最上たる誉れその2

 ―――数分後、バンステッド闘技場内、医務室前


「容態はどうだ?」


「あぁ……アンタか」


 マテウスは医務室に入る前の通路で、横たわった人を前にして石床に腰を落とすヴィヴィアナの姿を見つけて声をかけた。振り返って気の抜けた声で返事をするヴィヴィアナには、いつもの刺々しさがなかった。石床に毛布1枚だけを敷いて横たわるレスリーの方に意識が向いているのだろう。戦闘直後で疲労があるからかもしれない。


「医者は頭の方は心配ないだろうだってさ。念の為、目が覚めたらもう1度診断するとも言ってた。ただ……」


 そう言ってレスリーの左頬に視線を落とすヴィヴィアナ。マテウスも膝を落としてそれに習う。レスリーの顔はまるでミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされていた。しかも、少しでも顔を動かせば崩れるであろう、もろそうな巻き方でだ。


「顔から受け身も取れずに落ちていたが、そんなに酷い傷が……いや、それにしても下手だな、これは。もっとやりようが……」


「仕方ないでしょっ。その、包帯を巻くのっていつも他人に任せてたから」


「あぁ、これは君がやったのか」


「この傷は命に別状がないから後回しだってさ。この場所も、部屋にはこれから別の騎士が入ってくるかもしれないから……ベルモスクの女に使わせる場所はここにはないって言われて」


「ハッ……冗談キツイぜ」


 鼻で笑って医務室の中へと視線を向けるマテウス。マテウスがここへ来た時からずっと、中から言い争う声が聞こえていたのだが、その理由がようやく彼には理解出来た。


「それで、エステルが取り込み中なわけか」


「私もそうしたかったけど、その間レスリーの事を放って置けないし、言いたい事は全部エステルが言ってくれたしね。それに、考えてみればこっちの方がいいかなって」


「んっ……なんでだ?」


「こんな薄着で男ばっかりのあの部屋に寝かせておくよりは、こっちの方が安全でしょ」


「なるほど」


 ヴィヴィアナらしい解答に少しだけ毒気を抜かれたマテウスは、薄く笑みを浮かべた。その下でレスリーが息苦しそうに顔を身動みじろぎさせる。その動きだけで包帯が崩れた。マテウスが彼女の顔に手を伸ばそうとすると、ヴィヴィアナがそれを遮る。


「なにをする気?」


「部屋の件は後回しにするにしても、包帯もこのまま、とはいかんだろ」


「止めなよ。アンタに傷口見られるの、このは嫌がるでしょ。多分だけど」


「どうしてだ?」


「どうしてって……」


 マテウスからそう問い詰められると、ヴィヴィアナは聞こえるように舌打ちしながら視線を逸らす。彼は尋ねておきながらも、なんとなくヴィヴィアナがなにを言いたいかは理解していた。そして、その意見も一理あるのだろう。だが彼にとっては、それよりも優先すべきがあるだけだ。仕切りなおすように、マテウスは立ち上がった。


「新しい包帯と、薬を貰ってくる。戦闘で疲れただろう。君は控え室に戻って着替えてくるといい。そこからはフィオナに聞いてくれ」


「ちょっとっ、私の話を聞いてたの?」


「聞いた上でだ。一応、医者に俺からも頼んでみるが、それで駄目なら諦めてもらうしかない。レスリーをこのまま放っておく方が問題だ。違うか?」


「……まぁ、そうだね。でも、レスリーが目を覚ますまでくらい一緒にいさせてよ」


「それも着替えた後で出来るだろう? 君達の装備を、控え室から運んでもらう必要があるからな。エステルも後でよこすから、今のところは言う事を聞いてくれ」


 ヴィヴィアナは暫くの間、マテウスとレスリーの顔を見比べて考えていたが、苦々しい表情を浮かべながらようやく重い腰をあげる。レスリーが身に着けていた装備の殆どは、フィオナが運んでいたようなので、彼女自身の装備と、黒閃槍シュバルディウスだけを抱えて、だ。


「分かった。着替えたら、またすぐ戻ってくるから」


「あぁ、そうしてやるといい。それと今日の戦闘の事だが……」


「なに?」


 既に背中を向けていたヴィヴィアナは、マテウスを振り返りながら答えた。敵を睨むような鋭い眼差し、警戒したように強く握られた両手。その様子に気圧された訳ではないが、マテウスは言葉の続きをどうするか少しだけ迷った。


「いや、今日の所は止めておこう。怪我もなく、よく生還した」


 結局マテウスは誤魔化すような前置きをしてから、そう告げる。今はその問題に触れる時ではないと、考えたのだ。そんなマテウスに対して、ヴィヴィアナは暫くいぶかしげにしていたが、うん、と一言だけ返事を残すとこの場を足早に去っていった。


 医務室の中へと入ると興奮した様子のエステルが、初老に差しかかった巨漢の医者に掴みかからんとしていた。会話の内容を除いてはたから見れば、小さな子供が親にオネダリをしている光景のようだ。


 ただし子供の方は、背中に殲滅の蒼盾グラナシルトを背負って、頭から足に至るまで全身を装備で固めているのだが。


 殲滅の蒼盾に後ろ髪を乗せて揺らしながら、全身を使って正しい医者がどうあるべきか、レスリーがいかに大切な存在であるか等をエステルは力説し続けているようだが、医者には全く相手にされていない。マテウスは、そんな彼女の首根っこを引っ掴まえて宙吊りにする。


「むぅっ! 何者だっ!? 私は今、この御仁と大切な話がっ……ってマテウス卿ではないか? 何故、私の邪魔をする? 手を離せっ、このっ」


「おう、アンタがこの娘の保護者かい? 早くソイツを追い出してくれ。他の騎士様の迷惑になるし、仕事の邪魔だっ」


 医者にしては妙に体格のいい男は、マテウスを見ると、怒りと疲労が半々に混じった声で、悲鳴を上げるようにそう告げた。エステルに長時間纏わりつかれていたのだろう。マテウスもよく纏わりつかれるので分かるのだが、こういう時のエステルは、頑固で諦めを知らない。


「まぁ、そんな所だ。そして外で寝かされている女の保護者でもある。彼女も、そしてこのも、ここで寝ている怪我人同様の騎士様だ。この部屋で同じ治療を受けさせてやってはくれないか?」


「この娘に何度も言った事だが、それは出来ない相談だな。この部屋にはそんなスペースも人手もない」


「そうか? ベットは空いているようだし、人手に関しても……随分余裕がありそうじゃないか」


 マテウスが指摘するとおり、部屋には空席のベットが目立ったし、横になっている負傷者達も安静にしていれば問題なさそうな者ばかりだ。この騒動を物見遊として、楽しんでいる余裕すら伺えた。子供のようなエステルの挙動が、さぞ面白いのだろう。マテウスとて、出来ればそちら側に回りたいくらいだった。


「まだ他にも騎士様が担ぎこまれてくるかもしれないからな。大会が終わるまでは、ベルモスクの……しかも遊びでやっているような女騎士などにくベットも人手もない。頭だけは見てやったんだ。有り難く思えっ」


「なんだとっ!? 我々はいつだって真剣だっ! レスリー殿は騎士の務めを果たして、名誉の負傷を負ったのだ。ここにいる者達となんら変わらないっ……このっ、いい加減に離せっ、マテウス卿」


 疲労が癒えて怒りの方が増してきたのか、顔を真っ赤にしながら声を荒げる巨漢の医者。よく観察すると、捲くった袖から見える二の腕には傷が残っている元々、軍医かなにかなのだろう。


 そんな彼の聞き逃せない暴言に、マテウスに吊るされたままジタバタと暴れるエステル。その光景を見て、部屋には嘲笑ちょうしょうあふれた。


「分かった。だが、傷の手当はさせてくれ。化膿されると怖い。包帯と薬を貰っていいな? 後、部屋の外は気の毒だ。隅でいいからスペースを借りたい」


「……薬と包帯は、そこの棚の中だ。自分達でやるなら勝手にしろ」


「目が覚めたら、もう1度診察をしてくれる約束もしたと聞いたが?」


「それはする。ここを任された医者として最低限の務めは、果たしてやるさ。もういいなっ。俺は行くぞ」


 そう告げると医者は部屋の奥の方へと消えていった。それを見送ると、マテウスはまずエステルを吊るしたまま、部屋の外へと移動するのだった。

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