第64話/裏 間違い。


「病院の屋上。私の記憶に最も強くある屋上なら、そうなる筈でした。病院の屋上、先生と出会った病院の、私が、飛び降りた屋上」

「どうだろ、もっと良く調べた方が良いんじゃないかな?」

「高いですよね。あの病院、何階建てだったか知ってますか?」

「どうだろ、こっちに来て、教えてくれないかな?」

「うふふ。甘い言葉ですね、でもすみません、今は余裕がないのです。

 五階建てでした。そして、恐らくここも。……ねぇ、先生。こんな高いところから飛び降りて、?」

「何か、クッションに、なった」

?」

「……さあ?」

「うふふ。なら、こう言い換えましょう。? ?」

「…………」

「偶然でしょうか? たまたま私は飛び降り自殺をして、クッションがあって助かり。たまたま居合わせた貴方から輸血を受けた? 何て素敵な偶然、あまりに運命的で、すがりたくなります」

「良いとも。君のような子供一人、すがられたら抱えられるさ」

「でしょうね、けれど、違います。そんな偶然はあり得ない。

 ……、先生。

 貴方には、貴方にだけは、私が死んだと知って欲しかった。だから貴方に、弱い私は自殺を告げたのです」


 僕は、ため息を吐いた。

 覚えている。

 ここに来て、所長の罠に気が付いたときに漸く思い出した。


 これは、彼方ちゃんを生かすための手術で。

 


「貴方は、予想通り。いえ、予想よりも遥かに早く駆け付けて下さいました。そして――私は何も知らずに飛び降りた。ねぇ、先生? 何がクッションとなったのですか? 私は、?」


 僕は。


「……そうですか、先生。やはり、そうなのですね……」

「……彼方ちゃん、良いんだ。こうなるのが僕の運命だったんだ。僕は、こうなることを選んだんだよ。だから」

「それはいけません。先生、私は諦めたのです。世界を諦めた、そして、それから直ぐに、世界が良くなるだなんて思っていません」

「彼方ちゃん……」

「きっと直ぐ、私はまた絶望します。そして、今度は貴方が居ないことさえ理由にしてしまう。そんなこと、耐えられない」

「そんなことはない、彼方ちゃん。世界は、君が思うより広いんだよ……!」

「それに、何より。先生、私が生き残るのは間違っています」

「そんなこと」

「あるのです! 先生、だって、!」

「っ!!」


 それは。

 それなら、僕は。

 


「違う、違うんだよ……彼方ちゃん、それは、それは違うんだ……!」

「間違いは、正さなくてはなりません。先生、今度は、今度こそ。

「彼方ちゃん!!」


 少女は腕を広げたまま、その身を宙へと踊らせる。

 僕は駆け寄り、躊躇わずに飛び出した。

 彼女は僕を見上げ、抱き締めるように両手を広げて。


 


 天を目指していた腕は、間近にちらつかされた獲物に方向を変えた。太さと鋭さはそのままに、勢い良く、怪物が彼女の身体を掴み掛かる。

 彼女、怪物、そして僕。

 高さの順列はここに入れ替わり。


 天からの雷が、僕らを貫いた。













「……反応が、ありました」

「脈拍、正常レベルに復帰します」


 知らない人の、知らない言葉。

 頭の中はもやに包まれ、何もかもがはっきりしない。


 ぼやける視界に、が映る。

 マスクとキャップに隠れてはいるが、それでも見覚えのある、知的で美しい瞳。

 胸元には平仮名で三文字、彼女の名字が名札に書かれている。


「……良かった……!」


 万感を込めた短い呟き。

 こぼれた涙が一滴、頬を撫でる。


 その冷たさに驚きながら、 は意識を失った。

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