不穏な火花その4

「……その辺にしておけよ」


「うるせぇっ! コイツはアンソニーにクリフ、そしてダンまで……俺の仲間を殺しやがったんだっ。そんな奴を生かしておいてやってんだから、これぐらいは良いだろうっ!?」


 後ろ手に両手首を一纏ひとまめにされて、拘束されたマテウス。その姿で棒立ちになる彼の顔面や腹に向けて、血盟団の男の拳が次々に放たれる。マテウスはそれを甘んじて受け止めていた。


 男が殴る度にマテウスは大袈裟によろめくが、見た目ほどにダメージは負ってない。少し鍛えた程度の成人男性では、頑丈な彼の身体に素手で致命傷を与えるのは難しい。むしろ、一方的に殴っていた筈の男の方が、息が上がって疲れを覚える程だった。


 その様子を後ろから眺めていた着物少女が、見かねて男の肩を叩く。しかし、男はそれを払い退けて反抗した。続けてマテウスを殴ろうとする男の腕を、着物少女は後ろから掴み、同時に膝裏を蹴り飛ばして体勢を崩して引きずり倒すと、首元に短刀を押し当てる。


「テメェは既に2度、オレの命令を無視しやがった。下がっていろと言うのに勝手に動いて、女を殺せと言うのに殺さなった。3度目はないぜ。この野郎とは話がある……その辺にしておけよ」


「わ、分かったよ、教官。で、でもよ……その後ならコイツを俺の好きにさせてくれねぇか?」


「人質は多い方がいいけどよ。それもリーダーの判断次第だかんな。奴に相談した後なら好きにしな」


「アンタの言う通りにするよ。だからもう離してくれ」


 マテウスは一先ず、隣にひざまずいて動かないロザリアと、自身の命が繋ぎ止められた事を知ってホッとする。彼は口の中を切った所為で広がった血の味を、唾液と一緒に吐き捨てていると、男の代わりに一歩前へと踏み出してきた着物少女が、下から見上げてきた。


「テメェ、名前は?」


「……マテウスだ」


「マテウス? まさかマテウス・ルーベンスかよ? テメェが親父の言ってた将軍か」


「元将軍だ。親父に、教官……あぁ、そうか。君はドミニクの関係者か」


 赤鳳騎士団寮をカナーンが襲撃して、アイリーンが誘拐された事件。その時にマテウスの事を将軍しょうぐんと呼び捨て、自らを教官と呼ばせ、マテウスの素性を父親パーパに聞いたと発言した女、ドミニク。深手を負わせながらも取り逃がした女の事を思い出して、マテウスは現状の危うさを理解する。


「そうか。テメェがあねさんを……」


「おいおい待ってくれ、アッチが先に仕掛けて来たんだぞ?」


「オレの質問に答える以外は黙っていろよ。それ以上は手元が狂うぜ?」


 鋭く振られた短刀が、マテウスの喉元寸前でピタリと静止する。彼が喋るだけで喉の動きで切れてしまいそうな程の距離だ。生きた心地がしないマテウスは少しだけ後退あとずさって、肩を竦めてみせた。彼女はその動きに応じて同じだけ短刀を動かすが、しばらくは何事かを考えているかのように無言でマテウスを睨み続ける。


「……腰のその剣が騎士鎧ナイトオブハート儀剣ぎけんって奴か?」


「そうだ」


 着物少女の中でどんな結論が出たのか……なんにせよ、彼女は短刀を引いてそれをさやに納めた。それを見てマテウスは、今すぐに殺されることはなさそうだと判断する。そんなマテウスの感情の変化よりも、着物少女は彼が腰に下げていた剣に興味を示したようだ。手を伸ばして引き抜き、自らの眼前まで掲げて品定めをする。


「確かに、姐さんの持っていたものと似ているな。見てくれはまるで模造刀、それ以下だけどよ」


 着物少女は短剣の刃先を指で撫でながら詰まらなそうな眼差しで見詰め、それを片手に持ったままマテウスから血盟団の男へと向き直る。


「女の方は他の人質と同じ場所に連れていけ。男の方はこの場所に監禁だ。すぐに見張りの応援をよこすからよ」


「教官の話が終わったんなら、殺していいんじゃないのか?」


「殺すのはまだだ。リーダーと面通めんどうしさせたい」


「糞っ……分かったよ。でもよ、殺さなかったら別になにしたっていいんだろ?」


 血盟団の男が見せるマテウスへの執着しゅうちゃくに、退室しようとしていた着物少女はいい加減面倒くさそうに部屋全体に響くような大きな溜め息を零した。そんな彼女を前にしても、男の方はさも自分の意見こそが当然だとばかりに、着物少女の答えを急かした。


「事情は知らねーが、どうせ殺すんだろう? なら問題ねーじゃねぇか」


「分かったよ、好きにしろ」


「へへっ、ありがとよ。教官」


「ただし、やるなら……」


 着物少女はきびすを返して再びマテウスの前へと立つ。話の流れから察して歯を食いしばったマテウスに対して、彼女は問答無用な右足でもって、彼の股間を下から蹴り上げた。


 マテウスは声もなく少しだけ身体を震わせる。続けて2度、3度……彼女の出せる全力でもって執拗に股間を蹴りつけられて、5度目にしてマテウスは足を内股に閉じながら、膝を床に着けた。


「これぐらいはしな。騎士鎧を操る者は大抵痛みに強ぇから、テメェ程度の拳じゃあ、大した効果にならねーぞ? 後は残りの武装解除だ。忘れんな?」


「……わ、分かったよ……」


 血盟団の男は、とっとと部屋の外へと姿を消す着物少女を見送った。その顔は男同士でしか理解できない痛みを察して、少しだけ青ざめていた。そんな彼に対して、ロザリアが気づかわし気な声を掛ける。


「大丈夫ですか? マテウスさん」


「あ、あぁ……なんとか。少々効いたがな」


 苦悶の表情に顔を歪めながら話すマテウスというのを初めて見たロザリアは、体をマテウスへと寄せて腰辺りに手を伸ばしてやりたかったが、彼女もマテウスと同じように後ろ手に縛られているのでそれすらも敵わず、ただ身体を寄せて耳元で囁くように言葉を続けた。


「あの、私の事はもう……きゃぁっ!?」


「オラッ! イチャついてんじゃねぇぞ、コラッ! 半殺しにしてやっからなっ!」


 男は、ロザリアを押し退けてマテウスの襟元を掴んで引きずり上げるようにして立たせると、再び暴行を始めた。マテウスはそれに一切の抵抗を示さなかった。その姿はサンドバックである事を受け入れたようだった。


 その光景に対してロザリアは、迂闊うかつに動けずにいた。止めに入れば、更にあの男は機嫌を悪くし、マテウスへの暴行は更に苛烈なモノに……または自分にまで被害が及ぶことを考えると、ただただ黙って、マテウスが殴られる度に瞳を閉じるという行為を繰り返すしか出来なかった。


 程なくして、男の方が殴り疲れて肩で息をしながらマテウスの頭を踏みつけにして休憩する。見た目は痣だらけになった顔を踏みつけにされて、ロザリアなどは真っすぐ見る事も出来ない程に痛ましい姿のマテウスだが、本人は着物少女にやられた痛みが引いて、後は反撃のチャンスをどう伺うかと、考えるまでには回復していた。


 しかし、着物少女が言っていたとおりに、血盟団の仲間がゾロゾロと室内に入ってくる。揃いの頭巾と覆面の男達が1人、2人……4人が入ってきた所で、最後に入ってきた男が口を開いた。


「応援に来ましたよ。それで? 彼女が連れて行く女ですか?」


「ほっほぉ~、綺麗な女っすね。これなら俺は女を連行する方がしたいなぁ」


「お前、さっきまで本物の人間をサンドバックにしてみたかったって言ってた癖に……」


「後からゾロゾロ来て、うるせぇ奴等だな。連れて行くならさっさと……いや、まて。どうせならちょっと楽しんでからにしようぜ?」


 マテウスの顔を踏みつけにしていた男は、足に力を込めて、グリグリと踏みにじりながら自らの悪魔のような発想に、嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべた。


「こいつの目の前で、そこの女を犯してやろうぜ」


「やめときましょうよ。はやく人質の所に連れて行かないと、教官になんて言われるか……」


「それに、そんな事までしたら、俺達まるで犯罪者じゃないか」


「えぇ~? 俺は賛成だなぁ~。こんないい女とヤれるチャンスないだろうし、彼氏さんの前って事でしょ? めっちゃ燃えるわぁ~」


 5人の間でも意見が分かれているようだ。ロザリアに飛びつくように近づいた男は既に、彼女の身体のラインを図るように服の上から身体を撫でまわしている。それに対して両手を縛られて動けないロザリアは、軽く身動みじろぎしながら止めてくださいと、か細い声を上げるだけだ。


 床に頭を擦り付けられたマテウスが、その光景を見かねて口を開く。


「やめてやってくれ。彼女には手を……グッ!?」


「お前には聞いてねぇよっ!」


 マテウスの顔を踏みつけにしていた男が、再び暴行を始めてマテウスの台詞を遮る。横顔、頭、横腹、次々と彼は全力で振り抜いた蹴りを見舞う。それは彼の体力が切れるまで繰り返されて、その行為が終わる頃には彼の仲間も気まずそうに押し黙り、静寂の室内には彼の荒い吐息だけが響き渡った。


「仲間を殺したコイツを生かしておいてやるんだ。これぐらいやってやらねぇと、割りに合わねぇだろ?」


 胸を反らしながら呼吸を整える男の意見に、今度は誰も逆らおうとはしなかった。

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