第58話/裏 真実の兆し。

 彼女の心を堅牢に守る、完全無欠の鉄壁。

 それを壊すには、もう、真実を突き付ける以外には道がないようだ。

 それが、彼女にとっては悪夢であったとしても。


「君は……《一人だったのだね》」

「……そうかもしれません」


 頷く彼女の顔には、微かな翳りが見える。しかしそれでも、その態度は変わらず頑なだった。

 開き直るかのように、少女は両手を大きく広げる。


「しかし、それが何ですか? 人は生まれたときから孤独で、一人きりで死ぬものです。そもそも、大人は皆が皆、口を揃えて子供私たちに言うではありませんか。……『自立した人間になりなさい』と。誰にも頼らず、自分の力で、二本足で立つ。それが、正しい大人の在り方なのでしょう?」

「……正しいか正しくないかはさておき、大人の求める大人の姿ではあるだろうね。そうなることが出来たら、きっと幸せになれるのだろうけれどね」


 相変わらず淡々とした口調ではあったけれど、流暢に並べられた言葉はどこか、ムキになったように聞こえた。

 彼女のに僕は頷く。まあ僕には、そうなることは出来なかったけれど。

 しかし、彼女は聞き逃せないことを言った。


「『大人は皆、口を揃えて言う』と、君は言ったね?」

「あ……」

「人は一人でいるべき。そういう君が、皆の意見に従おうとするのかい?」

「ち、違うっ! 違います、それは……」

「そうだね、

 もしそうだったら、それが一番楽だったけれど。「君は、そうしなかった」


 彼女の孤独は、彼女自身の言葉を聞くまでもなく簡単に解った。何故なら、には人が居ないから。

 僕の領域には、所長の干渉があったとは言え、久野を始めとする多くの人間が存在していた。僕は世界に絶望していたけれど、孤立することは出来なかった。

 八年間、どうにか生きてきた僕は一人ではない。社会というものは、一人きりで生きられるようにはなっていないのだ。


 だが――


 恐らく彼女も僕と同じように周囲から孤立しただろう。そして僕とは違い、


「……


 びくり、と彼女が震えた。

 怯えるように、その肩が小刻みに揺れる。あたかも、地獄に怯える信仰者のように。


「学校とは、極めて小規模な社会の縮図だ。決められた時間にし、定期的に休憩を取りながらも決められたに従事する。発展性も独創性も養われない閉じた環サイクルの日々を過ごさせられる。そこには、個性の居場所は無い」


 別に、それが悪いわけではない。

 教育というのはある一定の基準を身に付けさせるためのものだ。文字の読み書き、計算の仕方、歴史文化、基礎運動能力など、あらゆる専門分野への入り口を平等に開くことが学校の第一意義ではある。


 問題は、二つ。

 早期に個性の芽を出して、いち早く専門分野へ進もうとする子供に対してのケアが無いこと。そしてもう一つ、最も深刻な問題が、『それでもユニークさを求められる』ということである。


 ここでいう、求められるユニークさというのを、人々はしばしば取り違える。

 教育現場が求めるのはユニークさであり、ユニークさを求めているわけではない、という事だ。詰まりは、アレンジである。


「例えるなら学校では、包丁の持ち方や野菜の洗い方、肉の切り方を学ぶ。そしてレシピを見て料理を作って、その結果にもうひと味加えることを目指すものなんだ。しかしそれは、あくまでも課題の中でね」


『カツ丼を作れ』という課題でなら、タレに拘ったり肉を豚にしたり鳥にしたり果ては大豆にしたって構わない。

 それが、学校の求めるユニークさということだ。いきなり麻婆豆腐を作ることや、刺繍を始めることではない――それがどれほど卓越した出来映えであったとしても、一切評価される事はない。

 教師たちは困ったように笑いながら、或いは露骨に眉を寄せながら、こう言うだろう――、と。


 教師はその子を問題児として認識する。そう思い、そう扱う。

 子供たちは、そういうところを良く見ている。大人が駄目だとレッテルを貼った相手は、子供たちもダメなやつと扱うものである。


「子供の、ダメなやつに対する扱いは苛烈だ。何せ、ダメなんだから。自分達とは違う、同じになれない変なやつ、それどころか、


 子供にとっては、学校とは生活のほとんど全てを占める場所なのだ。そこで異分子と判断されたら、毎日の生活が立ち行かない。

 家と学校という二つの場所しか、普通の子供は世界を知らない。

 片方に拒絶されたら、半身を殺されるのと同じだ。


「止めて、止めて下さい、先生……」


 彼女はその細い腕で、ぎゅっと身体を抱き締めている。そうでないと、バラバラに崩れてしまうと思っているのだろう。

 元から白かった肌は血の気が引いて蒼白に代わり、見開いた瞳には畏怖の嵐が巻き起こっている。カタカタという音は、歯の根がぶつかり合う音だろう。


 そこまで怯えさせたのは僕の言葉だというのに、未だ彼女はすがるような視線を僕に向けていた。


「もう止めて下さい、私は、私、もう聞きたくないのです」

「……君は、君の周りが理解出来なかった」

「止めて!」彼女が叫ぶ。「止めて下さい……お願い、お願いします、から……」


 勿論。止めるわけにはいかない。

 僕のために、僕のために死んだ皆のために。そして何より、彼女自身のために。

 僕は、口を開く。


「宇宙人というのは、その比喩だ。あの夢での何よりの悪夢は彼らの冒涜的な造形ではなく、。僕が夢の中で出会う人出会う人、何を言っているのか理解出来なかったし、向こうも僕の言ったことを理解している様子は無かった」


 意思疏通の断絶。

 彼女が感じていた孤独は、僕のものとは比べ物にならないほど根が深いものだった訳だ――彼女にとって世界は自分と、話の通じない他人宇宙人しか居なかったのだから。


 孤独、そう、孤独だ。

 僕は、吐き気を堪えながら、今にも泣き出しそうな彼女に事実を突き付ける。


「夢には、僕以外に人間は居なかった。一人も……

「っ!!」


 子供にとっては、家と学校しか世界は無い。

 彼女は――


「君は、頭が良かった。昔病院で話したとき、直ぐに解ったよ。一人で学ぶことの出来る所謂理屈というやつは、ほとんど網羅しているようだった」


 彼女が愛読していたのは、。僕が映画で見た古典クラシックというやつの原典も、ほとんど彼女は知っていた。

 知識の量で、彼女は大体の大人を凌駕していた。そして、それを活かす知恵も持ち合わせていたのだろう。


 彼女は天才だった。

 そして多くの場合、天才とは社会に受け入れられないものである。今のように、平等という単語の意味を履き違えた社会においては特に。


 だから。


「……君は、一人になった」

「う、うう、ううううううううわああああっ!!!!」


 叫び声を、僕は静かに受け止める。子供の泣き声を受け止めるのが、大人の役目だ。

 僕は、大人になったのだ。喜びも、悲しみも、一つの単位として天秤に載せられるようになったのだ。

 天秤は、けして揺らがない。何故なら、片側に載っているのは、計り知れない価値のものだから。


 彼女が黒染めの絹糸のような髪を掻きむしったとしても、狂ったように大声で嘆いたとしても。

 ……その結果、

 片側に載っているのは、


「ああああああいやああああああっ!?」


 生命に勝る価値は無い。

 生きていることは素晴らしいことだ。

 たとえ、どんな状態だとしても。


 僕は、彼女に生きていて欲しいのだから。

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