その名の宿命その3
―――同時刻、バンステッド闘技場、外階段踊り場
「ここで、いいだろう」
バンステッド闘技場の外壁より張り出した外階段。その踊り場から眺める景色は壮観だ。4階建ての最上階に昇る為のこの場所であれば、昼間なら王都アンバルシアの美しい街並みを広く見渡す事が出来るし、夜間ならば月と星を見上げて心地よい夜風を浴びながら、語らう事も出来るような場所だ。
だが、今この場に立つ2人は、そのような風情を楽しむ為の感情など、持ち合わせていない。風に
「何故呼び出したか、分かっているな?」
「先月の敗北の件ですね」
先月、黒い
「リネカーはその名を晒せば相手は己の運命を知り、与えられる死を待つ。その名こそが畏怖であり、抑止。王家の無事を約束するものでなければならない。影から王家を守護する者として代々受け継がれ、守られてきたものだ……それをお前は自らの未熟で敗北という名の泥で汚した。釈明はあるか?」
現当主オースティンとパメラの間に血縁はない。だから互いの容姿が似よう筈もない。しかし、相手の急所を見定める為の冷たい視線、隙1つ見せない立ち振る舞い、いつでも必殺をくりだせる姿勢を維持する動き……それらを総合した雰囲気は互いそのものと称していい程に、よく似ていた。
「ありません」
「……本来であれば、リネカーの名を
アドルフは歴代のリネカー当主と比べて、大らかな人柄であった。リネカーらしくないと言えばいいのか……そんなアドルフの事を、オースティンは事あるごとに嫌悪するような発言を零していた。アドルフを殺し、実力で当主の座を奪い取った時に浮かんだオースティンの冷たい笑顔を、今もパメラは覚えている。
「リネカーは1人いればいい。性別、人種、国籍……いや、人でなくても構わない。このエウレシア王国で最も強い者、ただ1人が名乗ればそれでいいのだ。貴様等愚かな兄弟達はその理想を汚す。アドルフの残した負の遺産だ」
オースティンがゆっくりと右手を伸ばす。伸ばした先はパメラの首。殺気はないが、生きた心地もしない。そんな状況でも、パメラは動かなかった。正面に立った瞬間、どんな体勢であれ、どんな距離であれ、命の全権は相手に握られている。そんな圧倒的な実力差を前にして、抵抗の全てが無意味だからだ。野生の獣を相手するように、息を潜めてじっとしているより他ないのである。
オースティンの指先が、パメラの喉をゆっくりと横になぞっていく。その指先が頚動脈に触れた辺りで止まり、今度はそれをなぞって下へと滑り落ちていく。
「いずれ成し遂げるべき理想ではあるが……それは今ではない。だから、今は当主として貴様がリネカーの水準を満たしているかどうか、腕を確認してやろう。存分に打ち込んでこい」
オースティンがパメラの喉から指先を離す。それが合図となった。伸ばした腕が下がりきる前に、オースティンの腕に隠すようにして繰り出されたパメラの
パメラはすぐさま左腕を引くと共に、体を捻りながら
強烈な手応え。しかし、それとは裏腹にオースティンの顔色に反応はない。パメラは足を引いて、相手の
パメラはそれからも繰り返し急所を正確に打ち抜く一撃を何度も繰り返すが、その全てがオースティンの肉の装甲に弾かれてしまう。対峙した瞬間から微塵も揺るがぬ表情。全力で攻撃を繰り返し続けたパメラの方が、相手の圧に息が上がっている。
まるで
(いえ……まだ試せていない事はあります)
そんな状況でもパメラは冷静に、オースティンを見極めようとしていた。いくらオースティンが人外染みているとはいえ、人は人。急所への攻撃を逸らそうとするリアクションは、急所への攻撃が被害を与える見込みがあるという証拠だ。それに死出の銀糸の真の力は、糸状での鋭利な切断力だ。仮にそれが当たれば致命傷は避けられないだろうが、それの為に遠慮を必要とする相手ではない。
パメラは間合いを離そうと、バックステップをする。死出の銀糸が最も力を発揮する距離を取ろうとしたのだ。だが、オースティンにそれを拒否される。一瞬にして触れ合いそうな程の至近距離まで再び詰め寄られる。
ならばとパメラは、この距離で死出の銀糸を繰り出そうと右手を振るおうとするが、その初動をオースティンに見切られて打ち落とされてしまう。パメラにはこの距離で、オースティンの反応速度を上回る手段を持たない。だから強引に距離を広げようと、再び後ろへと飛び退く。今度はここ4階の踊り場から飛び降りる勢いでだ。
しかし、その目論見もオースティンには見破られた。飛び退いたパメラの襟首をオースティンの伸ばした右腕が掴む。片腕でだけで自らに引き寄せて、そのままパメラは石材の床へと叩きつけた。受け身を取ったパメラは、滑るように後ろへと転がりながら立ち上がろうとするが、彼女が顔すら上げる前にオースティンはそこにいた。
禍々しい殺気がパメラの首に狙いを定める。彼女がそれに気付いて両腕を交差させて
だが、パメラの力では反応は出来ても、防ぎ切る事までは出来なかった。崩れた体勢のままでは蹴りの威力を抑える事が出来ずに、そのまま押し切られて後頭部を石材の柵に打ち付ける。最終的にパメラは、腰を完全に落ろした姿勢で、自らの喉とオースティンの足裏との間に両腕を挟んだまま、石材の柵に串刺しにされて動きを抑え込まれてしまっていた。
「ここまでだな」
宣告のような一言。ギリギリとパメラの喉を押さえ付けるオースティンの足の力が増していく。彼女を見下ろす彼の眼差し冷淡で、表情には勝者の笑みすら浮かべていなかった。
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