07-05-04:ある猫好き伯爵の素晴らしき日々

 イルシオの一角、ハイエルフの伯爵位を預かる貴族の男がいる。でっぷり太ったその男は、周囲に隠しているが類まれなる猫好きであった。猫好き故に家には20は下らぬ飼い猫が居る。勿論これだけペットが居るという誇示でもあるが、彼は表向きそう繕うだけで心の底から猫を愛しているのだ。


 ぶっちゃけ威張り散らす暇があるなら猫に踏まれたいと思っている。猫はいいゾ~肉球がぷにぷにで最高なのだ。太ましい彼の身体をよじ登りふにふにして来るときなど最高の気分である。


 彼は猫が関われば一切怒らない。


 たとえば執務中。突然膝に乗ってくる猫があれば愛で、構え構えと服を引っかかれ裾がほつれるのを許し、書いている書類に足跡など残されたなら額にいれる。


 たとえば食事中。己の食事を終えて伯爵の魚を盗ろうと目を細める猫に端切れをちらつかせるのがたまらなく好きで、食事中だというのにじゃれてほしくて体を擦り寄せる猫をマナー違反だと咎めることもない。むしろもっとやれ。


 たとえば睡眠中。いつのまにか潜り込んでいる猫など最高ではないか。何故か伯爵の上がお気に入りの猫も好きだし、ぶっちゃけ妻より好きだ。ちなみに妻も伯爵より猫が好きだ。


 お互い秘する猫好きが合って結婚したようなものである。もはや2人は、いや伯爵一家は家族である前に同盟者であった。


 そんな伯爵であるから、彼は常に『私ほどの猫好きは居るまい』と自負している。だがその上で油断や慢心は一欠片とてない。彼の祖父と友好があった至高の猫好き、『猫の細道』を記したルドルフも『猫好きに果てはなし』と言っている。


 このルドルフなる者、下賤にしては。存命であれば内密に酒を飲み交わしても別に……構わないんだからねっ! その程度には評価していた。


 しかし『猫好きに果てなし』とは……なんと深く慎み深い言葉であろうか。伯爵はこの言葉を家訓として家族に語っているし、家族もそう思って接している。というより伯爵家は使用人からして猫が好きな者しか居ないのだ。誰から何から首ったけなのである。


 そんな伯爵家にある情報がもたらされた。


「あの男爵家が猫用のオモチャを扱い始めたとな?」

「左様でございます」

「詳しく話せィ!」


 迫真に迫るメイドに、神剣な面持ちで答える伯爵。これは猫好きとして聞き逃がせない情報だ。担う政務を端に追いやり伯爵は身構えた。


 それは曰く、猫を誘う魅惑のネズミ人形であると……。


「なんと不届きな……50個買ってこい」

「すでに用意してございます」

「でかした!」


 伯爵家のメイドは実際優秀である。直ぐに用意されたネズミのオモチャはぽけっとした表情のハイイロネズミであった。しっぽが紐になっているのも中々キュートだ。


 使い方を確認した伯爵はドキドキしながら猫部屋へ走り、しっぽの紐を持って愛すべき猫たちへ放る。そしてぴょいぴょいと引っ張れば……。


(……!)


 瞳孔を丸くした猫たちがぴくりぴくりと興味を示し、猫たちが伏せて忍び足。如何に太ってふにやかとはいえ狩猟の血は消すことが出来ない。


(来るか……来るか……来るか……?!)

 

 ぴょいぴょい、ぴょい! 最後の瞬間に猫が飛びかかる。1匹がつけば皆がこぞって襲いかかっていく。残虐、非道、極悪。アワレネズミは鋭い爪に引っかかってしまうのであった。ぽふぽふぽふぽふ! なんと残酷な拷問であろう。ぬいぐるみは何度も何度も投げられては猫パンチを食らっていた。


(すごくッ……すごく楽しいッ……だが駄目ッ……圧倒的に駄目ッ……!!)


 これには致命的な欠点がある。何かと言えば手が足りない。猫たちが1つに集ってぽこぽこお互い叩いてしまうのだ。するとどうなるか。


 知らんのか。喧嘩が始まる。


 だがお互い勝手知ったる猫たちであるから、それはじゃれ合いに発展する。これはこれでまた良きものであると新たな悟りを開く伯爵であるがそうじゃない、そうじゃないんだ。同じ群れの仲間だろう。だから仲良くしてほしいのだ。喧嘩は駄目なのだ、伯爵は困りにこまってしまった。


「旦那様」


 声に振り向けば、家令を筆頭にメイドたちが各々手にネズミのオモチャをもっている。なんと頼もしい部下たちであろうか。今日はにゃんこパーティー間違いなしである。騒ぎに気づいた家族も混ざって遊びざかり、その日は幸せな気持ちで眠りにつくことが出来た。



◇◇◇



 またある日、やや体重が落ち始めた伯爵は怒りにまみれていた。


「何、まだオモチャがあっただと?!」

「左様でございます」

「何故話さなかった! 言え!」

「ネズミのオモチャにかかりきりでしたので……」

「已む無し!」


 伯爵は猫好きに寛容である。にゃんこイズGOD。猫の前には全てが赦されるのである。


「で、そのオモチャとは如何に」


 それは曰く、猫を閉じ込める密林がごとき城の構築キットであると。


「なんたる外道……7セット、いや10セット買ってこい」

「既に入手してございます」

「でかした!」


 なんという優秀な部下であろか。伯爵は天の運がこの手にあることを確信した。


 早速猫部屋の1つに運び入れさせ、ブロック状のそれを組み立てる。今回は執事や侍女の手を借りず、伯爵自らが組み上げていった。説明書きには『飼い主が猫のことを考えながら、自由に組み上げてください』とある。


 なら自ら陣頭に立たずして如何にするものか。執務を脇に伯爵は組み立てに没頭した。


 えいさほいさ、普段動かない分たくさん汗をかきながら完成したのは巨大な2つの塔と、それをつなぐつり橋である。


「よし、猫たちを開放するのだ」


 伯爵の号令で部屋に猫が解き放たれる。すると恐る恐る匂いをかぎ、唸り、ちょこんと乗ったり穴に入ったり。よじ登ったり香箱座りしたり……室内だと言うのに躍動感あふれる猫たちの楽土が出来上がった。


(至福ッ……圧倒的至福ッ……)


 猫部屋なのに更に猫度がアップした事に伯爵はご満悦だ。ついでにお付きのメイドもご満悦。新しいオモチャを前に、伯爵家は総出でニマニマしながら遊ぶさまを眺めていた。



◇◇◇



 さらにある日、メイドは猫と遊びすぎてスリムに成ってしまった伯爵の逆鱗に触れた。


「バカなッさらなるカードが残っているだと?!」

「左様でございます」

「何故話さなかった! 言え!」

「キャットタワーが楽園すぎて……」

「是非もなし!」


 流れるように許すのは伯爵家の日常風景となっている。


「で、そのオモチャとは如何に」

「それが――」


 メイド曰く、猫を誘惑する一人遊び用の魅惑の円環だとか……。


「愚かな……7つは押さえたのだろうな」

「15購入致しました」

「優秀ッ!」


 これには伯爵もニッコリである。いやさここ最近ずっとニッコリだ。毎日楽しくて仕方ない。


 早速我等がニャンコズ・ヘブンズ・スカイもとい猫部屋へ設置すれば、新しいオモチャのに皆興味津々である。早速一匹の猫が何事かと近寄り、恐る恐る猫パンチを繰り出す。すると中のボールがころりと音を立てて転がった。


「ニャッ?!」


 驚いて飛び上がる猫、だが転がるボールに目が釘付けだ。恐る恐るそろりそろり、狙いを定めて前足を……伸ばす! ころころ。伸ばす! ころころころ。伸ばす! 伸ばす! 伸ばす!!


 それでもボールは捕まりません。


「~~~ッッッ」

「……」


 伯爵は漏れ出る鼻血を抑え、メイドはアルカイックスマイルを浮かべて悟りを拓いた。あれがリバティー、ユートピアの証。これで猫係のメイドが居ない時も猫たちは寂しくない――もとより30匹以上居るがそれとこれとは別の話――だろう。


 だからだろうか、メイドは悲しげな目をして話を切り出した。


「旦那様」

「なにかね」

「私、暫くお暇を頂きたく」

「だめだ、そのお暇は私が頂く」

「……最近執務が溜まっておいでですよね?」

「……息子に勉強させる良い機会とは思わぬか?」


 ピシガシグッグ。わるいおとなが大人げない協定を結んだ瞬間である。


「では猫を満喫しましょう。奥様もお呼びします」

「それがいい」


 ちなみにとばっちりを受けた子爵の長子は、話を聞くとすぐに子爵を地獄の笑みで執務室へ連行していったという。くわばらくわばら、悪いことにはしっぺ返しがつきものだ。


 見送るメイドはそう語ったという。

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