聖明を壅蔽せしめる事をその1

「……魚、とかどうだろうか?」


 夕陽に染まっていく川が流れるのを、呆けた顔で眺めていたエステルが独り言を語り始めるかのように、前置きもなくボソリと呟いた。


「あぁ~、川魚か。そもそもいるの? この川」


「泳いでいる時に、かなりの数を見かけたぞ。昼間、追いかけたのだが、どうしても追いつけなくてな……」


「なに言い出してんのよ、この子は。当たり前でしょ」


「やはり訓練が足りんという事……か。後、一歩までは追い詰めたのだが……」


「えぇ……追い詰めたって、どんだけ速く泳いだのよ」


「ふふふっ。アマーリア家に秘伝される、特別な泳法よっ」


「凄い凄い。人間離れしてんのは、頭の中だけだと思ってた」


「ほぅ。最近のヴィヴィ殿は私を侮り過ぎている、きらいがあるからな……これを機会に、もっと讃えてくれても良いのだぞ? なんせ、私の方が年上のお姉さんなのだからなっ」


((幸せそうだなぁ……))


 エステルが自慢げに平たい胸を張る姿を見せ付けられて、皆に弛緩しかんした空気が流れる。その空気を断ち切って、次に口を開いたのはフィオナだった。彼女はこの提案に1人、難色を示すような表情を浮かべている。


「……エステルちゃんの話は置いておくとして、魚はめとこ? ほらっ、川魚って臭みが強いっていうやん?」


「それは大丈夫じゃない? ここら辺ってどう見ても清流だし。それに、レスリーとオジサンに任せれば、そういう下処理も出来るでしょ?」


「あっ……はい。そのっ、でっ……出来ます」


「では、やはり焼き魚、か。レスリー殿、塩はまだ余っているのだろうな?」


「は、はいっ。せっ、節約して、使っていたので……まだ、よ、余裕があり、ますっ」


「いや……ほらっ、いうて釣り竿とか持って来てないし。捕まえられへんやん? 諦めた方がええんちゃかなぁ?」


「そっちも別の方法が、いくらでもあるでしょ。エステルだって1人で追い回して、魚を追い詰めたんだし? ていうか、さっきからどうしたの? フィオナ。魚、食べたくないの? 嫌いだったっけ?」


 否定的な発言を繰り返し、普段とは異なる歯切れの悪い反応を示すフィオナに、ヴィヴィアナは怪訝に瞳を細める。


「もしかして、本当に体調が悪くなったとか?」


「う~ん、お魚さんは好きやし、別に体調も悪うはないんやけども……どう言うたらええんかなぁ。生でお魚さんを見るのが、ちょっと苦手っていうか……」


「成程。しかし、意外だな。フィオナ殿は動物全般に好意的なイメージだったのだが」


「ふーん……なら、フィオナは離れて待っててよ。私達だけで捕まえて来るからさ。それなら、問題ないでしょ?」


「あぁ~……ほな、そうさせて貰おうかな……」


 困ったような愛想笑いを浮かべた後、立ち上がり、尻を叩いてスカートに着いた土汚れを払い落とすフィオナ。ヴィヴィアナは、彼女が立ち去っていくのを見送る間、その背中をジッと見詰めていた。なにかを隠しているような気がする……そんな漠然とした疑念を抱いていたからだ。


 とはいえ、今、突然にそれが分かる筈もないので、切り替えるように話を続けていく。


「それで、魚を取る方法だけど、なんかいい手があるかな?」


「やはり、私が捕まえるしかあるまいなっ。なに、昼の間にコツは掴んだのだ。任せておくがいいっ」


「なんかの間違いが起こって捕まえたとしても、その方法だと1、2匹が限度でしょ。たったのそれだけで、どうやって皆の分をまかなうのよ? それとも、1人で魚を食べる気?」


「う~む……それは確かにそうだな……」


「あっ、あのっ……その、やっ……やはり、ま、マテウス様にも……魚をご用意す、すればっ。そ、そのっ……喜んでいたた……頂けるのでしょうか?」


「オジサン? まぁ……魚は普通に食べてたし、喜ぶんじゃない? アイツだって、同じ食事で飽きてるだろうしさ」


「マ、マテウス様によ……喜んで、い、頂けるっ」


 両手の指先を口元で重ね合わせながら、ニマニマと表情筋の緩み切っただらしない顔へと変わっていくレスリー。内股にした太股部分をモジモジと重ね合わせている辺り、どうせ良からぬ妄想をしているのだろうと、ヴィヴィアナは冷めた視線を送る。


「そっ、それでしたら、その……魚を捕る為の、ほ、方法があるのですが……」


「へぇ……釣り竿とかの道具もないけど?」「ほう……レスリー殿ならば、人数分用意出来ると言うのか?」


「あっ、すいませんっ、すいませんっ。その……レ、レスリーではなく、エステル様のお力をお借りすれば、と、い……いうことなのですが」


「私、のか?」


 そうして、3人で顔を合わせて密談をするようにヒソヒソと声を潜めた作戦会議をした後、彼女達3人は同時に腰を上げて、再び川へと繰り出していく。


 同じ頃、フィオナは時間を持て余して、立ち尽くしていた。なにをしようかと考えながら視線を巡らせていると、火に掛けられた鍋を前に腰掛ける、マテウスの大きな背中が目に留まる。暇つぶしには及第点ぐらいかと、失礼な事を考えながら彼の背後に、足音を殺して忍び寄る。


「今、火を扱っているから、危ない事は止してくれよ」


「なんや、気付いてもーたんか……」


「本当に足音を殺したいのなら、砂利の上を選ばない事だ」


 鍋から目を離さないままそう答えたマテウスは、再び鍋へと集中する。暫くの間、フィオナはその様子を眺めていた。まるで時間を図ったかのように定期的に、同じ回数だけスープの中身を掻き回す姿は、料理というよりは、なにかの実験のようだな……と、そんな感想を彼女は抱いた。


「それより、どうした? 皆と話していたんじゃないのか?」


「うーん……せやったんやけど、皆がお魚さんを捕るーって言い出してな? せやから、退散してん」


「魚を? そろそろスープが出来上がるから、火の始末でもしようかという時に……手間を増やしてくれるな」


 どんな魚が何匹用意されるのか、そんな情報もないまま。かといって、これ以上夕食の時間を遅らせると、明日が辛くなるだろうし……などと、皆の事を考え込んで口を閉ざしてしまうマテウスだったが、フィオナが口にする、せやから、の部分が、自身の質問と噛み合っていない事に、遅ればせながら気付いて、はたと手を止める。


「ん? 結局なんで退散したんだ? 君は魚料理も好きだっただろう?」


「いや……お魚さんは、美味しいから大好きなんやけど……その、お魚さんが死んじゃう時の声、がな? 余り慣れへんのよ」


「声……か。あぁ……君は魚の声も聞く事が出来るのか」


「水の中にいる時は、全然聞こえへんのやけどね。だから、お魚さんの声を聞く時は、大抵が苦しそうにしてる時だけなんよ。それに、ウチは田舎でも海のない所で育ったから……お魚さんとは、縁が少なくてなぁ」


「そうか。因みにどんな恨み言を呟くのか、聞いても大丈夫か?」


「えぇっと……マテウスはんは、焼身刑って見た事ある?」


「あるぞ」


「あんな感じやよ。もしくは、絞首刑で楽に死ねなかった人……みたいな。聞いてるとこっちも、息苦しくなってくるような奴」


「恨み言というか、断末魔の方が近そうだな、それは。苦手にもなるか……すまない。悪い事を聞いてしまったな」


「許さへんっ。気分悪いわっ」


「……どうすれば、許してくれるんだ?」


「今晩の食事、少しだけ多めに盛り付けてくれたらぁ~、許してあげてもええよ?」


 マテウスは小さく鼻を鳴らして笑った後、この可愛らしいテロリストの脅迫に応じて、自身の食事を分け与える事で、一応の慈悲を得る事となった。

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