誓いの啼泣その2

 レスリーが目を奪われたその衣服は、マネキンに着せられていた。この整理されているとは呼び難い程、至る所に生地や古着が並べられている店内において、そのスペースコストを無視したマネキンは、その甲斐があってか、やはり一際目立っていた。


 レスリーが先程まで試着していた、くすみがかった単色の耐久性だけが取り得の衣類とは、全てが違うという事が彼女にも一目で理解出来た。色彩鮮やかな配色、彼女が見た事も無いほど手の込んだ刺繍ししゅう、心が弾んでしまいそうなフリル、そんなブラウスに劣る所の見当たらない、揃いの膝上丈のスカート……誰がこんな素敵な服を着るのだろうかと、彼女は自然と手でなぞってしまう。


(アイリ様は絶対似合いそうだな。エステル様だって、サイズさえ仕立てればきっと……パメラ様はこういうの、嫌がるのかしら?)


 同時にレスリーは、自分が手にした上等だと思っていた服が、急に自分にお似合いな気がして、少し肩の荷が下りた思いがした。いやそれでも、手にしたこの服ですら、やはり自分には分不相応ぶんふそうおうだと、頭を振るう。


「おぉっ? おやおや? お嬢さんはお目が高い。その服に興味がおありで?」


「ひゃっ!? そ、その。すいません、すいませんっ! なんでもないんですっ。レスリーなんかが触ってしまったら、売り物になりませんよねっ? でも、弁償するようなお金はレスリーにはないので、ないのでっ、せめてこのお詫びは身……」


 そこまで言いかけたレスリーの頭をマテウスが無言で叩く。店主はなにが起こったのか分からずに戸惑っていたが、マテウスからすれば初対面の相手にレスリーのアレな妄想を垂れ流すのは、害悪だったので仕方ない処置だった。


「それで、気に入ったのか? その服」


「い、いえ……そんな、その、綺麗っというか……レスリーにはきっと似合わない、っというか」


「なにを仰る。お嬢さん。アンタのようなスタイルのいいお嬢さんにこそ相応しいですよ。この服は今年の流行の最先端でね? ヴァーミリオンっという、女性専門の服飾中心のブランドから発売された……」


「それで、試着してもいいのか?」


「へっ? えぇえぇ。お嬢さんのサイズなら丁度いい筈ですし、どうぞどうぞ」


 店主の話が長くなりそうなので、マテウスが遮って質問したら、店主は上機嫌でレスリーに衣服を差し出した。そんな衣服を恐る恐る受け取って、もう1度泣きそうな瞳でマテウスを見上げる。しかし、そんな彼女に対しても、マテウスは更衣室を顎で指し示すだけで、特に声を掛けようとはしなかった。


 マテウス様がそう仰るなら……レスリーの合言葉になりつつあるそれを胸中に抱きながら、更衣室の中に再び姿を消す。彼女は着替える最中、大変な緊張を覚えていた。着替えにこのような緊張を覚えるのは、親衛隊騎士の入隊試験当日に着た、姉が着なくなったというお下がりのドレスに袖を通した日以来だった。


 まぁ入隊試験内容が訓練所内をマテウスがいいと言うまで走れという内容だったので、その日の内に邪魔になったスカート部分を切り裂く羽目になったのは、必要な事とはいえ少し悲しかった事を思い出したら、少しは緊張が和らいだ。


(少し試着するだけ……なにを期待しているんでしょうね、レスリーは)


 自分が欲しいと思う物は手に入らない。否、欲しいと思う事すら分不相応。もう1度そういましめなおして、試着を終えた姿を店主とマテウスに見せる。


「おー……お似合いですよ、お嬢さん。サイズもぴったりだ。ねっ? どうでしょう? 購入していただけますかね? というか、試着したんならやはり買って貰わないと困りますしねぇ……ほら? ねっ?」


 この頃になるとレスリーも流石に気付く。店主が彼女の肌の事を指摘しないのは、服を売りつけたい為だ。だから見て見ぬ振りをしたまま、お世辞を並べる。そして言葉にはしないものの、ベルモスク人が着た服が商品にならない事を、暗に示しているの事ぐらい、彼女にもよく伝わった。


 レスリーは、自身がこういう扱いを受ける事には慣れていたので、申し訳なさと同時に安心さえ覚えた。では、マテウスはどうだろう? と、彼女は彼の方を見上げる。彼女にとって得体の知れない存在である、マテウスがどんな反応を示すのか、想像出来なかったのだ。


 レスリーの視線の先でマテウスは、そんな彼女を見詰めて、満足そうに大きく頷いていた。その反応に、レスリーは今自分がどんな表情を浮かべているのか、分からなくなる。


「いいんじゃないか? 君の好みにもあうのなら、この服も買おう」


「えっ、やっ? その……レスリーには勿体無いです、こんな品っ! そ、その、マテウス様……」


「これは、君のドレスを処分した謝罪みたいなものだ。受け取ってくれ」


「で、ですが、あれはレスリーが勝手に自分でドレスを切り裂いて、レスリーがマテウス様に、しょ、処分をお願いした品なので、マテウス様の責任ではっ、ないです」


「そうなってしまった試験を課したのは、俺の責任だ。理由としては辻褄つじつまが合っているだろう? そしてレスリー、それは君が今日初めて自分で選んだ物でもある。大切にするといい」


 マテウスの言葉にレスリーは返す言葉を失う。マテウスがそう言うなら、レスリーにはそうするより他に選択肢がない。そして同時に、身体が不気味な恐怖に震えた。彼女には店主の時とは違い、マテウスがなにを考えているのか、全く伝わらなかったからだ。


 何故彼はこんなにも自身に良くしてくれるのだろう? 店主のような分かり易い理由、分かり易い反応であれば納得も出来るが、レスリーには、マテウスにそんな理由があるようには思えなかった。


 自身が親衛隊騎士になるに向けて、こんな上等な服が必要だとも思えなかったし、そもそも今日の買い物自体が必要だとも思えなかった。


 総じて、レスリーにとってマテウスは、どうしても得体の知れない存在でしかなく……そんな得体の知れない存在から、意図も分からずに与えられる服は、あれ程に魅入られていたにも関わらず、今すぐ脱ぎ捨てたいくらいに、着心地が悪かった。


「では、お値段はセグナム銀貨2枚とタークス大銅貨4枚になります」


「高いな。タークス大銅貨8枚がせいぜいだろ」


「そんな殺生な……ひやかしならよそでやってくれないですか? そこの新着の服1枚でセグナム銀貨1枚と半はするんですぜ?」


「知っている。だが、店主。アンタには彼女のドレスで、いい取引をしてやったよな?」


 その言葉にレスリーが、俯かせていた顔を上げる。破れたドレスの処分をマテウスに任せていたレスリーだったが、この店に売りつけたという事実は、彼女にとって初耳だった。


「あぁ……確かにあれはこっちが助けて貰いましたが、それはそれでして……」


「破れていたとはいえ、あの上等な生地。持っていく所を選べば、セグナム銀貨2枚はくだらない。交渉次第では、それ以上もあったかもしれんな。それを俺はセグナム銀貨1枚で譲ってやった。これはしかるべき礼があってもいいよな?」


「へ……へい。ですが……」


「俺は親衛隊騎士の教官をしていてな? 彼女はこう見えて貴族の子女だ。他にも貴族との知己ちきは多い。仲良くしておいた方がいいと思うが……」


「わかった、わかった。わかりましたよ。負けました……セグナム銀貨1枚でどうでしょう?」


「タークス大銅貨9枚」


「……タークス大銅貨13枚でお願いしますよっ」


「タークス大銅貨10枚」


「ぐっ……ぐぬぬ。わ、わかりました。そ、それでお願いしますわぁ……」


 店主は苦渋を飲むような顔で、半分泣きそうな声を上げていた。チラリとレスリーがマテウスの顔を確認すると、彼は満足そうに頷いていただけだ。やはり、この人はなんだか怖い……レスリーは改めてそう思った。


 呉服屋を出て次に2人が向かった先は靴屋だ。目的はレスリーの訓練用の靴の購入である。2人で再び人混みの中を歩く間、いつも視線を敏感に感じていた彼女は、ある事に気付く。余り自身に視線が浴びせられないのだ。


 特に午前と比べると、違いは歴然としていた。どうしてだろう? と、彼女はいぶかしんで、思わずマテウスに内心を吐露とろして尋ねたら……


「当たり前だ。だから俺は女使用人メイド服なんぞ着てくれるなって言ってるんだよ」


 そんな答えが返ってきた。でも、少しの視線が残っているのは、やはり自分の肌の色と髪の色の所為だろう。レスリーは注目を浴びて、マテウスの足を引っ張ってる事に深く詫びたい気持ちになった。


 レスリーのそんな様子に気付いたマテウスに問いかけられて、彼女は再びその内心を素直に吐露して平謝りを繰り返すが……


「それは違うんじゃないか? 男の視線が集まっているだけだよ、君に。まぁ気にするな」


 その時のマテウスの返答がこれだった。繰り返すようになるが、レスリーはとても可愛らしい少女だった。その慎ましやかながらも、ハッキリと女を主張する胸の膨らみや、艶とハリに恵まれた瑞々しい素肌。そしてなによりも、まつ毛やアイラインを弄らずともパッチリと開かれた大きな黒い瞳と、一目にして分かる程に高い腰の位置からスラリと伸びた細足とツンと張り出したヒップは、時折、女性の羨望すら浴びる程だった。


 しかし、自身でその魅力を自覚出来ないレスリーには、マテウスの言葉の意味が、全く理解出来ていなかった。


 そんな会話をした後で入った靴屋でも、マテウスはレスリーに靴を選ばせようとした。やはり自らの理由で選べないレスリーに、マテウスは動きやすい物を選ぶように、と助け舟を出してやる。


 そうする事でレスリーは、ようやく一足だけ選ぶ事が出来た。呉服屋の時よりも幾らかはマシになった、とマテウスは結果に満足していたが、レスリーはマテウスが理解出来ず、その不気味さに困惑と恐怖が増すばかりであった。


「食事にする。暫く歩く事になるが、いいよな?」


「あっ、はい。マテウス様のお好きなように……」


 レスリーならそう言うだろうなと、マテウスは思っていたので、それ以上はなにも語らずに、自身が元々目を付けていた食事処へと歩き始める。


 呉服屋や靴屋でもそうだったのだが、この街でベルモスク人が店を利用しようとすると、まずは入店可能な店を探す必要に迫られる。特に食事処はベルモスク入店お断りという看板を掲げている所が多く、ここから少し離れた場所を選ぶ必要があったのだ。


 しかし、レスリーに衣服を買い与えると約束した時から、その日の為に入店可能な店を事前に調べていたマテウスは、スムーズにその店に辿り着く。そこは、市場のストリートに半分ほど面した、テラス式の場所だった。


 暫く歩いていた結果、食事処は丁度、最盛期ピークタイムから遊休時間アイドルタイムへと移ったようで、利用している人は少なく、席は選び放題だったが、レスリーが選ぼうとしないので、マテウスはあえて人通りに面した場所を選んだ。


 レスリーは表情筋を固めながら何度もマテウスを見上げたが、選ぼうとしない彼女の自業自得だと、マテウスは冷たい態度で食事の注文を始める。マテウスが店員に聞くところによると、ここの店はリゾットが有名らしかったので、彼はそれを注文したのだが、それを見るとレスリーはすかさず、マテウス様と同じ物を……そう告げて、自身の注文をすませた。


 マテウスはそれを見て、苦笑いを浮かべるより他がなかった。ストリートからの視線に、オドオドと何度も顔を伏せる姿に対しても、それは同様だった。


「さて、レスリー。呉服屋でのやりとりを覚えているか?」


「へっ? は、はい。やりとり……と、申しますと?」


 マテウスが口を開いたのは、注文したリゾットが2人の前に並べられて、黙々と食事を進めていた時の事だった。


 屋根の補修工事をしている時と同様に、レスリーはマテウスが話しかけない限りは滅多に話しかけようとしないし(彼女にとってマテウスは恐怖の対象なので)、マテウスも必要最低限の会話しかしない。


 この不文律は食事時でも変わらないと思われたが、珍しくマテウスの方からレスリーへと話しかけた。いや、これはマテウスにとって必要な会話なのだから、その不文律が揺らいだ訳ではないのだが。


「俺と店主のやり取りだよ。まず前提だが……君はセグナム銀貨とタークス大銅貨との価値の違いは分かるか?」


「えっ? えーと、その……実は、その……硬貨もよく覚えてなくて……その、すいません、すいませんっ!」


「別に謝らなくていい。それを確認したくて聞いただけだ。これがセグナム銀貨、これがタークス大銅貨だな。どちらもエウレシア王国で1番流通が盛んな銀貨と大銅貨だ。覚えておくといい」


 テーブルの上にセグナム銀貨とタークス銅貨を1枚ずつ並べる。その硬貨達を、レスリーが興味深げに眺めるのを見ながら、マテウスは一口分のリゾットを口に運んだ。そして、咀嚼そしゃくを終えてから再び口を開く。


「そして、現在の相場だとセグナム銀貨1枚の価値は、タークス大銅貨15枚に相当する。ここまでは、分かるか?」


「は、はい……その、つまり、このセグナム銀貨をマテウス様から買い取ろうとする場合、レスリーはタークス大銅貨15枚と、マテウス様の前で空気を吸う御迷惑をお掛けする代金として、もう1枚追加すれば宜しいのですね?」


「なんでそうなるんだよ。そんな商売はしねーよ。まぁ両替に手数料が発生するっていう発想はあながち間違ってないんだが……」


 マテウスは、レスリーのいつもの自虐が思わぬ方向で的を射ていたので、どう説明を繋げようかときゅうしていると、キョトンとした表情で小首を傾げているレスリーと視線が合う。どうやら、話の先が気になる様子だ。


「まぁいい。さてと……俺はさっきの呉服屋で、セグナム銀貨2枚とタークス大銅貨4枚の品を、タークス大銅貨10枚に値引きさせた。幾ら値引きさせたか分かるか?」


「ええっ? えぇーっと……タークス大銅貨が、その……」


 暫くの間、レスリーは中空を仰ぎながら、両手を動かして計算を続けている。その様子にいつもの視線を気にする仕草や、オドオドとした態度はない。集中しているのだろう。やがて静かになっていくその姿が少し微笑ましくて、マテウスはずっと眺めていた。


 だが、流石に算術の基礎も出来ていない彼女に少し難易度が高かったか……と、思い直してせめてヒントでも出してやろうかとした時である。


「タークス大銅貨にして24枚……でしょうか?」


 今度はマテウスが静かになる番だった。

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