04-09-05:Digression>Watershed///医者と娼婦

 その出会いはと言えば、けっして浪漫に溢れたものではない。はじめは単なる薬師と患者であり、客と嬢ではなかったのだ。


「バカかお前は。お前はバカなのか」


 薬師の第一声は呆れたようなため息混じりであった。体調を崩したことで卸をしていた彼がまだ新人だった彼女の面倒を見ることになった。


 その原因は無理をした為に風邪を引いたことに起因する。ベッドの毛布に包まりけふけふと咳をしている。この世界において、唯の風邪とはいえ対応を誤れば死につながる病だ。

 だが勝ち気な娼婦は赤い顔でキッと薬師を睨みあげた。


「るさいっ、けふっ、けふっ!」

「黙っとけ。ポーションは効かないからな」


 風邪などの病気に関して、単純に傷薬ポーションでは効果を及ぼさない。寧ろ悪化する場合もあるため、しっかりと症状を診る薬師の存在は必要不可欠だ。


 ベッドの横に腰掛けた薬師が額に手を当て、首筋を診察し、脈や状態を把握する。その後胸元に手を伸ばして睨まれるのを、逆に睨み黙らせて喉元に手を当てる。


「ゆっくり呼吸しろ」

「なにっ、けふっ」

「いいから言うとおりにしないか」


 恨みがましい目を向けながら娼婦がゆっくり呼吸する。


「……よし。熱冷ましと、軽い眠り薬を出す」


 冷たく言い放つ彼は抱えた薬箱から数種の包薬を取り出しサイドテーブルに置く。


「3日は寝ていろ。追加は明日持ってくる」


 そう言って薬師は消えていった。娼婦が抱いたのは『どうにもムカつくやつ』であり、煎じた薬も仄かに甘く飲みやすいのが悔しくてたまらなかった。



◇◇◇



 それから3日で完全に治った。寧ろ前より調子が良いくらいだ。

 楼主はよろこんだが、娼婦は納得しかねていた。


「いけすかない」


 毎日訪れては病状を淡々と確認した彼は言葉を交わすでもなく、淡々と仕事をこなす。薬師として当たり前のことであるが、娼婦はなんとも気に食わない。


 己はそれなりに美しい姿をしていると、彼女は自負していた。それこそ衆目美麗なエルフを前にしてさえ輝いていると。


 だが事実はどうだ。当のエルフは見向きもせず、世辞の1つもない。今まで触れたことのないタイプの男だった。


 もちろん薬師の本分を果たしているに過ぎないが、それにしたって嫌そうにしなくても良いだろう。


「あの先生って女嫌いなの?」


 一度そんなことを聞いたが、そんなことはないと楼主は言う。だからといってあんなに不躾に当たらずとも良いだろうに。今日も薬の納品に来た薬師は、もう用はないとばかりに彼女に見向きもしない。


 この間など、じいっと見ていたら鼻で笑ったのだ。なんとも許せない。


 絶対に振り向かせてやると、娼婦は心にきめたのである。



◇◇◇



 『プリムラの詩』における娼婦の美しさが話題に成り始めたのはそれからだ。

 薬師を追いかけるごとに研ぎ澄まし、振り向かせることに全力を向けることで位は上がっていく。


 それでも彼は振り向かず、悔しくて更に己を磨き上げる。ただ周囲を見ず、彼だけを彼女は見ていた。

 だから手練手管を使って彼を招き、誘惑し振り向かない事に怒り、更に己を磨く。

 今日も振り向かないだろう彼にしなだれ掛かり、こちらを向く事を祈り誘惑する。


 だが彼はけっして振り向かない。結果として人気が出たのは皮肉と言うべきか、当然というべきか。


 追い上げに危機感を抱く周囲に対し、ただ1人だけ姿勢を認めるものが居る。



「面白い後輩だわねぇ」


 当時ナンバーワンであった娼婦は不敵に笑い、後輩の追い上げを喜んだ。昨今このように突出して上昇思考を持つ者が出てなかっただけに喜ばしくも在る。


 出る杭は打つ……確かにそれもまた正しい。だがより華麗なのは追いすがる高嶺より、伸び来る者をを見下ろしてこその頂点だ。


 目指すべき頂きは可憐でなくてはならぬ。

 夢想すべき憧れは流麗でなくてはならぬ。

 崇拝すべき煌きは柔和でなくてはならぬ。


 故に小さな店の頂点に在る女は微笑ましくも厳しく、その覇道を見守るのである。


(でも、歩く道は危ういのよ……? それを分かっているのかしらねぇ……)


 追い上げる娼婦の本質を見抜く彼女は、ただそれだけが心配であった。



◇◇◇



 やがて娼婦はついに店で1番の人気となり、長く見守った母なる娼婦の王位は委ねられた。その名声は他店にも及び、引き抜きの声もいくつかかかった程だ。


 故に当然のごとく娼婦の身に問題は降りかかる。


「身請け、ですか?」


 娼婦を気に入ったあるお得意様の提案だ。身請け金も十分、その後の生活も安泰、これ以上無い程に良い条件での身請け話だ。


 娼婦としては受けるべき案件である。


(でも、あたしは……)


 彼女は道を選ばねばならず、いつだって選択肢は突如降り掛かってくる。


 故に彼女は――。



◇◇◇



 娼婦はハーフエルフの少年に連れられた薬師の姿を見て微笑む。


「ったく、当たり前をしたに過ぎんから、礼は要らんと言っているだろうが」

「私がしたいのよ。この白金ラティーナの名にかけてね」


 心に従う事を、彼女は選んだのだ。


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