05-05-03:別れの時間

 猫がイタズラをした日、少女は一度だけ老猫エドワルドと会っている。既に彼女の影ははっきりと輪郭を持って確認でき、美しい乙女としてステラの目は捉えていた。相手を深く理解をすることではっきり認識できるようになるのだろう。相変わらず音は聞こえないが、今では唇の動きから何を喋っているかはっきりと察することができる。


『あ、またイタズラしたのね。いけない仔だわ』


 彼女はトトトと走り去るエドワルドを見送って微笑む。先程はここでエドワルドを追ったが、今度は彼女を追うのだ。心象魔法【過去観測機構】サイコメトリー・センサーシップはエドワルドを起点に過去を追跡しているが、しかし過去を映像としてみているなら分岐する確定した運命も観測できるはず。


 影しか無いこの光景の中で、それは出来るという確信が彼女にあった。ぐぐいと引っ張られるような感覚を振り切って、ステラは彼女に付き添うように視線を向ける。


(よし、行ける……)


 トコトコ歩く彼女へとついていくことが出来たのだ。


 時系列を考えるなら、今エドワルドはちょうど馬車に乗り込んだところだろう。彼女はいつものかくれんぼが始まったのだと思っているに違いない。御飯の時間にはきっと戻ってくるものだとも。

 やがて次の用事――彼女の家は商家で、次世代の女主人として高度な教育を受けているのだ――が始まってしまったので泣く泣く家庭教師の元へと赴く。


 窓の外を見ればちょうど馬車が門を出るところであった……あれにエドワルドが乗っており、ここから約ひと月に渡る大冒険が始まってしまうのだ。


 少女はその事を知らないまま、帰らぬエドワルドを心配しつつ数日が経った。



◇◇◇



 姿を消した猫少女の心配はついに爆発し、さめざめと泣いて母親らしき影に寄り添う。


『お母様、エドワルドがいないのだわ!』

『あ#……い$%いど!”**~==~)_¥』


 唇からは少女の言葉しか上手く読み取れないが慰める様は分かる。分身のようなエドワルドが居なくなったのだ、悲しくて仕方ないのは当然のことと言える。だがステラは不安でならなかった。もう1つの懸念が彼女の脳裏に去来していたのだ。


 それは屋敷の様子である。


 屋敷は今数多くの人が出たり入ったりしてとても騒がしい。一体なぜそうなっているのかわからないが、あったはずの家具がなくなったり、箱に詰められているさまを見るに『引っ越し』の準備をしているのだと分かった。


(これは……なるほど、エドワルドにとってまずい状況だ)


 だが既に起こっていることの再生であるから手を出すことは出来ない。ステラに出来るのはただ少女の行く末を見守ることのみだ。だから少女が叫んだ言葉に驚きを隠せず、思わず手を伸ばしてしまった。


『でもお母様、のよ……? 私いやよ、エドワルドと離れ離れだなんて……!』

『きっ#&%%って=@^ー』 

『でも、でも……』


(……?!)


 船、少女は確かにそう言った。事実ならこの『引っ越し』は大陸を越える事となる。つまりはステラがやってきた迷宮都市ラビリンシアウェルスがあるブスカドル王国や、シオンの出身たるアルヴィク公国へと向かうのだ。ルサルカの猫は舟を用いてどこへだって行けるが、流石に船に乗って大陸を超えることは難しいだろう。


(いや、そもそも事実を知っているのか……? 如何に猫たちでも、そこまで分かるだろうか……)


 かつてステラも猫に人探しの捜査を依頼したことがある。だが得られた情報は要領を得ず、解読するには相応の知恵と読解力を要する。もしエドワルドが『飼い主あるじ』を探そうとしても、船に乗ったということすらわからない可能性は十分にあった。


 泣く少女をさておいて準備は着々と進んでいく。エドワルドが戻ってくるにはまだ数日を要し、しかして残酷にも時は訪れた。


『ごめんなさい、エドワルド。さようなら……』


 きっと彼は探すだろう。何処までも街中を駆けずり回り、しかし飼い主の残滓も見つけることが出来ず、諦めるに諦めきれず老猫となってさえ覚えていた彼の結末。思うだけでステラの胸がきゅっと締め付けられるようだ。


 船の上で悲しげにつぶやく少女の人生をステラの視線が追いかける。



 少女は涙を拭い乗っていた船を降りた。そこから彼女の人生は目まぐるしく回っていく。思い出す暇も泣いている暇もなく、彼女は1人の淑女として生きていかねばならない。時に商会の危機が訪れるもなんとか幸運に恵まれ、彼女が事故にあっても傷1つなく助かった。波乱万丈の人生は何度ステラが胸をなでおろしたか知れない。


 彼女はやがて1人の男性と恋をして、またしても紆余曲折の上で結婚する。如何なる危機があったとしても、まるで幸運の女神が見守っているかのように彼女は護られているようだった。


 そして今彼女は妊娠し、1人の子を産み落とそうとしている。苦しみの果て、幸いなる儀式の末に金色の髪を持つ珠のような女の子がこの世に生を受けた。


(ああ、やっぱりか……)


 元気な鳴き声をあげる赤子に、少女だった彼女は『エーリーシャ』と名付けたのである。

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