エピローグその2

「しかし、まさか君がアイリに手を上げるとはな。王族と掴み合いの喧嘩だなんて、改めて考えてみるまでもなく、とんでもない事だぞ?」


「それは……あの、あの……やはり、レスリーはしょ、処刑されて、しまいますか?」


「どうかな? それは、アイリの機嫌次第によるものが大きいだろうから……」


 そんな事する訳ないでしょっ! と、アイリーンは跳ね起きて大声で主張したい所だったが、寝たふりをする身の彼女には、それが出来なかった。マテウスは意地悪そうな目で彼女の背中を見詰めた後、口許を歪めた笑みを浮かべながら、レスリーに視線を上げる。


 レスリーの顔は見るからに青ざめていて、それを目にしたマテウスは我慢しきれずに肩を揺らしながら、声に出して笑った。


「クックックッ……冗談だよ。そんな顔をしてないで、もう少しだけでいいからアイリの事を信用してやれよ」


「……し、信用?」


「まぁ、まだ難しいだろうがな」


 マテウスの言葉の意味が伝わらず、レスリーは途方に暮れたような顔をしながら、アイリーンに視線を送る。しかし、その背中に答えが浮かんでくる筈もなく、彼女が体を起こす様子もなかった。


「その為にも、ああいう喧嘩は経験しておいてもいいと俺は思っている。君達2人の場合は特にな。だが、それも時と場合を選んだ上での事だ」


「は、はい。そのっ、すいませんっ、すいませんっ」


「別にいい。あの場で伝えた事を、ここで繰り返すつもりはない。君達になら、俺が叱った意図が1度で伝わったと思っているよ」


「そ、そうだとしても……その、あの……」


「まぁそうだとしても、君達が間違いを犯して、皆を危険に晒し、俺を失望させたのは事実だがな」


 レスリーはコクコクと無言で首を縦に振った。そして、マテウスの発言した内容の重さに顔を沈ませる。アイリーンの背中も、心なしか小さくなっていた。


「だが、そんな些細な事は気にするな。そうやって、何度でも間違えればいいさ」


 その言葉に、再びレスリーが顔を上げる。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。君達はまだ若い、別に始めから賢者である必要はないさ。だから、何度でも間違えるといい。君達ならば、その度に、反省して進む事も出来るだろう?」


「で、でも……こ、今度、他の皆さまを……き、危険に晒してしまうのは……」


「そうしたら、また体を張ってでも守るさ。その為に騎士おれがいる」


「で、でもっ……今度は、ま、マテウス様だって呆れて、レスリーの事なんかっ……」


「そうしたら、また痛い思いをしてもらうかもな。その為に教官おれがいる」


 マテウスは右手で拳を作って、それをオタオタと続きの言葉を紡ごうとするレスリーの額に、優しく押し当てる。


「こんな偉そうな事を言ってるがな、いつだって俺が正しい訳じゃない。俺だって失敗を繰り返して、周りに迷惑を掛けて、助けてもらって来たんだぞ?」


「そ、そんな事は……れ、レスリーにとって、マテウス様は……そのっ、完璧な……あるじ様ですっ」


「馬鹿な事を……騎士団寮が襲撃を受けたのだって俺が原因だったんだ。そもそも、本当に完璧ならば、もっと要領よく世の中を渡り歩いているよ」


 それと、君の主はそこで寝ているアイリだろ、と付け加えて、軽くレスリーの額を小突くマテウス。アウッと小さな声を上げて額を両手で抑えながら、上目遣いに見上げて来るレスリーに、マテウスは苦笑を漏らす。


「だからな、失敗を恐れる必要はない。俺が知っている事ならば、教えてやる。俺が知らない事でも、力を貸そう。成功したのなら、真っ先にたたえるし、愚痴を零したいのなら、いつでも聞こう。どんなに失敗しても、何度間違えても、俺は呆れたりはしない……失敗を恐れ、なにもしない。そして、失敗を犯さない自身の方が賢いと、そんな勘違いするような奴の方が、遥かに愚かだからだ」


 一度、言葉を切ったマテウスの視線がアイリーンへと向けられる。


「アイリが気を失う寸前にナンシーへ預けたという、高潔な薔薇ローゼンウォール。それは、あの日失敗続きだった彼女が、それでも気を失う寸前まで、自分になにが出来るかを考えた結果だ。残念ながら俺が使う機会はなかったが……それでも随分と勇気付けられたよ。それにレスリー。俺が出した大雑把な指示で、的確に、真っ先に動く君が、本当に頼もしいと感じた」


 額を抑えていた両手を解いて、もう1度膝の上へと両手を置くレスリー。


『……そうか。エステル、ここは俺が喰い止める。君達は迂回……していては間に合わないな。ここから中庭に飛び降りて、先に脱出しろ』


 思い返すまでもなく、脳裏に響くマテウスの指示。彼女はそれを成し遂げる為に、どうすればいいか必死に考えただけである。彼はその場面を見ていなかった。だが、見ずともレスリーが動いたのだと、確信していたということだ。彼女は、膝に乗せた両手を小さく震わせながら、その事実に気付く。


「俺の前で強くなると……」


 そしてマテウスは、右手をアイリーンの小さな肩に乗せる。その感触に、彼女は声が漏れそうになるのを必死で抑えた。


「俺の味方になると誓ってくれた日の事を、俺は忘れた事がない。今の君達が幼いのは仕方がない事だ。それでも、失敗を重ねながら少しずつ変わっていく君達を見ていると、期待せずにいられない事が、先日の件でよく分かった」


 レスリーは自身の口許を両手で抑えて、声を漏らさぬようにするのに精一杯だった。以前、マテウスにとってはなんの意味も持たない日常だったのでは? と、不安だった自身にとっての特別な日を、彼に覚えて貰えている。


 それだけでも幸せだというのに、更に取るに足らないベルモスク混じりである自身の誓いに期待を寄せられている伝えられて、自身の感情がどうなったのかも分からぬ程に、激しい動揺を受けた。


「もし、この期待が億劫ならそう言ってくれ。こんなものは俺の勝手な言い分で、君達が背負う必要のない事だからな。ただ……それでも出来る事なら、俺がこれから先も勝手に期待して、偶に口を出す事を許して欲しいんだが……どうした? 具合が悪いように見えるが、大丈夫か?」


 口許を抑えながら、視線を落としてジッと床を見詰めている姿を見せられては、マテウスがそう誤解するのも無理はない。そんなレスリーの背中をさすってやっていると、パメラが医者を引き連れて戻って来た。まだ話しておきたい事はあったが、丁度一区切り着いてはいたので、マテウスはここで話を切り上げる。


「診察の邪魔になるだろうから、俺達はそろそろいくよ。レスリー、立てるか?」


 レスリーに手を差し伸べると、彼女は顔を下に向けたまま、マテウスの手を握り返しながら立ち上がり、マテウスの腕へとすがりつくようにして身を寄せた。彼はそれに対して動き辛そうにしながらも、なんの叱責しっせきも口にせずに、部屋を出ようとするが……


「あぁ、そうだ」


 ふと立ち止まって踵を返すと、ベッドで横になったままのアイリーンにも聞こえるような大きめの声で、こう告げた。


「アイリに伝えておいてくれないか? 入院でなまった体を直したいのなら、いつでも顔を出すといい、とな」


「分かりました」


 マテウスはパメラの無機質な返事に頷きを返すと、またな……という言葉を残してレスリーと共に部屋の外へと出る。彼等の足音が部屋の外へと消えていくのを確認して、ようやくアイリーンはまぶたを開ける。その瞳は少しだけ赤く充血し、眼尻に涙を溜めていた。


「では、これから診察をさせて頂き……王女殿下っ? 何処か痛む所があるのですか?」


「いえ、大丈夫です」


「ですが……」


「本当に大丈夫ですから、診察を始めてください」


 物腰は柔らかに、しかしそれ以上の追及は許さないと告げるような、強い口調。その心の内はレスリーとは別の感情、悔しさに彩られていた。


『そう? あのオジサンはアンタ達に、こういう事を期待していないだけだと思うけど?』


 結局のところ、ヴィヴィアナの方が、マテウスの事を良く見ていたという事だ。自身が最初に出会ったにも関わらず、真っ直ぐに自身の感情を向けるだけで、マテウスの事をなに1つ理解しようとしていなかった代償。あの誘拐された夜、命を助けられたにも関わらず、遠く感じた背中はそういう事だったのだろう。


 それどころか、ただただ好きだという理由で、彼を独占したくなる子供染みたこの感情を表す言葉でさえも、アイリーンには分かっていなかった。


『じゃあ聞くけどさ。アンタ達、あのオジサンの何処が好きになったの?』

『アイリ。1つ忠告しておきますけど、あの人は貴女の未来の夫にはならないの。余り入れ込み過ぎると……後が辛いですよ?』


 次々と思い出されていく、ヴィヴィアナの指摘に、母からの助言。そのどれにも自身の中で答えを見出せずにいる、どうしようもない幼さに気付いて愕然がくぜんとする。


 それと同時に、王女殿下という記号として扱われる事は嫌う癖に、王女殿下である事を利用して主となり、マテウスを縛り付けて、これから先も期待を裏切り続けるかもしれない未熟な自身に、悔しさを覚えて、また目頭が熱くなる。


(マテウス……私ね、もっと頑張る。もっと自分のこの気持ちを理解して、貴方の事を知って、誰になんて言われようとも、私にとっての世界で1番の騎士は貴方だって言い返せるように……貴方にとって世界で1番の味方に、なってみせるんだからっ)


 それは、アイリーンが何度も心の中で繰り返して来た忘れ得ぬ誓い。それでも、まだ幼い彼女が、再びこの誓いに背を向けそうになる日は来るだろうし、挫折を味わう時もあるだろう。だが、例えそんな時が訪れようとも……今日この日のマテウスの言葉は、それに立ち向かう為の小さな勇気を彼女にもたらした。

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