エピローグその2

「だから、もう1度エステルさんとお話しさせてください。この件に関しては、私に責任を取らせて欲しいんです……ダメ、ですか?」


 口元に指を当て、甘えた声を発しながら首を傾げて見せるロザリア。あざとさえ伺わせる彼女の仕草に、マテウスはただ男の扱いが上手そうだと心の中で評して、どうするべきかを自問した。


 マテウスはこの場で彼女の意見を、享楽きょうらくでしかないと批判する事も出来た。後先を考えずに感情的に行動するなどは、マテウスの中では忌避きひすべき事柄だからだ。エステルに、彼の考えを伝えるいい機会ではあった。


 だが、一方でエステルの行いに助けられた者がいる事も事実だ。それはロザリアがその最たる1人ではないか。エステルがヴィヴィアナと商会の間に割って入らなければ、ヴィヴィアナがロザリアの不在に気付くのはもっと遅かった筈だ。その頃には手遅れになっていた可能性が高い。


 そしてマテウスから見てロザリアは、それらの事を全て理解しているようだった。ならば、今はこの件の最初からエステルの傍にいた彼女に任せてみるものいいかも知れない。マテウスはそう考える。


「わかった。だが、エステルにはもう1度直接どう考えたかを聞かせて貰いたい。そう伝えておいてくれないか?」


「はい。それにしても言葉使いがお堅いですね。私の方が年下なのですから、親しみを込めてローザと呼んでくださってもいいんですよ?」


「そう呼ぶかどうかは置いておいて、もう少し砕けてもいいと言うのなら、甘えさせて貰うよ」


「ふふっ。そういったお話は、エステルさんとお話した後にでも、ゆっくり2人だけの時間を取ってから……ですね? では、失礼します」


 子供のような無邪気な受け答えとは一転して、スカートの両端を摘み軽く膝を折りながら、交差させてする嬋媛せんえんたる一礼。歩く姿は艶麗えんれいとした上で、瀟洒しょうしゃ。扉を閉めて姿を消すまでの全ての仕草が、人目を捕らえて離さぬ窈窕ようちょうさを放っていた。


 息を吸って吐くような当然としての、にじみ出る気品。どういう事情であれ、ロザリアが貧民街で生まれ育った訳ではない事ぐらい、礼儀作法に疎いマテウスにも分かる。


 しかし、ヴィヴィアナと言えばどうだろうか? マテウスがちらりと視線を送れば、彼女はなにが気に入らないのか、その目力のある瞳を鋭く吊り上げてマテウスを睨みすえていた。


「……なに?」


 その言動は不躾ぶしつけで無遠慮。すぐに両脇のナイフに手を添える辺り、蛮骨ばんこつとまでは評さずとも、無骨であると言わざるを得ない。マテウスは彼女が貧民街で生まれ育ったと聞いても、そうだろうと、頷いてしまう自身を想像出来た。


「まさか、もう1度君に会う事になるとはな。覚えてるか?」


「アンタの顔は正直忘れてたけど、そっちのはよく覚えてるよ。レスリーだっけ? 娘って訳じゃなかったんだ」


「あ、あの……その節は大変お世話にな、なりました」


「お世話って……なんかしたっけ? お世話して貰ったような気がするけど」


 こうしてレスリーと話している時のヴィヴィアナは、穏やかで凛然りんぜんとしている。言葉使いこそ乱暴だが、姉のロザリアより余程落ち着いて大人びた雰囲気になった。


「それで、エステルから聞いたが、入隊希望なのか?」


「あれはあの娘が勝手に言ってるだけでしょ? 姉さんがなにを考えてるか分からないけど、私は王女様を守る為に闘うなんて……ガラじゃないよ」


 しかし、マテウスと対話する時の彼女は、急に雰囲気が刺々しくなる。マテウスがヴィヴィアナになにかした記憶はないので、彼女自身が言っていた男嫌いというのが理由の一端だろう。やりにくいな、というのがマテウスが彼女に対して抱いた最初の感想だった。


「余り気乗りしないのなら無理強いはしないがな。ここなら君達姉妹の部屋はそれぞれ用意出来る。そんなに立派な場所じゃないが、貧民街よりはマシな筈だ」


「……姉さんの部屋も用意してくれるの?」


「あぁ。それに、試用期間中からの給金も約束出来る。商会の目を盗んであの商売を続けるのも限界が来てただろう? 君の姉さんにとっても、今日のような危険が少なくなる、いい話の筈だ」


「悪い話じゃないけど……姉さんに手を出したりとか、なんか悪い事考えてそう」


「どうしてそんな話になる」


「アンタが男だから。男って皆そう。そういう事しか考えてない」


「マッ、マテウス様はそんな事ばっかり、考えたりはしてませんっ!」


 懐疑的かいぎてきさげすむような視線をマテウスへと送りながら鼻で笑うヴィヴィアナに、強く反発したのはレスリーだった。反発した直後に、しゅるしゅるとしぼんでしまったが。


「庇ってくれるのはありがたいが、君にこの内容で庇われるのは、なんか釈然しゃくぜんとしないな」


「そ、そんなぁー。レスリーではダメですか? マテウス様。そ、それに、レスリーは……その、ヴィヴィアナ様と一緒に、一緒に仕事が出来たら、嬉しいです」


「なんでそんな……後、ヴィヴィアナ様は止めてよ。なんかくすぐったいし。ヴィヴィでいいから」


「では、ヴィヴィ様とお呼びしますね?」


「いや、しますね? とか違くて」


「なんでと言われれば……俺達は君に少し借りがあってな。それはこちらで終わった事だ。余り気にしないでくれ。それにこれは下心ではないが、君の姉さんについても気になる事もある。彼女は貴族の出じゃないのか? 実の姉妹なら君もそうなるが……君ならなにか知ってるんだろう?」


 元々マテウスに対して刺々しい態度のヴィヴィアナであったが、マテウスが出自の話を持ち出すと、更に攻撃的な色合いを瞳に宿した。


「家の事を持ち出すなら、この話は絶対になしだよ」


「そうツンケンしてくれるなよ。家を明かしたくないのなら、それでもいい。宮仕えだから、商会に登録しなくてもいいんだし、給金もそれなりだ。ただ俺は、もし良かったら君の姉さんも一緒に雇いたいと思っただけだ」


「姉さんを? 姉さんに騎士になれって言うの?」


 ヴィヴィアナの質問をマテウスはすぐに首を左右に振って否定した。ならどういう事だ? と、無言で見詰める事によって先を促すヴィヴィアナに、刺激を出来るだけ与えずにどう切り出すべきかを、一呼吸置いてマテウスは考えた。


 マテウスがヴィヴィアナにその内容を説明している頃、ロザリアは兵舎の外にいた。外は完全に日が落ちていて、夕焼け空は星空へと変わり、太陽の代わりに月が登っていた。昼間の温かさを残す地面を薙いだ風は肌に心地よく、ロザリアのふんわりとしたミドルボブの髪を揺らして通り過ぎていく。


 ロザリアはこの兵舎に詳しくなかったので、エステルが何処に行ったかを検討を付けられずにいた。マテウスに聞いておけば良かったと、一瞬後悔しかけたが、すぐにその心配は無用なモノへと変わった。


 エステルは訓練所の広場にいた。見上げれば月が近くに、星空は広く感じられる素敵な場所だとロザリアは思ったが、エステルはそんな空に見向きもせずに、黙々と剣を振っていた。


 それは素振りというよりは、基本の型を確認するための練習だ。エステルにとって、幼少の頃から繰り返しやってきたそれは、考えるまでもなく出来て、自分が平静であるかどうかを確認できる。そんな心を落ち着かせる為に一番便利な方法だった。


「こんばんは、エステルさん。こんな時間なのに明るい、綺麗な夜ですね」


「ロザリア殿か」


 剣を納めながら振り返るエステルの表情は、ロザリアが想像するよりずっと穏やかだった。彼女はエステルがもう少し、消沈、あるいは陰鬱いんうつとして考えあぐねている様子を想像していたのだが、いっそ晴れやかともいえるエステルの表情が意外で、その驚きを隠せなかった。


「むっ、なんだ? 私の顔になにか付いているか?」


「いえ。少し驚いてしまって。こう言ってはなんですけど……もう少し落ち込んでいるモノと思ってました」


「そうか。言葉をかけに来てくれたのか。気を使わせてすまないな」


「ですがその様子だと、余計なお世話だったかもしれませんね」


 エステルは剣を振るのを止めた。それを鞘へと納めて深い呼吸で息を整える。その全ての所作が、彼女の平常通りである事をロザリアは知らなかったが、少なくともその自然な動作の中に、負の感情を抱いているようには見えなかった。


「落ち込んでないといえば嘘になるな。突然、無知で愚かな自分と向き合わされた気分だ」


 清々しく恥ずかしそうに、はにかむエステル。空を見上げてその光景にロザリア同様、綺麗な夜だと感想をこぼす。言葉の内容と一致しない表情にロザリアの疑問は増すばかりだ。


「では、どうしてそんな表情を浮かべているんですか?」


「こういう経験は、1度や2度ではないからな。私はこんな性格だから、色んな場面で、無知であり、愚かな自分を自覚させられ続けてきたよ。その度に反省ばかりでな。2度と同じ過ちを犯さぬように、先程のように剣を振って身体に覚えさせるのだ」


 エステルの言葉を聞いて、ロザリアは容易に想像できた。確かにエステルのような性格は、さぞ生き辛いであろう。しかも彼女は、このあなどられ易い小さな背丈と容姿だ。トラブルの数を数えれば両手の指を何周もする事になるだろう。


「だがな、1度たりとて後悔した事はないんだ。今回の件も私なりに何度も問い質してみた。ロザリア殿とマテウス卿の教え。その2つを踏まえて、剣を振る度に1度。己の正義に反しているかどうかを問い質すのだ」


「それで、答えが出たのですか?」


「あぁ。今回もやはり変わらなかった。あの時、あの場面、今の私が立っていたとして……やはり私はヴィヴィ殿も奴隷達も、どうにかして助けようとしていたよ。やり方はもう少し考えなおすべきではあったがな」


「つまり自分に間違いはなかったという事ですか? だから、後悔はないと?」


「いや、間違いはあった。だが間違いながらも、私は己の正義を貫き通せた。騎士としての生き方を貫き通せた。無知で愚かな自分が出来る、精一杯を正しく守れた結果に間違えたのなら、反省はしても後悔する必要はない」


「ではもし……私の正義とエステルさんの正義が相反した時、エステルさんはどうするおつもりですか? その剣で、非力な私を悪だと切り捨てて、己の正義を貫くのですか?」


 ロザリアのそれは極論ではあったが、エステルの危うさをよく理解した上での質問だった。非力なロザリアとて、貫きたい正義はある。今回はエステルと同調した。だから協力できた。しかしそれが相反してしまった時、彼女はどうするつもりなのだろうか? そして、エステルの回答は明瞭で、ロザリアが懸念した通りであった。


「正々堂々死力を尽くして、決闘をする。死力を尽くしての決闘であれば、結果はどうあれ遺恨は残らないだろう?」


 結局のところ、エステルは性根から騎士なのだ。だから闘う事が出来ない者の気持ちを理解出来ない。貫き通したいモノがあるのなら、己の力でなんとかすべきという、個人主義。その思想が、ひるがえせば力こそ全てという思想に至るというのにもかかわらず、だ。


(それでは、己の都合で弱い者に奴隷を強いる商会と、なにも変わらないでありませんか)


 そう問い質すことも出来ただろう。だが、ロザリアはそれをしなかった。エステルの騎士という生き方、強い信念をそれで曲げる事が出来るとは思わなかったからだ。


 エステルと商会に違う所があるとすれば、ひとつ。彼女には反省する事が出来た。知識を取り入れ、間違いを正そうとする事が出来た。それは、ロザリアに彼女の生き方と強い信念を曲げる事が出来ずとも、彼女自身が生き方と強い信念を修正し、正しくあろうと進める事を表していた。


「エステルさん、貴女の考えは大変よく分かりました。しかし、これだけは年長者からの忠告として聞き届けて欲しい。この世で最も危険な思想は悪ではなく、正義です。特に貴女が抱くような強い正義は、暴走もしやすい。例えるなら、今回の件のように……」


「だが、そうだとしても私は……」


「はい、私もエステルさんにはそのままでいて欲しいです。自らの正義を信じて突き進む。大変結構だと思います……ですが、同時に問い掛けるのを忘れないで欲しいんです。本当にこの正義は正しいのかどうか、という事を」


「自らを信じながら、それでも問い掛け続けろとは。ロザリア殿は難しい事を言うな」


「騎士の道のりは険しく、厳しいのだ……ですよね? エステルさん」


「むっ、それは私の言葉だったな。そうだともっ。真の騎士を目指すならば、それぐらいは乗り越え続けて見せねばっ!」


 この世で最も残酷な悪も、誰もが願う公正な正義も、成し遂げる為の原動力は、強い信念だ。ボタンを1つ掛け違うだけで、どちらにも転んでしまう。そしてエステルは、そのどちらにもなり得る危うい存在だと、ロザリアは感じていた。


 輝くような笑顔を返すエステルを、ロザリアは月夜の下でありながら、眩しいモノを見るように目を細めて顔を緩ませる。その笑顔以上の輝きを放つ真っ直ぐで直向ひたむきな彼女の正義が、誰もを魅せて離さなくなる程に大きく成長した時、エステルはどんな騎士になっているのだろうか?


 自らもまだ誰にも口にしていない、聞かれれば嘲笑ちょうしょうされてしまいそうな夢を抱いているロザリアにとって、彼女以上に身の丈に合わないこころざしを抱くエステルの行く末がどうなるのか……見守ってみたいと思うのは当然の流れだった。


 そしてその小さな願いが現実のモノとなる為の話し合いが、兵舎内で行われている事を、彼女達は知る由もなかった。

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