仄暗い胸懐の声その4

「話の間に割って入るようですみませんが、シンディーという名前に心当たりはないですか?」


「はいっ? えっ、なんですか? シンディーは私の妹ですが、どうしてマテウスさんがあの娘の事を?」


「仕事の上で少し縁があっただけなんですが……やはり血縁ですか」


 見た目が似ているというのもあるが、それ以上に性格の面でなんとなく似たような雰囲気を感じ取ってのマテウスの発言だった。よく似ていると言われますと、ナンシーも気にしていないようだ。


 2人の確認が終わるやいなや、再びアイリーンが口を開いて交渉を始める。時折、彼女をこのままにしておいていいのか? と、ナンシーが戸惑った視線を向けてマテウスを確認するが、彼としては雇い主が直接交渉を続けているのを止める必要もないので、口を挟むのは最小限にして、好きにさせておく事にした。


 そうして契約内容が、賑やかながらも順調に進んでいく。その際にマテウスは聞き慣れない単語を耳にして再び2人の会話に割って入る。


「カタログモデル? なんですか? それは」


「カタログというのは……私共の業界で共同で発刊している、商品を知ってもらう為の本といいますか……見てもらった方が早いですね」


 ナンシーは彼女が手に下げていた鞄の中から一冊の本を取り出す。現代風に訳すならばファッション誌みたいなモノなのだが、初めてそれを目にしたマテウスに、その本は衝撃を与えた。多くの商品のスペックをこの本一冊で確認できるのもそうだし、一冊の本が何枚もの女性の写真で埋め尽くされているのにも、彼は感心すらしていた。


(確かにこれなら全ての商品を運ばずとも営業して回れるし、実際に装備した写真を見せる事によって印象にも残りやすいが……しかし、上流階級ですらまだ余り定着していない写真(気品や風情が足りないと、自画像に使うのを煙たがる者も多く、写真として保存しておく為の素材の最適が、まだ定まっていない為)をこれだけ使った上で、この本を何冊印刷しているんだ? 相当なコストだと思うが……あぁ、だから業界での共同発刊なのか。成る程、後半は絵画で済ませているページも多いんだな)


 などと、新鮮な技術の進歩の形に考えを巡らせながら熟読してしまっていたマテウスだったが、ふと顔を上げると2人の視線が集まっている事に気付いてその手を止める。


「すみません。なにか言いましたか?」


「いえ。なにも言っていません。ただ、余りにも熱心に読まれているなぁと……」


「どうせ女の人に見惚れていたんでしょ? 沢山写っているもんねぇ?」


 アイリーンはジト目でマテウスをめつけて、ナンシーは若干顔を引きつらせながら、遠慮がちに両手を前にして左右に振っている。女性向けの女性ばかりが写っている本を、中年大男がジッと見ている姿を見ればこういう反応にもなるだろう。


 マテウスは特に誤解を解こうとはせずに、ありがとうございますと一言だけ伝えてカタログを返した。


「つまり、カタログモデルというのはこの本に写っている彼女達の事ですか。貴女は、それの代わりをウチの騎士団にさせようというのですか?」


「はい。赤鳳騎士団の方々は、アイリさんもそうですが凛々しく美しい方が多い印象でしたので……」


「えぇ~、そうかな? ふふっ、モデルかぁ……モデルデビューしちゃったら、モデルの友達が出来たりするのかなぁ?」


 照れ照れと頬を染めながらパンフレットを眺めるアイリーン。王女殿下というフィルターを介さず褒められれば、素直に受け止める事が出来るようだ。彼女なりのラインがあるのだろうから、これも同じリップサービスだぞ? とは、この嬉しそうな顔を見た後では、流石のマテウスも指摘しづらい。


「拘束時間はどうなりますか? あくまで彼女達は騎士団で、王女殿下の身辺警護が務めです。今はまだ時間に余裕がありますが、これから先は何か月もここを離れる場合だってあるでしょう」


「そもそも今の所、発刊の機会が年に数回なので……撮影もこちらから伺いますし、時間にしてもそちらの業務が差し支えないように最大限の配慮をする用意は出来ています」


「……分かりました。最終的な判断はあるじに仰ぎますので、また後日に。後は、そちらの装具の性能の程を確認させて貰えるという事でしたが……」


 ここでマテウスの口にする主とは勿論アイリーンの事であり、当の本人の様子は契約書に印を連打せんばかりに嬉々としている。それを見たマテウスは、正式な契約書を上げる前にこちらで確認を怠る事のないようにしないとな……と、静かに心に誓った。


「はい。マテウスさんのご要望通り、何点かの試作品を持ってきているので早速試して頂ければと。ただ、申し訳ないんですが女性用のサイズしか用意していないので、マテウスさんが使うには少し小さすぎますね」


「そうですか。では、誰かに手伝って貰わないといけないですね……」


 マテウスがそう口にしながらチラッと視線を運ぶと、体をウズウズとさせながら、瞳をキラキラと輝かせるアイリーンと視線が重なる。好奇心旺盛で助かる話だ。


「手伝ってくれるか? アイリ」


「えぇ、勿論」


「ありがとう。出来れば声は多い方が良いな。制服を作るというならサイズも測りたいし……レスリーとヴィヴィアナにも声を掛けるか。ではナンシーさん、アイリを連れて先に訓練所へ向かって貰えますか?」


「訓練所、ですか?」


「私が案内するから大丈夫よ。ナンシーさん」


 真っ先に席を立ったアイリーンはトタトタとマテウスに近づいて、彼の耳に口を寄せてから手をかざし、ヒソヒソと小声で話しかける。


「朝の事はこれで許してあげる。だから、その……マテウスも許してね?」


「気にするな。お気に召してくれたようで、良かったよ」


 ナンシーが持ち寄ったこの契約を、アイリーンはいたく気に入ったようだ。上機嫌な彼女による一方的な仲直り宣言に、苦笑いを浮かべながらマテウスも乗っかる事にした。頬に隠しきれぬ照れを浮かべながら後ずさり、マテウスから離れていくアイリーン。


 彼女はカタログを手に取りながら、ナンシーと肩を並べて応接室を出ていく。マテウスは書類をひとまとめにして片付けると、その後を追うように部屋を出て、まずはレスリーの元へと向かった。


 彼が、紅茶のお代わりを用意するのに随分時間が掛かっているようだが、厨房にいるのだろうと、適当に当たりを付けて向かったら、やはりそこにレスリーの姿があった。


 ティーセットを前にして微動だにしないレスリーの後ろ姿に少し疑問を抱きながら、背後から彼女に声をかけるマテウス。正気を取り戻したかのようにハッと顔を上げながら振り返ったレスリーの表情は、褐色の肌で分かり難いが少しだけ青ざめているようだった。


「大丈夫か? レスリー。まさか傷が痛むのか? もう大分塞がっていたと思うが……」


「い、いえっ、その……だ、大丈夫。大丈夫ですっ……あっ、あのっ、紅茶っ! 冷めてる……そのっ、すいませんっ、すいませんっ。すぐに淹れなおしてお持ちしますのでっ!」


「いや、紅茶はもういい。これから訓練所に移動して試作品の装具を試そうと思うんだが、君にも手を貸して貰いたい」


「装具? そのっ、レスリーが……ですか?」


「あぁ。これから先、君が使う事になるものだからな。君の声を聞きたい。それに装備を新調するとなると君の身体のサイズを計測する必要もある。手伝ってくれるな?」


「は、はいっ。レスリーにお任せくださいっ」


「ありがとう。俺はヴィヴィアナに声をかけてから向かうよ。それと傷の事だが……」


 マテウスがレスリーの顔に手を伸ばし、包帯に触れようとすると、彼女はそれに困ったような表情を浮かべて、身をすくませながら一歩下がる。


「おっと、すまない。無遠慮だったか。明日には抜糸が出来る。傷はそんなに目立たない筈だ。不幸中の幸いだな」


「あ、あの……はい。その、れ、レスリーはここを片付けて着替えてきますのでっ……そのっ」


「そうだな。では、また後で」


 マテウスがきびすを返して厨房の出口へと向かったのを確認すると、レスリーは手早くティーセット類を水に浸けて、足早に自室へと向かう。


 自室に入るとそのままベットに身を投げ出すように身体を預けて、気持ちの整理をしようと深呼吸した。そして、ベットの頭の正面。自室でも一番目立つ壁へハンガーで下げている一着の色鮮やかな服を見上げる。


『なにを仰る。お嬢さん。アンタのようなスタイルのいいお嬢さんにこそ相応しいですよ。この服は今年の流行の最先端でね? ヴァーミリオンっていう、女性専門の服飾中心のブランドから発売された……』


 涙を流したあの日以来、マテウスと買い出しに出掛ける時と、誰にも見られないように自室で数度だけしか袖を通していない、レスリーにとって特別な意味を持った大切な服。


 だが、それはマテウスにとってもそうなのだろうか? 本当に特別なのなら、ヴァ―ミリオンという単語を忘れる筈がない。特別に思っているのはレスリーだけで、マテウスにとってはなんの意味も持たない、ただの布きれでしかないのではないだろうか?


(3ヵ月近く毎日マテウス様をお傍で見ていれば分かる。あの人はレスリー達を特別扱いしたりしない。だからレスリーのこの肌もこの髪も許してくださる。でも、ただ1人、主であるアイリ様の事は……)


 悪い事を考え始めるとそれは連鎖していく。レスリーが応接室に入った瞬間、ギョッと顔を引きつらせたナンシーの反応。彼女もアイリーンまでも、レスリーが出した紅茶には手を付けようとしなかった。それらはレスリーがベルモスク混じりだったからではないだろうか? 


 ベルモスク人を不浄なモノとして扱う人間は多くいる。料理人によっては厨房に立ち入らせない者も多い。では、なぜレスリーが料理を覚えるに至ったのか。それはこの寮に入って間もなく、手持ち無沙汰ぶさただったレスリーに料理する機会をマテウスが与えたからだ。


 それまで、ドイル家時代に食材の下処理を押し付けられたり、厨房の外から調理の光景を眺めていただけの経験しか持たない彼女だったが、間もなくして手際のよい料理を披露した。


 レスリーに新たな才能を見出し、居場所を与えてくれるマテウスへの感謝を覚えたからこそ、今回のような出来事は居場所を奪われるようで胸が苦しかった。しかしそれは、本来ならば無用な心配だ。


 ナンシーの反応はともかくとして、彼女が少しでも冷静に考える事が出来れば、アイリーンが彼女の料理を朝食にしていた事を思い出せただろうに、それでもレスリーは冷静に自らを追い込んでいく。


 金色に輝く髪、白い肌、青い瞳、愛らしい性格、そして王女……レスリーにない全てを持ち合わせて、マテウスの横に並ぶに相応しい特別な女性、アイリーン。レスリーには手を伸ばす事も許されない、マテウスの隣という居場所。


 応接室に戻ってマテウス達の後ろに立つと、普段なら当たり前すぎて気にならない筈のそれを、まるで見せつけられているようでたまらなく嫌だった。彼女が応接室に戻らなかった理由だ。


(マテウス様……やはり、レスリーは強くなどなっていません。だから早く、早くレスリーを強くしてください。そしてきっと……きっと強くなったレスリーなら、こんなにもレスリーにとって特別なマテウス様の、特別にだってなれますよね?)


 上半身を起こしたレスリーは膝立ちになって、祈りを捧げるように特別な衣服に顔を寄せた。

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