06-07-05:温泉

 宴も酣となった夜。酔いつぶれるものもちらほら現れる中、シオンとステラの2人は宿の一室にやってきていた。部屋はかなり広く上等なもので、一見して高級な部屋だと分かる。宿はまだ稼働しないが、今日はそのテストケースとして2人は一泊する予定だ。


「『すいーと』、でしたっけ?」

「うむ。寝室の仕切りがないという意味だけど……まぁ一番いい部屋だと思えばいい」


 ベッドもドワーフの職人が作り出した一級品だ。どうせだから全力出してやろうと妥協一切なしの天蓋ベッドである。マットもモッフモフの


「そういや天蓋ってやつは虫よけと聞いたんだがほんとうだろうか。なんか豪華スゴイという印象しかないのだが」

「ですね、主に虫除けのためのものです。とはいえステラさんが言う通り、天蓋のレースには装飾を施す貴族は数多いですね」

「なるほどなー」


 次いでステラは指をピッと立ててウィンクした。

 

「それはそれとして、スイートには宿泊者特典が付いているんだずぇ~!」

「特典? ああ、露天風呂でしたっけ。外が見られるという」

「うんうん! というわけでーだ……」


 ステラはなけなしの勇気をかき集めてサムズ・アップした。


「は、はいろうず!」

「そうですね。昼間大変でしたし、ゆっくり疲れを癒やすのも良いでしょう」

「……むぅ」

「どうしました?」


 ステラが顔を真赤にしたギリギリと歯をならす。


(……ええい、アッピルが足りないのか?!)


 だがエルフの性欲は記憶によれば長命種により低い。いわば発情期が存在すると言ってもいいだろう。ということはステラが思いつくようなアプローチを続けた所で意味はあるのか……悩むステラであるが今は進むしか無い。


(なむさーん……!)


 だが祈った所でこの世界に仏陀も如来も居ないのだ。



◇◇◇



 温泉には先にシオンが入っていた。だからステラの正面から、かぽんと聞き慣れた音が響いてくる。ちゃぷりとお湯を撫でる音もするし、気持ちよさそうな声も聞こえる。


(うわー、うわー、うわー……きちゃった、きちゃったよ!)


 『お先にどうぞ』、そして『了解しました』からの特攻である。そう、シオンは超鈍感野郎……並大抵のアプローチでは効きやしないのだ。それこそ素肌を晒すぐらい、最低ラインと思うべきであろう。


(ふぉあーーき、緊張する……)


 体には手ぬぐいのような頼りないタオル1枚。髪は結い上げてまとめてある。準備は万端、かけ湯をしてからひた、ひたと足音を立てて近づいていく。


(頑張れステラ……自慢じゃないが貴様の肌は珠が如く、胸はスイカップ尻も桃、魅力みりきがないわけがない……自信を、じしんを持つのです……)


 濃い湯気の向こうに人影が見える。1歩、近づくたびに彼の姿が露となって……。


「し、つれいしまう……」

「はい? ああ、どうぞ」


 一瞬こっちを見上げた彼は、それきりふぅと息をついて湯に身を委ねている。馬鹿な、ありえない。これでもだめだなんて。


(色気がない、か……)


 ステラはため息を付きつつちゃぷりとシオンの隣に沈み込む。


「う、ふぉあぁぁぁぁぁぁ~~~~~~……」

「声出ますよねぇ」

「あ゛ー出る出る。そのように人は出来ている。だから色気とか関係ないんです」

「はい?」


 しばらくそのまま言葉もなく湯気の向こうの空を眺める。空には美しい月、ル・レイアとル・レイスが浮かんでいる。思いついたステラは【次元収納】ディメンジョンストレージから酒の入った小瓶と小さな器を取り出す。


「どうだ一献?」

「受けましょう」


 器はステラが作った小さなもので、手触りのつるりとした白い磁器だ。いつの間にこんなものを用意したのだろう。しかし問うた所で意味はない。彼女であればこのような物を造形する事自体、訳ないのだから。


 注がれた澄酒をつつりと一口。どうやら火酒の水割りのようだが決してまずくはない。むしろ飲みやすくなっているのはリヤンレモンの果汁が少し入っているが故か。


「悪くないですね」

「うむ。まぁ……このようなカクテルを飲む器でないのは許してくれ。温泉といえば徳利に猪口と決まっているからな」


 ステラは申し訳なさそうに、しかし楽しげにしている。何が起きたのだろう、シオンが彼女に目を向ければ、杯を空に向けてその後水面に目をやって一口。


 ふぅ、と息をつく彼女は嬉しげに笑った。


「酒月を肴に飲む酒も乙なものだ、そう思わないか?」

「オツ、とはなんですか?」

「あー侘び寂びって概念がないのか……」


 ふむ、と考える彼女はチャプリとお湯を揺らす。


「説明するとなると難しいが、あえて言うなら……四季の有様を楽しむように情を楽しむと言うか。つまりは世のあり方、自分の位置、それらすべてに旨みを見出す事……独特の心地の良い静けさ、煩さを味わう事なんだよ。感覚に基づくものだから、理解し難いかもな」

「なかなか難しいものですね。でも……ああ、確かに」


 シオンが酒坏を手にステラのように空に掲げて微笑む。


「ステラさん。月が綺麗、ですね」

「……へっ?」


 ステラの頬が一瞬遅れて朱がさした。様子のおかしさに首を傾げたシオンがステラを見返す。


「どうしました?」

「い、いやなんでもない。きれい、だな。うん。きれいだ……」


 真っ赤にして酒を一気にあおる。酔えるわけではないが、そうしたい気分だったのだ。


 勿論シオンは夏目漱石を知らない。だが彼が示した間は今と同じ状況を指し示している。気のおけない関係……きっとそうした情緒はまだないのだろう。だからこそ――。


「このまま時が止まればいいのにな」

「それは困りますね」

「えっ、あ……そ、そうだよな。困るよね、うん……こまる……」


 寂しそうにしょぼくれるステラにシオンが苦笑して答える。


「いやそうじゃなくて。ずっと夜だと、朝ごはんも昼ごはんも夜ご飯も食べられませんよ?」

「わたしは止まらねぇからよ、時計が動く限りその先にわたしはいるぞ! だからよ、止まるんじゃねぇぞ!」

「あはは、ステラさんはそうでなくっちゃ」


 熱い手のひら返しにシオンが笑い、つられてステラも笑う。


「でもまぁ、時間がゆっくりであればいいとは思いますよ。なにせこうして穏やかな時を過ごせるのは、とても贅沢なことですからね」

「そうだな……ああ、とても贅沢で尊いな」


 そうして2人は月を肴に酒を呑む。相変わらず2つの月は寄り添って、優しく二人の姿を照らしていた。

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