エピローグその1

「あの……本当にお世話になっていいんですか?」


「気にしないでください。こうなったのは、この子の責任ですから」


 店の前でもう1度ロザリアはドリスに尋ねる。尋ねられたドリスは迷いのない澄ました顔で、エリカへと視線を運んだ。彼女はその視線の先で、体中を真っ赤にして寝息を立てているエステルを背負って、フラフラとしている。


「さすがにフル装備は重いっす」


「なに? エリカ。エステル卿はそのフル装備でピンピン歩き回っていたのよ?」


「はっ? なんっすか? ちょっと酒が入ってフラついただけっす。こんなの超ーっ余裕っす」


「という事ですから……支払いまで一緒にしていただいたお礼も兼ねていますので、気にしないでください。寮までは彼女がお送りします。私は先に宿泊先に帰って遅れる事を報告しないといけないからご一緒出来ないので、ここまでですが」


「今日は色々ありがとーね」


 2人の会話が途切れたのを見計らって、フィオナが間を割るようにして顔を出してきた。そのままドリスに近づいて、ちょいちょいと手招きするフィオナ。顔を近づけろという事だろう。素直に前屈みになったドリスだけに伝える為、彼女の耳元まで顔を近づけて、口に片手をかざしながら、声を潜めてこう告げる。


「ウチの騎士団への入団する日が決まったら、教えてーな? 歓迎会準備して待っとるから」


「ありがとう。またゆっくり話をしましょう」


「それじゃあまた顔を出してくれよっ! ……おっ? こっちは女王様のご帰還かい?」


 2人が仲良さそうに話をしている間、ロザリアが少し離れた場所で見守っていると、他の客の見送りに外へと出て来た看板娘が、その様子に気付いて近づいて来た。女王様というのは、店での飲み比べの所為せいだろう。女王と呼ばれた当人は、少しバツの悪そうな苦笑を浮かべた。


「騒がしくしてしまいましたね。ご迷惑でしたでしょうか?」


「んー、あれは貴女だけの所為じゃなかったしね。ウチとしては売り上げに貢献こうけんしてくれたんだし、文句はないよ。それに……見ていて少しスカッとしたしね。いい飲みっぷりだよ、貴女」


「そう言って頂けると助かります。また顔を出しますね。今度は静かに楽しみたいです」


「貴女みたいな美人さんだと、ウチでは無理じゃないかねぇ。ああいうお調子者ばっかりだからさ。でも、常連になってくるならこっちとしては助かるよ。それじゃまた……って、オイゲンさんじゃないかっ。久しぶりだねぇ! おっと、ごめんっ。最近は物騒だから気を付けて帰んなよっ。じゃあねっ……オイゲンさん、アンタにはまた文字に起こしてほしいメニューがあったんだよ。んっ? 最近一緒によく飲んでいた友達はいない……」


 本当に元気な店員だと、小さく手を振りながら次のお客へと駆け寄っていく看板娘を見送るロザリア。その時、偶然彼女が話していた常連の男と視線が重なった。ロザリアにとっては、男からの視線を感じる事はよくある事なので、好印象を抱かれるような笑顔に小さく会釈だけを乗せると、すぐにきびすを返して皆の元へと戻っていく。


 その時には既にドリスとフィオナの2人は会話を終えていて、ロザリアの事を待っていた。


 それからもう1度、皆で別れの言葉を交わすと、ドリスとロザリア達は2手に別れて歩き出す。その光景を対岸の路地から眺める2つの人影。その片割れが口を開いた。


「ほら、動いた。動いたぞっ? おい、どっちだ? どっち狙うんだ?」


「お前っ、ちょっ、うるせーぞ、マックス。少し黙ってろよ、マジで。聞こえねーから」


「ヘイ、相棒。ヘイヘイ、スパイク。急がねーと見失うぞっ。ほら、ほら見失ったっ」


「ウィッス、後は終わってからまた連絡しますわぁ……お前っ、本当に静かにしねぇと親父からの連絡聞こえねぇから、マジ止めろよな。後、右だ。右の奴狙えってよ」


「右な、右っ! おう、スパイク。右イズどっち?」


「右っていったら、こっちだろうがよ。どんだけ馬鹿なのお前? エウレシア全一なの?」


「はぁ? 俺とお前の向いている方向が違ったら、右だけじゃ分かんねぇじゃねぇかっ!」


「えっ? 今その話必要? 俺とお前肩並べて同じ方向見てんのに、その話は必要?」


「そんな事よりよ、なんで今回だけ指名入ってんの? 人形を選ぶのは俺達が自由にしていいって話じゃん?」


「親父は今回だけって言ってたし、特に意味はないんじゃね? それより、静かにな。そろそろ人通りが少なくなるからな」


「分かってるよ、任せとけ…………えーっくしっ!!」


「お前のそういう基本を外さない所っ。時々殺意覚えるわ、マジで」


「おい、あれ見ろよ、あれ。通りから出るみたいだぞ? チャンスじゃね?」


「2手に別れるか……お前アッチ、おれコッチ。よい?」


「よいよい。そろそろどっちが足手まといか分からせてやるわ」


「それについては、もう答え出てんだよなぁ~」


 尾行をされた経験のないドリスだったが、流石にこの騒々しい尾行の存在には気付いていた。2手に別れたのを皮切りに、その姿こそ捕える事が出来ずにいたが、意識すれば2つの視線がまだ残っている事を肌で感じる事が出来た。


(このまま無視して逃げてもいいんだけれど……)


 非番のドリスの装備は腰に下げた大剣だけ。複数相手に真っ向勝負は出来る事ならばしたくはないが、相手の機動力や数がドリスの想定を上回っている場合、逃走している筈が逆に窮地きゅうちに追い込まれる……といった状況もあり得る。それならばいっそ、先に戦いやすい場所へと誘導するか? と、考え直して、ドリスは駆け出した。


 そうして彼女が選んだのは、一本の路地裏。自らの大剣が自由に振り回せて尚且なおかつ、相手が自分を囲めないように壁を背後にして迎え撃つようにして大剣を構えた。しかし、待てども暮らせども相手が姿を現さない。


「いるのは分かっている。出て来たらどう?」


「呼ばれてるぞ、スパイク」


「仕方ねぇ……まぁここなら人も来ねぇだろうしな」


 屋根の上から姿を現したのはベルモスクの男だった。大柄な男で褐色の肌に際立つ銀色のピアスが、顔じゅうに輝いているさまと、カリフラワーのように大きな天然パーマが目を引く男だった。


 右腕に嵌めた腕輪を彼が左手で撫でると、淡く光を帯びた腕輪から何本もの鋭い鉤爪かぎづめが伸びる。ゼネバリー社製の下位装具ジェネラル、タレンズィーガ―だ。全く相手をした事のない装具だと分が悪いと思っていたが、同僚のエリカが使う物と似た理力解放インゲージをする装具が出てきた事に、ドリスは少しだけ緊張の度合いが緩んだ。


 しかし、最低まだもう1人いる筈の通り魔が姿を現そうとしない。物陰から自身が油断するのを待っているのだとすれば、随分と舐められたものだ……と、ドリスは緩めた緊張を引き締め直す。


 だが、余りにも長い間、姿を現さないもう1人の存在に疑問を抱き始めたその時……


「いや、マックスッ! なんでお前は出てこないんだよっ」


「おい、話し掛けんなよ。俺までいるのがバレるじゃねぇかっ」


「お前の事も一緒にバレてるに決まってんだろっ! いいから、出て来いよ。2人でやんぞっ」


 そう言われて渋々とスパイクの背後から姿を現した男も、スパイク同様にベルモスク人だった。体格はスパイクと同程度に大柄だが、その上でこの男は腹が目立つぐらいに突出している為、更に一回り大きく見えた。髪の色もベルモスク人には珍しい金髪で、立派なモヒカンヘヤ―のチンピラだったが、サメのように鋭く厳めしい面構えのスパイクに比べて、豚を潰したような醜い顔のマックスは、どことなく愛嬌あいきょうのある顔つきをした男であった。

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