それぞれの前線その3

  ―――同時刻、理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所アンバルシア支部、別館3階廊下


「パメラ、終わったの?」


「はい、滞りなく」


 死屍累々。自らが作り上げた赤い血肉の絨毯じゅうたん上に1人佇むパメラが、アイリーンの呼びかけに振り向きながら答える。口元を抑えながら、足元をなるべく見ないように恐る恐る近づくアイリーンの顔色は悪い。この地獄絵図のような光景を目の当たりにすれば、仕方のない事だろう。


「パメラ。とりあえず、ここを少し離れようよ。やっぱり気持ち悪いから」


「はい、仰せのままに」


 アイリーンがパメラに向かって手を差し伸べると、それに応じてパメラも手を伸ばして、手を繋ぎながらその場を少し離れる。そうして彼女達が移動した先、下り階段の踊り場付近には5人の男女がうずくまっていた。彼等はこの場で働いていた従業員達だ。人質に取られそうになっていた所、パメラとアイリーンによって助けられた者達である。


 ここまでの経緯を振り返ると、1人やりきれない想いに落ち込んでいたアイリーンが、その心をある程度落ち着かせて、戻って勝手に抜け出した事を謝ろうと覚悟を決めたものの、逃げるようにして適当に走っていた為に、この複雑な建物の中で迷子になってしまったのだった。(その時点でパメラに頼ればすぐに戻れたのだが、アイリーンは自分が迷惑の掛けっぱなしである事を自覚していた為、恥ずかしくて言い出せなかった)


 真っ直ぐ戻るつもりが、いつの間にか別館にまで移動してしまって、どうやって戻ろうかと四苦八苦している内に、従業員達が襲撃されて悲鳴を上げている所に出くわしたアイリーンが、パメラに命じて彼等を助けたという次第である。


「ヒッ……」


「ハハッ……その、どうも……」


「お、終わったのかい?」


 パメラの姿を見た彼等の反応は様々だった。声もなく後退あとずさる者、顔色をうかがうように礼を言う者、なるべく視界に入れないようにアイリーンだけを見る者……だが、それらの反応の本質は共通だ。パメラに対する怯え。それを隠さずにいる彼等の事を、アイリーンは口に出さないにしろ、少しだけ腹立たしかった。


「はい。彼女……パメラが1人残らず撃退してくれました。皆さんは、お怪我はありませんか?」


「あぁ、こっちは大丈夫さ。アイツ等に無理矢理連れられている時に手首を痛めた子がいるくらいで……後はピンピンしているよ」


 その答えに対して、アイリーンはそれは良かったと、笑顔を浮かべながら言葉を返す。その仕草に男達は時と場合を忘れてしばらく見惚れてしまった。そんなだらしない男達に代わって話の先を促したのは、手首を痛めたという女性である。


「ねぇ、はやくこの場を離れましょうよ」


「そ、そうだったな。アイツ等が仲間を呼ぶかもしれないし。よし、1階にある警備室に向かおう。そこなら警備員もいるし、外部にも連絡取れるからな。それでその……君達も一緒に来てくれないかな? そうしてくれた方が心強いから」


「ごめんなさい。私達には他に友達がいるんです。だから一緒にはいけません」


 アイリーンは1階の警備室が何処にあるかなんて知りもしなかったが、それでも自分達が目指す先とは真逆である事ぐらいは分かったので、申し出を丁重にお断りした。そんな彼女に対して、発狂したかのようにヒステリックな声をあげたのは手首を痛めた女だ。


「そんなっ!? 私達だけで警備室まで行くだなんてっ。またあのテロリスト達に見つかったら今度こそ殺されるかもしれないじゃないっ!」


「おいっ、声を抑えてくれ。また奴等に見つかるかもしれないだろう? それに、彼女達にも事情があるんだろうから、余り無理なお願いは……」


「だから私達は殺されろっていうのっ? こんな時に格好つけようとしないでよっ。ねぇ、いいでしょう? 貴女達の仲間だってきっと下に逃げてるわよ。そこで合流すればいいじゃない? だから、お願い。私達を守ってよ」


 アイリーンの手を片手で強く掴みながら、必死な形相で説得する女。命が掛かっているのだ。必死にもなるだろう。アイリーンとて彼女を救いたくはあるが、先程の爆発の音がエステルの上位装具オリジナルワンであろう事ぐらいは彼女にも予想出来たので、下に降りても合流が出来ない事は予想出来ていた。


 だから、どう穏便に断ろうかと言葉を探していた時、横から伸びたパメラの右手が、アイリーンを

掴む女の手首を掴み、引き剝がす。パメラとの力比べでただの従業員が逆らえる訳もなく、掴まれた手首の痛みに苦悶の表情を浮かべながら後退った。


「痛っ! 痛いってっ。お願いっ、離してよっ……離して、下さいっ!」


「パメラ、やりすぎだよ。離してあげて」


 女がどれだけ叫ぼうと緩められなかったパメラの右手が、慌てて仲裁に入ったアイリーンの頼みによって、ようやく緩められる。解放された瞬間、痛みに蹲った女。文句の1つでも吐こうと顔を上げるが、パメラの殺気に満ちた冷たい視線に、彼女が簡単に人を殺す姿を思い出して、口をつぐんでしまう。


「勘違いされているようなのでお教えしますが、私が貴方方を助けたのは、私がアイリ様のめいに従った結果、偶然にも貴方方が命を拾っただけの事です。ですが、これ以上アイリ様をわずらわせるのであれば、折角拾った命をもう1度捨てて頂く必要があります」


「そんなの……冗談、でしょう?」「ハハッ、いや……その、なぁ?」


 パメラの心の芯から冷やすような冷たい物言いに、場が凍り付く。アイリーンが再び仲裁に入ろうと口を開きかけたその時、逆にパメラの方からアイリーンを制するように片腕を胸元へと伸ばした。最初、その理由が分からなくて戸惑ったアイリーンだったが、パメラに遅れながらも、彼女の見詰める先から足音が近づいてくるのに気付く。


 現れたのはパメラが先程殺した襲撃者達と同じ服装の男達。数は6人。その誰もが装具を手にしており、走って移動していた為か、少しだけ息を切らしている。


「おいっ、まだこんな所に人が残ってるじゃねぇか」


「相手にしてる場合じゃないだろ。はやく戻らないと上の奴等がやられるぞ?」


「いや、待て……あの制服、上にいた女達と同じじゃないか?」


 彼等は4階でエステル達と戦っていた男達だ。エステル達の背後を取る為に、別館3階から再び4階へと戻ろうとしていた所に、偶然アイリーン達と遭遇しただけなのだが、彼女達の制服の配色が同じなのを見て、排除すべき敵なのでは、と装具を構える。


 再び戦闘になりそうな雰囲気を察して、アイリーン達と話していた5人の従業員達はパメラの背後に隠れるように襲撃者達から距離を取り始めた。出来る事ならパメラと一緒に戦いたいアイリーンだったが、まだ自分が足手まといだという事を理解していたので、せめてパメラが戦いやすいようにと、手首を捻った女従業員に耳打ちをした。


「ここは私達が食い止めるので、今の内に1階の警備室に行っていてください」


「そ、そう? なんか悪いわね」


「気にしないでください、私達なら大丈夫ですから。さっ、早く。ここにいると巻き込まれちゃいます」


 アイリーンのこの言葉が決め手となって、女は率先して背後の階段の下へ向かって走り出す。男達は一瞬この場に残るかどうか迷っていたが、ここにいるとかえって危ないので早く逃げてくださいっ、と、アイリーンが更に後押しして先に行かせた。


 それこそていよくこの状況を利用して、彼等を追い払っただけであるが、どうせ自分達だけ赤鳳騎士団の面々を残して1階に降りるなんて事は出来なかったので、この場はこれで良しとする。ただ1つ、4階で闘っている筈の皆の下に、どうやって戻るのかを聞いておけば良かったかなぁ……と、アイリーンは少しだけ後悔した。

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