罪業形成さずとも心蝕むその2

 マテウスはすぐに両手剣ツヴァイハンダーを左片手に持ち直し、黒閃槍シュバルディウスを右手に握って、ドミニクの左腹部を抉った。騎士鎧ナイトオブハート<パロミデス>の治癒機能が働いているからこそ、黒閃槍に貫かれいる間中、ドミニクの身体の中では再生と破壊が繰り返され、その苦痛が全身に駆け巡るのだ。彼女は両足から力が抜け、体勢を崩す。


 マテウスはそんなドミニクを右腕一本で黒閃槍ごと持ち上げて、再び地面に叩きつけると、仰向けになった彼女の腹部を抉りながら走り始める。モップを使ってゴミを押し出すようにドミニクを引きずり回して駆け抜けながら、黒閃槍の理力解放インゲージ。ドミニクの内で放たれた黒閃槍の黒い光は、彼女の臓器の事如くを破壊していった。


「ひぅっ……ひぅっ! あぁっ、あぁぁッ! クソッ、クソッ!」


 しかし、騎士鎧<パロミデス>はその破壊さえも再生してしまう。死よりも辛い地獄の苦しみにのた打ち回りながら、力なく右腕一本で両手剣を振るってマテウスに切りかかるドミニクだが、そんな弱々しい攻撃で<ランスロット>の理力の装甲を、貫ける筈もない。


 マテウスはドミニクの身体の内を何度も焼き尽くしながら、地面を引きずり回して移動し、家屋へと黒閃槍でドミニクの身体を串刺しにすると、両手剣を両手に持ち直して、渾身の一太刀でもってドミニクの右腕を騎士鎧ごとぶった切った。


 再び顔を上げたマテウスの首を狙って、2本の黒い触手が左右から同時に襲い掛かる。後ろに飛び退いてそれを寸前で回避したマテウスが見た光景は、異様であった。ドミニクの肩口からバッサリと斬り飛ばされた右腕が、時間を撒き戻したように中空から元の肩口付け根へと舞い戻り、何事もなかったかのように縫合しなおされたのだ。


 ドミニクは右腕で黒閃槍を左脇腹から引き抜くと、力なく膝から崩れ落ち、両手を地面へと着いて四つん這いになった。嘔吐のように大量に吐き出されるドス黒い血塊は、臓器が痛めつけられた証。マテウスはその光景を見て、騎士鎧の下で薄ら笑いを浮かべる。感嘆すべきは、騎士鎧の再生力と、それが代償にもたらす激痛に意識を手放さないドミニクの強い精神力。


「大したもんだ。騎士鎧の使い手としての資格は持ち合わせているようだ……いや、壊れているだけか?」


 訓練の結果とはいえ、人間がそれほどまで再生力に耐えられるなど正気の沙汰ではない。マテウスは僅かな賞賛を送りながら、低く笑い始めるドミニクの様子を眺めた。


「ふふっ、ハハッ……アハハハッ! はぁー、強い。パーパの言ってた通り……強くて、強くて……私なんかじゃとーてー及ばないのね? ショーグン」


「それが分かっているなら、そろそろ大人しくしたらどうだ? そうすれば俺も優しく出来る。紳士としても評判なんだぞ? 俺は」


「きーたことありませーんっ」


 立ち上がれるまでに回復したドミニク。だが、理力の大半を治癒機能で消耗した彼女には、これ以上の戦闘を続けるのは難しいだろう。両手剣の刃が理力の装甲を貫いて腕ごと斬り飛ばした事実が、それを物語っている。


 理力の消耗により、装甲の防御力が弱体化しているのだ。ドミニク自身その事を分かっているだろうに、それでも彼女は投降する様子はなかった。


(殺すのはアイリーンの無事を確認してからにしたいんだが……)


 両手剣を握りなおしながら、マテウスは警戒を強めた。まだなにか秘策があるのかもしれない。相手を圧倒しながらも、彼は自らを緊張下に置き続けていた。


 そんなマテウスの耳に馬の足音が届く。中央区の方角から多数。夜である事を考えれば、かなりの速度だ。これが敵の増援なら彼女の余裕も理解できるが、方角や馬の数から考えて、此方の増援である可能性の方が高いとマテウスは考える。


 現れたのはエウレシア王家の紋章を刻んだ、揃いの鎧姿をした衛士達。ゼノヴィアが寄越した増援で間違いあるまい。しかし、その先頭に立つ男は彼等とは一線を引いた姿をしていた。首周りにラフカラーをあしらい、派手な装飾をあしらったダブレットを着こなす典型的貴族のファッション。


 彼の容貌は、芸術家の手によって掘り出された彫刻のように、美しい目鼻立ちをしていた。スラリと伸ばした姿勢で馬上から相手を見下ろし、肩まで伸ばされた金色の直毛を撫で付ける様は、若き名君のような威厳すら感じさせる。


「双方動くな。ここはラーグ領が領主、リンデルマン侯爵家嫡子、バルド・リンデルマンが預かる。動けばゼノヴィア女王陛下の意志に逆らうものと知れっ」


 マテウスは驚きを隠せず、バルドの方角へと身体を向けた。ゼノヴィアがこの場に増援を送るとして、リンデルマンの長男にそれを任せるなど、そんな人選有り得るのか? そんな筈はない。では、これがリンデルマン侯からの横槍だったとして、なにが目的なのか? まさかこの場で事故に見せかけてアイリーンを殺そうと? ……いや、婚約が破棄された時点で、その行為に意味はなくなった筈だ。


 そうしたマテウスの驚愕と思考の隙を突いて、ドミニクが動き出す。マテウスは彼女の動きを追えずに、仕方なくこの場での最優先事項としてバルドの護衛に向かう。バルドに背を向けてドミニクを前に立ち塞がるような位置で足を止めるが、ドミニクが次に姿を現したのは壊れた馬車、無人の御者台の上だった。


「そこの貴様。私は動くなと言った筈だが?」


「申し訳ありません、バルド卿。私の名はマテウス・ルーベンス。ゼノヴィア女王陛下のめいに従い、あのぞくを追っておりました。御覧頂いた通り、賊は騎士鎧ナイトオブハートを纏っております。御身おんみをお守りせねばの一心での行動。なにとぞお許しください」


「ほう、これは失礼した。けいがマテウスきょうか。名前は聞いている。ジェロームを決闘で倒した手練てだれだそうだな? 卿を許そうマテウス卿。その代わり、力を貸してもらうぞ」


「……仰せのままに」


 どんなに心へ疑念を抱いていようとも、マテウスがバルドに表立って逆らう事は立場上出来ない。彼がなにを考えているか分からないが、アイリーンに害する事があるならば、この場で事故として始末する。目撃者も含めて皆殺しだ。マテウスは、バルドへの忠誠を誓うかのような返事をしながらそう心に決めて、次こそ目を離さぬようにと、ドミニクを見据える。


「ショーグン。こーこ。ここに貴方の大切なモノが寝ているの。そしてー……こーれ」


 ドミニクが右手に掲げる石は、形だけならば削りだした直後の理力石に似ていた。理力倉カートリッジや装具の材料になるそれだ。だが、水晶を思わせるような透き通った輝きを持つ理力石と違い、その石は酷く灰色がかった色をしており、例えるなら濁った泥が中をむしばんでいるような、そんな不安定な色をしていた。


 マテウスはそんな鉱石に見覚えはなかったが、直感的な不安と焦燥に駆られた。なんの根拠も論理性もなく、危険な香りを感じたのだ。マテウスはドミニクがそれを使用する前に飛び出したいという欲求を抱いたが、ここでも彼は己の感情を押さえ付ける。


 ドミニクが大切なモノが寝ていると指差した馬車客室にアイリーンがいる保証はなく、罠である可能性の方が遥かに高い。例えば、彼女が右手に掲げる石が、マテウスが知らない閃光石や追跡石に代表される、理力付与エンチャントが成された消耗系装具だとしたらどうだ? 


 反撃の糸口としてマテウスに使用してくる可能性もあったし、マテウスが彼女に近づいた隙を突いてバルドに向けて投擲とうてきしてくるかも知れない。それら全ての可能性が、マテウスをその場へと縛り付けていた。


「まーた余計な事考えてるんでしょー? なーんにも考えずにー、本能のまま斬りかかって来ればいいのにー……そんな時のショーグンの方が強かったって、パーパも言ってたよ?」


 そう告げたドミニクは右手に掲げていた黒い理力石を、アッサリと放り投げた。ただし方角は、マテウス達とは逆方向。彼女の後ろ、車輪を抜かれた馬車客室に繋がれたまま、そこから動く事も出来ずにいた馬達に向けてだ。


「なんだ? なにをした?」


 マテウスは思わず無意味な質問を投げかけていた。届くのは馬達の脅えたいななき。彼の角度からでは馬車客室の影と、夜の視野の悪さからハッキリは見えなかったが、1頭の馬が黒いドロドロとした粘液ねんえき状のモノ(例えるならスライムの様な生物)に飲まれていったように見えたのだ。


 馬の断末魔のようないななきが消えた瞬間、変化は起きた。馬車客室の向こう側に栗毛の山が現れたのだ。マテウスはそれが馬の肌なのだ気付くのに暫くの時間を要した。それ程までに急激な変化だったのだ。


 ベキベキメリメリと、肉と骨とがきしむような耳障りな音を辺りに響かせながら、栗毛の山は人の形を成していく。ただしそれは、両手足の先は大きなひづめ、血管を浮き上がらせた全身栗毛に覆われた肌、赤く充血しながらにして見開かれた瞳、そして馬の顔をした8mはあろうかという巨人を、人の形と呼ぶのだとすればの話である。


 マテウスが……いや、この世界の人間全てが、このような化け物の事を言葉で表そうとするならば、ただの一言で事足りるのだ。


「あ……異形アウターだっ!!」


 衛士の誰かがそう叫んだ。その誰かが示した通り、マテウスの目の前に現れた化け物は、カヴァテットと呼ばれる獣型ビーストタイプ異形であった。森林奥深くを生息圏にする異形であって、当然市街に姿を現した前例はない。


 そもそも、馬が異形に変化するなど、現実に目の当たりしてなお、マテウスを含めた全ての者が信じられなかった。それは彼等の文明の大前提をくつがえすような、悪夢のような光景だったからだ。


 その悪夢を引き起こした張本人であるドミニクが、踵を返してマテウス達に背を向ける。今、この場で騎士鎧の機動力に追いすがれるのは、同じく騎士鎧を纏ったマテウスしかいない。カヴァテットの懐の内に飛び込む事になろうとも、彼に選択の余地は無かった。


「この場を離れますっ!」


 バルドに断りを一言入れると同時にマテウスは動き出し、ドミニクの背に向けて強襲する。彼女はそれを振り向きざまに両手剣で打ち払って、カヴァテットの足下に身を隠すようにして、マテウスから距離を取った。


「ヴォォォォオオォォォォオオオォオォーーーーーーッッッ!!」


 巨大客船の汽笛よりも遠くへ響く、大気を震わせるような咆哮ほうこう。その突然の出来事にマテウスは耳に手を当てながらたじろいで、思わず上を見上げる。丁度その時に咆哮を終えたカヴァテットは、鼻を鳴らしながらマテウスより少し後ろ、馬車客室を見下ろしていた。血の気を帯びたカヴァテットの瞳が見据える先になにがあるのというのだ……彼は緊張を走らせながら、ゆっくり振り返る。


「あーもーっ! 騒がしいわねぇ。なにか……しら?」


 それは場違いに呑気な声だった。しかし、マテウスがこの夜の間ずっと探し求めていた声。馬車客室、大穴の開いた屋根から背筋を伸ばしながら顔を出したアイリーンは、目覚めと共に上を見上げて、カヴァテットの姿を目の当たりにし、それ以上の声を失った。

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