5.電話
オーキッドガーデンから野外ライブの会場に戻ってきた俺は、置き去りにしていたイブたちに散々小言を頂戴した挙句、近くの屋台でケバブを買わされることになった。
伊野波さんは俺の頼みをしっかりと完遂した後、「僕は用事があるからこれで」と、よく炙った肉の入った包みを持って帰っていった。実にちゃっかりしている。
「長い時間、本当にありがとうございましたー!」
野外ライブが終わり、主催者で知り合いでもあるライブハウスの店長が出演バンドたちと共に頭を下げる。汗だくになった彼らに拍手を送りながら携帯のデジタル時計を見る。PM4:30―――“用事”を済ませるにはここからの方が早いと思った。
「やぁサブ。久しぶりだな。元気だったか」
「規則正しい生活を送っていますよ。毎朝猫に叩き起こされて」
目ざとく俺を見つけた主催者の天谷店長と言葉を交わす。体重100㎏に届こうかという髭もじゃの巨漢は、その外見とは裏腹の人のよさそうな笑みを浮かべた。
「音楽を辞めるって聞いたときはどうなるかと思ってたけど、なかなか楽しく過ごせているみたいじゃないか」
「財布のダイエットには好都合ですが、楽しいかどうかは分かりませんよ」
俺の肩越し、三人の訳あり少女たちに視線をやる天谷店長のハーレムラブコメチックな想像を打ち消す言葉を言って、俺は話題を来週のフェスに持っていく。
「今日のバンドは、SSSに出演するんですか」
「ああ。まだ右も左も分からない連中だけど、俺のところで世話する限りはちゃんとしたサポートをしないと、と思ってな」
チケットノルマさえ支払ってくれればそれでいいという箱も多い昨今のライブハウス事情の中、相当良心的な待遇だと思う。僅か200人キャパの場所だが、ここを拠点に活動できるミュージシャンは、きっと幸せだ。
「フェス当日は店長のところに居座りますよ」
「それはありがたい。メジャーからも二組呼んであるから、楽しみにしてろよ―――ああ、そうそう」
店長が声のトーンを低くした。
「最近、ライブハウスでバンドの連中だったりお客さんがヘッドホンで音楽聴きながらフラフラしているのをよく見るんだよ」
「フラフラ?」
「まぁ、ここだけの話だが、音楽やってる奴の中にもやべぇ草だのハーブだのを使っちまってるのがいてな。そういうのと仕草が似てるから気になってな」
―――セイレーンか。俺のメールアドレスにもダウンロード用と思われるファイルが送られてきたが、使うことなく削除した。
「今度会うときもやってる風だったら、とっちめてやろうと思ってる。まぁお前は大丈夫だと思うけど、妙な連中とは付き合うんじゃねぇぞ」
「音楽って合法的なアッパードラッグがあるのに、勿体ないことをする奴らがいるもんですね」
「その通りだな」
既にその妙な連中とズブズブに付き合っていることを白状しなかった俺は、「今度会うときは、どうすれば三人の女の子と同時にデートできるのか教えてくれよ」との言葉を置き土産に去って行った店長に軽く会釈をして、イブたちのところに戻った。
「次は出てくれって言われた?」
イブが大きな瞳を細めながら訊くが、俺は首を横に振った。
「そんな不躾なことを言う人じゃないさ」
「そう……でも楽しかったでしょう?ねぇヨンジーさん」
「あ!?ああ、そうだな」
やや強くなった西日を防ぐべく麦わら帽の位置を直していたヨンジーが弾かれたように突然の問いに応える。その声に満足気な表情で俺を見るイブ。
「またみんなで来ようね」
ひょっとして日焼けの機能もあるのか、少し赤みがかったように見えるイブの顔を見つめ、俺は無言で何度か頷いた。
「じゃあ帰ろっか。まだ夜のライブには時間あるんでしょ」
開場は18:30だ。まだ二時間もある。
「そうだな、お前たちは一旦帰っていてくれ。俺はまた用事ができた」
「また……」
また何事か説教を食らうと思っていたら、それは無く、イブとシーナの顔が曇っただけだった。
「また、私たちのことで……?」
そう申し訳なさそうに言うイブに、何かよく分からない、暖かいものが胸に広がる感覚がした。
「いや……」
俺は二人の頭に手を乗せ、三回ほど撫でる。シーナは不思議そうにその上に手を重ね、イブは若干身を強張らせた。
「個人的な用事だよ。イブ、帰りの道中、二人を任せた」
「う……うん……」
「本当に大丈夫か」
歯切れの悪い返事に、再度確認する。
「い、いや、急に撫でられたりしたから、びっくりしちゃって」
それはすまないことをした。
「でも、もう大丈夫だよ。任せて」
「頼む。何かあったらその怪力で―――」
「うるっさい。一言余計」
ぶすっとした声で手を払われる。俺は苦笑しながら、少し離れた場所にいる少女の方を見る。
「……ヨンジー、今夜のライブ、俺も行っていいか?」
「あたしに訊く必要なんかないだろ。コマさんが来いって言ってるんだから……ぶっ殺すよ」
強気そうな目を俯き加減に、唇を尖らせて言い放った少女の声に安堵する。そして、ずっと手を乗せていた頭に向かって言う。
「シーナ、確か食パンを切らしていたな」
癖のある栗毛が動き、上目遣いの不安そうな目が俺を捉える。
「ちょっと行って買ってくるから、明日はバタートーストを作ってくれ」
「うん。分かった。レノンと待ってるね」
ようやく笑顔を見せたシーナの頭から手を離し、俺は彼女たちの帰り道とは逆方向に歩き出した。
「こらシーナ。ちゃんとまっすぐ歩いて!」
「車にぶっ殺されちゃうよ」
「は~い」
帰路につく少女たちの穏やかなやり取りを背に受けながら、俺は携帯で例の番号を呼び出した。
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