その名の宿命その4

「相変わらず躊躇も容赦もない判断をする点に関しては、褒めてやってもいい。返事すら交わす前に身内の急所を的確に狙う速さ……貴様はリネカーのなんたるかをよく心得ている」


 殺されかけたのは自分自身だというのに、オースティンは言葉の内容通り満足そうに口元を歪めた。しかし、その猛禽類のように鋭い獲物を見下ろす瞳は揺らぎもしないので、酷く不気味な表情が出来上がる。


「貴様は特別に俺との時間が長かったからな。可愛く愚かな妹よ、リネカーの心得を錆び付かせた、父上の教えでは得られぬ宝。磨くといい」


 リネカーの教育は、言ってしまえばこの世の地獄だ。一族によって才能が認められた幼い子供……血族、孤児、平民、果ては貴族まで。多岐に渡る選定に拒否権はない。選ばれた時点で地獄への入り口は開いているのだ。


 選ばれた子供達は、場所が一切明かされぬ修練場に連れられて、非人道的な投薬で身体を作り替えられ、数100人に1人生き残ればマシな地獄の教育を受ける事になる。オースティンとパメラの出会いはそこからであった。既に技術的に成熟し、偶にしか修練場に訪れなかったアドルフとでは、過ごした時間が確かに違う。そして時間以外にも、彼等には共有する秘密があった。


「その点だけを踏まえて、今日のところは生かしておいてやろう」


 押し付けられていた足の力が弱くなり、パメラは拘束から解放される。距離を置くオースティンを警戒するように見つめながら、石の柵を背にゆっくりと立ち上がるパメラ。手を伸ばせば触れ合うような距離で見つめ合いながら、互いの瞳の色は虚ろ。意味のある物を映す輝きを宿していない。


「その名を忘れるな。背負ったその日より俺達は人ではない。残された短い命、全てが名を示す為だけにある。殺せ。殺して殺して、殺しつくせ。限られた時の中で地上に死体を積み上ろ。もし、その名を貴様の血でけがすような事がまたあれば……可愛く愚かな妹よ。俺が手ずから汚れごと綺麗に葬り去ってやる」


「勿体無いお言葉。その時は此方から、お迎えに上がります」


 パメラが僅かの感情も乗せぬままそう返した時、オースティンは少し意表を着かれたように眉間に皺を寄せた。彼の記憶の中には、ただ短く一言、事務的に返事をする姿しかなかったからである。その事に少しだけ感情を浮かべたオースティンは鼻で小さく笑う。次の瞬間には、この場所から忽然こつぜんと姿を消した。


 1人残されたパメラだったが、彼女自身、口が滑るようにして出た一言に、表情を変えないまま驚いてた。完全に余計で皮肉な一言。それをよく使うであろう男にすぐに思い当たる。少しだけ腹が立ったが、それすら意識しているようで憎々しく、無理矢理感情を押し込める。


「パメラッ。もう、どうしてこんな所に1人で?」


 憮然とした表情で立ち竦んでいると、遠くから小走りに駆け寄ってくる人影が声をかけてくる。その勢いのままに飛び込んでくる彼女を回避する事も出来たが、パメラは迷わずに抱き止めた。


「アイリ様、少しお離れください。今の私に触れると、お召し物が汚れてしまいます」


「え? 本当だわ。少し汚れてる。もう、背中の方も汚れてるじゃない……手伝ってあげるわね」


 アイリーンはパメラの衣服が少し汚れているのに気付いて、クルリとパメラを中心に背中に回って、その汚れに気付く。同時に手を伸ばして汚れを払おうと動かすが……


「お止めになってください」


「大丈夫よ。私に……って、ひゃぃんっ!?」


 パメラがそれを許さなかった。振り返って彼女の伸ばした手は、吸い込まれたようにアイリーンの豊かで柔らかな乳房へ。ずっしりと重みのあるそれを下から持ち上げるようにして指をめり込ませると、アイリーンは顔を真っ赤にして声を上げながら後ろに飛びずさり、両手で胸を隠すように覆う。


「もう、なにをするのよっ! パメラッ!!」


「私が止めたのに、言う事を聞かないからです」


「それにしたって止め方ってモノがあるでしょうっ」


 パメラはその抗議を無視して、手の届く範囲で衣装の身だしなみを整え始める。そうしている内に、オースティンの攻撃で痺れていた両手の感触が戻ってくるのが分かった。まだブツブツと抗議を続けるアイリーンの、両腕から解放された乳房に右手を伸ばして、もう1度感触を確かめる。


「ふぇっ!! ちょっとっ、どうして胸ばっかりっ!」


「いえ。先程は感触が余り楽しめなかったので……今度はバッチリです」


「私の身体で遊ばないでよ~っ」


 無表情のまま親指を突き立てるパメラに、再び潰れるほどに両腕で自らの乳房を強く抱えながら、距離を離すアイリーン。真っ赤な顔を隠すように背けながら言葉を続けた。


「心配して探しに来たのにっ。急にいなくなって、ずっと帰ってこないんだもの」


「所用で席を外すとお伝えした筈ですが?」


「えっ? そうだったかしら?」


「ずっと観戦に集中なさってましたからね。そんな事より、アイリ様こそ護衛も着けずに1人で抜け出してきたのですか?」


 このパメラの反論に、今までずっと彼女を責めるように強気だったアイリーンの表情がバツの悪そうなモノへと変化する。


「あぁ……その。お花を摘みに行くって事で1人で……」


「……2度も誘拐されかけた身だという事に、自覚を持って頂きたいですね」


「うぅ……はい。反省します」


 完全に両肩を落としてしょぼくれてしまったアイリーンに対して、パメラは1つ溜め息を落とした。自らを探そうとするならば、衛士でも使って探させればいいのに……等と、色々言いたい事は他にもあったが、その姿を見ては言葉にする事が出来なかったからだ。


 それに、考えるより前に自らを探そうとするアイリーンの姿を想うと、彼女自身が知らない感情を抱くのに気付く。


「戻りましょう、アイリ様。このままだと貴女がバルド卿に、沢山溜め込んでトイレにいく女だと勘違いされてしまいます」


「もうっ、その余計な一言、必要? 確かになるべくなら避けたいけど、女性ならこれぐらい普通じゃないかしら?」


 アイリーンとの時間で何度となく抱くその知らない感情は、リネカーとして必要ないから知らないのだと、再び掻き消された。アイリーンに背を向けて先行して歩いていると、彼女の背後から駆け寄る気配。アイリーンの手がパメラの背中へと触れる。


「どうしました?」


「ほら、やっぱり背中。手が届いてないじゃない。動かないでね? 直してあげるから」


 アイリーンはそう告げると、石柵に押し付けられた時に付いた汚れを払い、皺を伸ばし、エプロンのフリルを手直しする。首だけで振り返ったパメラの瞳には、先程とは打って変わって楽しげな表情のアイリーンが映った。


「それにしても、ふふっ……さっきの余計な一言。マテウスみたいね」


 アイリーンがマテウスの名を呟いた時に、パメラの心に真っ先に浮かんだ感情。彼女はこの感情をよく知っていた。リネカーとして慣れ親しんだ、殺意である。パメラはアイリーンが背中から手を離すと同時に無言で歩き始める。


「ちょっとっ。待ってパメラ、歩くの速いよ。どうしたの? あれ? 貴女怒ってるの?」


「いいえ? 怒ってませんがなにか?」


「やっぱり怒ってる。貴女の顔を見れば分かるんだから。うーん……私、なにか悪い事したかしら?」


 足早に歩きながら、首を傾げるアイリーン。パメラは真っ直ぐに前を向いている。この場で一番余計な一言を呟いたのは彼女なのであるが、パメラがそれを指摘する事も、アイリーンがそれに気付く事も、絶対に起こりようがなかった。

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