。


 「なんでギッシュはマルクの楽器を欲しがったんだ?」


 裕也が問いかけると、エレーナはカクテルグラスの中に指を入れてかき回しながら、裕也を見上げた。


 「クヌルフからの依頼だって言ってたわ。それ以上のことは知らない」


 「やっぱり、あの野郎じゃねぇか。ここまで聞ければもう十分だろう。ギッシュもクヌルフもまとめて片付けてやる」


 「いえ、まずはエレーナのお兄さん、ハンスさんに話を通すべきだわ。盗賊ギルドのメンバーに断りなく私たちが手を出すと、色々面倒なことになるでしょう。エレーナのことも話すことになるけど、エレーナ、あなたは何の罪もないマルクに、これ以上ないくらいの迷惑をかけた。嫌だといっても従ってもらうわよ」


 憤るハルトにルキナが釘をさす。エレーナもここまで話して抵抗する気もないらしい。エレーナはもともと誰かに何もかも話して、ギッシュの脅迫から抜け出す機会を伺っていたのかもしれない。裕也の問いかけに、驚くほど簡単に自供したのも、これ以上、今の状況に耐えるのは我慢の限界だったからではないだろうか。


 エレーナの案内で盗賊ギルドの事務所へと向かう。裕也は、いかにもいかつい男が出迎えてくるのかと緊張して身構えていたのだが、意外にも見た目はどこにでもいる普通の市民と変わらない、二人組の男たちが事務所の玄関口から、ハンスのもとへと連れて行ってくれた。


 とは言っても、見た目普通なのは見張り兼案内役の二人だけだった。事務所の中に入るとやたら、強烈な眼力を持つ、いかにも屈強そうな男たちが裕也たちを値踏みしてくる。彼らが並ぶ奥の部屋に、一際大きな、装飾された机と椅子があった。机の上には竜の置物が飾られている。ハンスはその椅子に座っていた。裸身の上に、虎の毛皮のようなもので作られた大きめのコートを羽織っている。

 

 ハンスは席から立ち上がると、部屋の中央に用意されていた向かい合うソファの片側に腰を下ろし、もう片側を裕也たちに進めてきた。


 「よお、エレーナ。久しぶりじゃねぇか。おめぇがここに来るなんて、どういう風の吹き回しだ? 盗賊稼業が嫌で、ここから去っていったんじゃなかったのかよ」


 「兄さん。私だって来るつもりなんかなかったわ。これからも来るつもりはない。それでもどうしても兄さんに言っておく必要があったの」


 エレーナはマルクの楽器とギッシュの件、そして自分が買春していたことを打ち明ける。ハンスはエレーナが話している間、終始黙って聞いていた。裕也はハンスが激高するんじゃないかと心配していたが、エレーナが話し終わると、そうかと一言つぶやき、目の前で両手を組んで、目を閉じた。


 「ギッシュの処理はこちらに任せてもらおう。お客人がたも、それでいいかい?」


 「ああ、構わないぜ。クヌルフの方はどうする?」


 「そいつもこちらで始末してもいいんだが、腐っても国の大臣だからな。それに王族絡みとなると、ちと厄介だ。ハルトさんだったか? クヌルフはあんたらに任せたほうがよさそうだな」


 ハンスとの交渉は成立し、裕也たちは事務所を後にした。エレーナはしばらく、兄と二人だけで話したいことがあるといい、その場に残った。裕也は反対した。さすがに自分の妹に危害を加えることはないとは思うが、危険だと思う。しかし、エレーナから懇願され、結局引き下がることになった。


 「エレーナ、大丈夫かな」


 黒猫亭へ帰る道中でも、裕也はエレーナのことを気にかけていた。リーアは裕也の肩の上から頭の上に移動し、裕也の髪の上でうつ伏せになって両腕を組み、腕の上に顎をのせる。


 「大丈夫だよ、マスター。エレーナさんのことなら心配いらないと思う」


 「なんでわかるんだよ、リーア」


 「だって、ハンスがエレーナを見る目って、ボクがマスターを見る目と同じだもん。・・いや、やっぱり違うもん。なんでもないんだからね」


 「いや、全く意味が分からん。つまり、どういうことだ?」


 「裕也君が鈍感ってことよね、リーアちゃん」


 リーアとルキナの間でいつの間にか同盟が結ばれたらしい。ハルトとメイガンは我関せずといった様相で、先にどんどん歩いていく。裕也は一人頭を悩ませながら、黒猫亭へと続く夜道を歩いていった。


 それから二日後の夜。裕也たちは二つの報せを受けることになった。一つはクヌルフの大臣失脚。そしてもう一つは・・


 黒猫亭の酒場は、今、大変な喧騒につつまれている。普段置いてある、机や椅子をどかして、大きなスペースを作り、切り取った木材に、積まれた何かの動物の皮。そして糸車まで持ち運ばれていた。


 「おら、何やってんだ。そっちちゃんと持てよ」


 「るせぇ、そっちこそ、もっとピンと張れよ。僅かな違いが大きな差につながるんだ」


 裕也は黒猫亭の店主に、みんなが何をやっているのか聞く。店主から答えを聞くと、すぐに裕也も手伝うことにした。


 「じゃあ、おれはこっちの木材切っておきます」


 「おう、宜しくなあんちゃん」

  

 裕也は精魂込めて、目の前の作業に没頭する。他のみんなも同じだ。仕事でもないのに、誰一人嫌な顔をせず、作業に集中していた。遅れてやってきたリーアやジェシカまでもが作業に加わっていく。


 結局その日は徹夜作業となり、裕也は翌日の夕方近くまで、ぐっすりと眠った。



**************************************



 「なんだよ、エレーナのやつ、自分から呼び出しておいて何遅れてやがんだ・・まあいい。来たら久しぶりに、いい思いさせてもらうか」


 ギッシュは通りの中央にある噴水の前で、エレーナを待っていた。やがて、エレーナが姿を現すとギッシュに手を振る。


 「ごめんごめん、待った?」


 「おせーよ、なにしてやがったんだ。それよか、お前の方から呼び出すなんて珍しいじゃねぇか。ようやく俺のモノになる覚悟が決まったらしいな」


 「そうよ、だからいいとこ、行こ。私、もう待ちきれないの」


 「けっ、おめぇも好きだな。わかったよ、ほら、とっととおまえの指定のベッドに案内しな」


 ギッシュはエレーナの後ろについて、細い路地を曲がって奥に入っていく。どんどん人通りが少なくなり、やがて周囲に誰もいない細道へと続く。


 「なんだぁ?ここで野外プレイにしようってことか?ま、それでもいいけどよ」


 ギッシュが自分のズボンに手をかけると、突然ギッシュの背後から現れた太い腕がギッシュの口を塞ぎ、そのまま片腕だけの力でギッシュの体を持ち上げる。ギッシュは足をばたつかせるが、自分の口を塞ぐ腕から逃れられない。もう一つの腕がギッシュの髪を鷲掴みにする。


 「さようなら、ギッシュ。今度生まれ変わったら、もう少しましな人間になってね」


 エレーナは片手を振って、ギッシュの目の前から立ち去っていく。エレーナと入れ替わりにさらに三人の男たちが、ギッシュのもとに近づいてくる。


 ギッシュはようやく事態を把握するが、すでにもう何もかもが手遅れ。心底恐怖し、ついに失禁する。ギッシュの頭があり得ない方向にひねり揚げられた。ギッシュは儚い自分の生涯を終えた後、ようやく掴んでいた腕から解放され、そのまま地面に崩れ落ちた。



**************************************



 マルクは数日ぶりに黒猫亭に顔を出した。楽器がなくても、歌は歌えるし、大道芸もマジックもできる。いつまでも落ち込んでいる場合じゃない。オイちゃんに無断で休んじまったけど、怒られないかな・・


 マルクはおそるおそる黒猫亭の扉をあける。見慣れた強面の顔がぬっと表にでてくる。


 「よぉ、マルク。ようやく来やがったか。ほら、とっとと入りやがれ」


 店主はマルクの襟をつかむとそのまま持ち上げて、店内に招き入れる。店にはすでに大勢の客が詰め寄っていた。マルクが店に入ると、皆で円を作って、マルクを取り囲む。店主が奥から、布にまかれた何かを持ってきてマルクに手渡す。


 「オイちゃん、これは?」


 「いいから、開けてみな」


 マルクは巻かれている布をはがしていく。中には、木製の、マルクの楽器が入っていた。


 「え?なんで?どうして?だって、おいらの楽器は・・」


 「元通り・・とまではいかなかったが、ちゃんと手元にあるだろう?」


 店主はマルクを見ると、ニッと笑う。他の客たちにも笑いが感染していく。客の一人が前に出て、マルクに怒鳴りつける。


 「よぉ、マルク、大事に使ってくれよな。その楽器には、ここにいる俺たちみんなの思いが込められてるんだぜ」


 その声を皮切りに、次々と他の客たちの声が続いていく。


 「その楽器の土台となっている木材、私が調達したんですよ。だって、仕事終わりにマルクさんの演奏聞かなきゃ、疲れが癒えないじゃないですか」


 「そこに張られている弦は、オレが作った糸でできてんだ。なかなかいい出来だろうが」


 「まったく、皆さんだけで、手柄を独り占めしないでくださいよ。マルクさんの楽器の形を覚えていて、ちゃんと設計図面を書いた私がいなかったら、楽器は完成しなかったんですからね」


 「なに言ってやがるんだ、みんな。その図面通りに材料を加工した、俺の手柄だろうがよ」


 マルクを取り囲む客たちは、競い合うように自分が楽器造りにいかに貢献したかを自慢しあう。マルクは弦を試しに奏でてみる。依然と遜色のない音色。マルクはそのまま地面に膝をつき、楽器をかかえて、客たちに見られないように顔を下に向ける。


 「みんな・・ありがとう・・おいら・・」


 店主はマルクの肩に手を置くと、マルクの頭の上に拳をのせて、ぐりぐりさせる。


 「ばーか、おめぇの仕事は歌と踊りでみんなを泣かせて笑わせることだろうがよ。おめぇが泣いてどうすんだ。今までさぼってたぶん、きっちりと働いてもらうからな」


 「あ、ああ・・まかせてよ。それじゃ、まずは景気つけにいっぱつ、”砂漠の女剣士”いってみますか」


 店内に歓声が広がる。客たちの酒の準備はもう整っている。この日、裕也たちは二つの報せを受けることになった。一つはクヌルフの大臣失脚。そしてもう一つはマルクの演奏再開。黒猫亭でのマルクの演奏はこれからも続いていく。


 黒猫亭はアストレア城下町でも、ちょっとした有名店だ。強面だが優しい店主が作る旨い飯と酒、皆が楽しむささやかなショー。仕事帰りに一杯やるのもいいし、観光で泊まりに来るのもいい。小さな吟遊詩人の奏でる音色は、きっと疲れた体も心も癒してくれるから。

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